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2004-05-24
_ 今年もまだ厄が続いているようで、全くパッとしない。
あとは良くなるだけだ、と、信じたいもんだが…
旅に出るたびにあちこちの寺社に寄進しているのになあ。
ところで、今日は特にウォーキングをしていないけど、
会社に万歩計付けていった。
家と会社の行き帰りや、会社で喫煙所や食堂やトイレに行くだけで9700歩だった。距離に直すと大体5kmというところ。結構歩いてるもんだなあ。
2005-05-24 明日は晴れかな?
_ 酒を断って一週間超えた。しかし酔わない時間にいろいろなことをつい無理をしてやってしまう嫌いがある。火曜というのに疲れてしまってさっさと帰宅した。
明日はおやすみ。ちょっと羽をのばそう。少しお酒も…
2006-05-24
_ ポルナレフは声。
今日の横浜はものすごく荒れ模様ですが皆さんは如何。おととい買ったCDにミシェル・ポルナレフの「アンコグニト」がある。メモリプレイヤーに入れて聞いている。軽薄な音楽だが、ポルナレフの声は本当に素晴らしい。「ピッピッ」とか「パッパッ」とか言う詩にならない声も歯切れが良い。歌っていると言うよりも美しい声で鳴いているという感じ。ポルナレフはほとんどの曲を自分で作っているから、作品全体+ある種異様なルックスをまとめて評価されることが多いと思う。が、歌い手の部分だけを抜き出してみるとこれほどの声の持ち主は稀有な存在だと言って構わないだろう。この人を十分に理解して作られた他人の歌をもっと歌えばいいのに(良かったのに?)、なんて思ったのだった。つまりポルナレフはポルナレフすぎたという。
2009-05-24 雨の日曜。
_ 近所を軽く流してきて、遅い飯。
たぶんあの頃もデフレ・スパイラルとか言って景気は悪かったと思う。私はバブル期に覚えた様々な悪しき習慣から抜け出そうとも思わずに、精神的には不調だったと思う。そういう時に何かに気がついた人は、走りだす。
やみくもにただ体を動かすだけでも、調子は好転して行く。そんなわけで、あの頃良く流してたコースを流してきた。師岡とか獅子ヶ谷とか、そんな辺り。戻る途中で雨が強くなった。
エクササイズして入浴して飯。ほうじ茶で茶がゆ。佃煮の類5種類くらい+焼き鮭。うまうま。
今日の仮面ライダーは響鬼の世界にいる。響鬼役はデビット伊東だよw トド(ロキ)が相変わらずで何よりだ!
2011-05-24
_ ヨガ。
少し前はできてた亀のポーズができなくなってる。前屈の姿勢で膝の下に両腕を通してそのまま背中で手をつなぐというポーズ。手が届かない。体が硬くなった、というか、内臓脂肪か皮下脂肪のせいで届かなくなったと見ている。なんて冷静さを装って書いてるが、内心穏やかではない。このポーズがちゃんとできるように精進する他無い。敵はバニラアイスとかホワイトチョコとかプリンとかロールケーキとかそんな奴らだと認識している。全てバニラ味か。バニラに常習性があるとは知らなかったよ。カルニチンと寒天を上手く使おう。
_ おひさま。昨日のオレの予感、完全に外れ。NHKのHPの「人物相関図」にも将来の旦那がそば屋の息子と書いてある(可南子の息子だ)し、タケオの現状は今も近所づきあいしてる犬塚弘。すでに最初の方の回で出てた模様。不覚。昔のことはねちねち覚えてるくせにシリーズもののの最初の方とかすぐ忘れる。そのせいで長期連載の漫画とか何巻まで読んだかわからなくなって良くダブる。「街道の日本史」も2冊くらいダブってる。ちゃんと読んでない証拠だ。
2012-05-24
_ どうもやはり今作ってる干し肉はヤバい。でもなんか捨てられなくて干すだけ干しているという難儀な状況。豚肉でやってるんだが、山下達郎並みに甘く危険な香りがしている。脂肪分のせいかお陀仏になってるのかわからない。結局干すだけ干して土曜のごみの日に捨ててしまうんだと思う。食中毒の季節が始まっている。気をつけましょーね。
2013-05-24
_ クソビッチのコメントは気にしないで日記書く。といいつつもう日付変わってる。いろいろ疲れてるが、最近昆虫のとある分泌物でコートすると真空中で電子ビームあてても大丈夫、とかいう話を日経で読んだので興味がある。それはともかく、「謎の彼女X」第10巻が発売されてた。買う。読む。
2014-05-24
_ 忙しかった。帰宅したらビル経営の勧誘電話が携帯に。どこで番号知ったのかと聞いたら中央ビジネスサービスから名簿を買ったとやら。個人情報を売ってあぶく銭を稼ぐ奴もクズだがそれを利用してひと儲けしようとするや奴もクズだ。クズ、死すべし。
_ [テレビ] SHERLOCK3.
