RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2021-11-05 [長年日記]
_ いよいよ寒くなってきた。今年灯油高いんだろうな。何となく思いついて椎名林檎『性的ヒーリング』その壱その弐を見てみた。買った時は毎夜の如く見てたっけ。好きだったよなあ、この頃の椎名林檎。彼女の妊娠の告知があった頃に急峻に熱が冷めたんだったか。あるいは『加爾基 精液 栗ノ花』なんていう(難しい漢字使ってたんだなあ)あからさまに奇を衒ってるようなアルバム名に嫌気がさしたのか。それでもギブスなんて今も好きだけど。みんなに愛された『本能』のPVもすっかり懐かしい。20年ばかり前の記憶を少し取り戻した。そう言えばその頃より少し前に出た大川豊の『金なら返せん!』も文庫で読み出した。ついこないだまでは中学校の頃の記憶を取り戻そうと躍起になって古いFM雑誌とか中古のカセットデンスケとか入手してみたりしてたのだが、20年前の記憶がこんなにも遠いものと感じるならば、中学の頃の追体験なんてどんなに難しいものか。過去の私と今の私には、僅かな繋がりしか残っておらず、ほとんど他人だと言った方が良いのかもしれない。過去の苦い思い出とはそんなふうにおさらばできるものならとても良いだろうな。私は私でなくなっていく。それは良いことのように思える。自分自身でさえ少し経つともう自分とは関係ないものになってしまうのだとしたら、まして他人との繋がりなんて蜘蛛の糸くらい細い。案外切れないというとこも含めて何だかよく似てる。全ての存在と繋がっているという考え方と、何とも繋がっていないという考え方は結局同じことのようにも思えてきた。無縁はほとんど有縁だった。世の中に不思議なものなどない、ということと世の中は不思議なことばかりだ、ということか良く似てる(京極夏彦の本にそんなことが買いてあった)、ということと似ている。
そういえば、あんなに好きだったガッキーも星野源と結婚、というのをきっかけにすっかりどうでも良くなってしまった。彼に嫉妬したとかではなくて、「何だ、普通だな」という感情が湧いたのだと思う。椎名林檎に対しても新垣結衣に対しても、自分は、何か人外の存在であって欲しかったのだろう。女王様のような崇拝の対象、のようにはもはや見ることができなくなって、次の崇拝の対象を探しているのかもしれない。自分は所詮スターを消費する平凡な大衆の構成員に過ぎないんだ。今の崇拝の対象は誰かな。マジーヌたんかな。なんか思いつかない。シンデイ・ランドルトかなあ。違うなあ。
筋トレしてるうにゃではどうですか笑 腹筋もいい感じですよ〜
崇拝するので腹筋の画像送ってください。ちょうど今日フォトフレームが届いたところです。