第1回。ジョン・ワトソンが何者かに拉致されてガイ・フォークス・ナイトの焚火の中で燃やされそうになる。英会話で以前習ってた先生が冬の寒い日に行われるテロリスト:ガイ・フォークスの記憶をとどめる行事のことを語ってくれたのを思い出す。アノニマスがかぶっている男の仮面はガイ・フォークスの顔と言われている。「ライヘンバッハ・ヒーロー」のホームズ死亡の種明かしが(最後の『僕は丈夫なんだ』というホームズの言葉を含めると)4通りされたのだが、どれもちょっとちゃっちかったなあと思う。面白かった。
_ ミロ飲んだ。最近あまり飲まなくなったプロテイン用のシェイカーを使うと捗るぞ。
2015-05-24
_ 面接授業二回目でドイツ語入門。ジムに寄ってその帰り道を大きく遠回りして帰宅。歩きながら、フランツ・カフカのことを考えていた。というよりも、今もしもカフカの魂が残存していたならカフカの作品を世に残したマックス・ブロートのことを恨みに思うだろうと、まるで自分がフランツ・カフカであるかのように怒りつつ歩いていたのだ。真の敵は身の内にあるというが、それならその次に大きな敵は煩悩の大きな原因である肉親ということになり、その次の大敵は親友や恋人と言うことになるだろう。すべからく愛すべきものは、それが人である場合には大敵となる。人であるがゆえに、いつも我を裏切る可能性があるからだ。かくして、あんなにも固く、あの恥ずべき作品たちを焼き捨ててくれることを誓った私の親友は私を裏切った。その結果何が起こったか?私の書いた作品に書いたあの言葉が成就してしまったのである。「『まるで犬だ!』と、彼は言ったが、恥辱が生き残ってゆくように思われた。」調子宜しからず。
_ ドイツ語を学ぶことは多くの喜びにつながることだろう。それは向学心を満足させるだけでなく、数々のドイツ語で書かれた文章を原語で読める可能性につながるからだ。たとえば、俺がそれを望むなら、ケストナーの作品が原語で読めるし、マタイ受難曲を歌うこともできる。これは大きなことだ。もっともケストナーは「エミールと探偵たち」も「点子ちゃんとアントン」も読んでないのだが。
2016-05-24
_ 昨日のヨガでプルプルしてた筋肉は単純に大腿四頭筋と大臀筋だった模様。筋肉痛が出たのでわかった。この痛み、心地良い痛みと言うべきか。要するにレッグプレスでもウォーキングでもここらは鍛えられなかったのだった。
_ もうすぐ放送大学の通信課題を出さねばならんのに聴講が進んでいない。暗くなって帰ってきたがまだ余裕あった。あと、今はインターネットでも送信できるんだ。もう深夜の郵便局で速達で出したりしなくていいんだなあ。
2017-05-24
_ 夕食に豚スキヤキ風を作る。北海道の我が家ではスキヤキと言えば豚だったことを思い出す。これは、まあ確かに貧しくて牛肉を買えなかったということもあったのだろうが、それ以上に北海道では豚肉の方がポピュラーだったということもある。スキヤキの肉を牛のそれと意識したのは中学生くらいだったのではないか。
_ [読書] 「ヨーガ①」ミルチャ・エリアーデ、立川訳、せりか書房、1975.
水曜の夜は特に何もなければジムに行って体を動かしているのだが、実は先週日記をさぼっていた辺りは体調が宜しくなく、風邪だったり腰に痛みを感じたりしていたのだった。それがだいぶ良くなってきているのだが、大事を取って読書の時間にしたのだ。余り多くは読み進めなかったのだが、エリアーデはヨーガの語源的にヨーガを説明する。ヨーガと言う語が持つ多くの意味のどれであれ、すなわち「つなぐ」にせよ「融合する」という神秘的な解釈にせよ「縛る」にせよ「軛(くびき)をかける」にせよ、皆なんとなく無意識で散漫な動き、あるいは物質的世界を捨てて意識的であることに努めることによって、逆説的に究極の自由である解脱を実現するという点で共通である。自由であるためには常の動きがすべて意識的であるべきだ、ということだろう。座っている姿勢ひとつにもそういう態度が現れる。すなわち、自重を安易に支えようとして尾骨で座っているのが軛を解いた状態で、坐骨で座り骨盤を立て体幹を意識して座るのがヨーガ的な座り方、ということになる。たぶんこの後多くの実例が続くのだろうと思うが、ここまで。また腰が痛くなったら続きを読む、ということになるんだとしたらそれはだいぶ先だ。
2018-05-24
_ 何でしょう。レジに並んでたら、前で会計してる女の人がこっち見て、それから私の買い物カゴの中を見て、すごく蔑んだような笑みを浮かべたのですよ。カゴの中には水ようかんとニラ、ニンニク、塩だけで味付けしたポテチ。
「何か文句あんの?」
とは言いませんでしたけどね。 そのお姉さんのカゴの中には500ccの缶チューハイが二本。ハイボールだったかな?いやらしげな笑みを浮かべる顔を嫌々眺め返したらどうやらすでに酒が入ってるようだった。何だ、ただの酔っ払いの邪眼か。頭が中2に戻ってる最中なんだな、と気づいたら、もう何だか腹を立てるのも馬鹿らしくなった。というわけで今日も穏やかに1日が終わることでしょう。早くWOMBS届かないかな。
2020-05-24
_ 政府、25日に緊急宣言解除の方針。とはいえ今更コロナ以前には戻れない。というよりも在宅勤務のメリットがよく分かったから、解除後も適時リモートで仕事しようと思ってる。ああでもPC持って行き帰りとか面倒くさいんだったっけ。。。
_ Win10PC Windowsの更新中。更新中のブルー画面が家のテレビに表示されてる違和感よ。そろそろお昼だ。どさんこ市場でゲットした「やきっぺ」食べるかな!
_ [特撮] 電子戦隊デンジマン
先日見てた回に突然「デンジ姫」という謎の存在が現れて混乱した。テレビ版では初出なのにその存在はすでに前提とされている節がある。実はデンジ姫は、同時期の劇場版に出たキャラクターだったのだ。そこで劇場版を借りて視聴。3000年前の存在、デンジ姫。でも、虹の石を持っていれば今も会うことができる。デンジマンたちもまたデンジ星人の末裔であるかもしれない。自分がどこからかやってきた人々の末裔であり、忘れていたその記憶はある日蘇り、そしてその歴史に繋がるお姫様がこの世界にいるのだ。そう信じられたらそれは素敵なことだ。いつか僕にもデンジ姫に会える日が来る。素直にそう信じられた時、日常はその姿を変えるだろう。
2021-05-24
_ メランコリックな状態はしばらく続いている。これが酷くなると、"普遍的に価値のあること"なんてどこにも無いのでは無いかと言う具合になってしまう。もともとそんなものなど無いのかもしれない。賢い人はそれを知っていて、価値なんかなくても生きられる術を身につけているのかも知れない。しかしそれが本当に無いのだとすると、生きることにも意味は見出せない。死生学に照らしてみると、良く生きることが出来ないのだから死に方だってどうでも良い、何なら今でも良い、なんて言うことになりかねないだろう。では本当に価値あるものなど無いのだろうか?そんなこと思いながらも夜のヨーガに。やっているうちに思ったのは、これは価値あるものを求める行為ではなく、本来のあり方を見つけるための方法論なのではないかと思った。仮にうまくいったとしても、それは本来のあり方なのだからせいぜい当たり前に戻っただけでありそれ以上に何か素晴らしいものを与えてくれると言うわけでは無い。柔軟な身体を手に入れるための訓練ではなく生き方に関係したものだ。だからこの道をできるだけ外れないようにすべきなのだ。仮に足腰が立たなくなってもヨーガを行うチャートラ(生徒)であり続けるべきだ。そこで言われるヤマとニヤマも、それを守ることができたとしてもせいぜい当たり前の状態に行き着いただけで、それを戒律のように守りさえすれば悟りが得られるという保証のようなものでは無い。ただその道をなるべく外れないように。仮に何かの偶然によって自分がとんでもない大罪を犯してしまうようなことになったとしても、その道がもはや自分の前に続いてはいない、などと思ってはならないのだろう。本来のあり方さえ価値のないものであったなら、そもそも自分は存在すべきでは無いものだ。本来のあり方にたどり着けた時に、そんな厳しい問いに与えねばならないのかも知れないが、今はその本来のあり方に戻るためのことをすれば良いのだと思う。それは渇望から逃れられる可能性なのだから希望である。それと同時に、特別に良いことは与えられないのだから絶望でもある。希なる望みと絶たれた望み。どちらであれ自分には大変望ましいことのように思われる。『定年後』にはこんなことは書かれてはいなかったが、本当に定年後に何も見つけられなかったとしても、ヨーガだけは私と共にあることだろう、そうあろうとさえしていれば。
_ [漫画] 『絶対可憐チルドレン』19、椎名高志、小学館、2009。
これもう60巻とかになるらしいんだけど、ちょっと集中的に読もうかなと。で、蕾見管理官(80歳超えてる美人)がエロいセリフとして「あなたは今まで自分が食べたパンの数をおぼえていて?」ってディオさまのセリフ言うの。椎名さんのこういうギャグ大好き。
_ 続き。おまけ漫画の紫穂のセリフ。「これは萌え?萌えているのは私?」だから椎名さんのこういうギャグって大好きさ。やばし、寝不足になるかも。
2024-05-24
_ キングにのぼる。
以前横浜三塔のうちジャックの塔こと横浜開港記念館に行ったことは書いた。そのときのボランティアの説明員の方にお聞きしたのだが、キングの塔こと横浜県庁本庁舎は現在もその機能を保持しているので平日の営業日には立ち入りが可能で屋上にも行ける。今日は所用を足すのに休暇を取っており、そのついでにと出かけた。暑い日。
そろそろお昼という時間だったので、せっかくなら庁舎の食堂で何か食べようと思った。本庁舎の食堂はすでに閉鎖されているようだったので新庁舎に行くも、案内板に表示は見つからず、少し離れた象の鼻パークあたりの合同新庁舎に向かった(関連が良くわからないけどなんか庁舎がいろいろあるのである)。利用者はほとんど職員さんで、こちらはどことなくふざけた格好をしているし勝手がわからない。わからないなりに回りを良く観察して、紅生姜揚げの蕎麦といなりずしを頼む。空席を見つけて確認すると、肝心のお揚げが入っていなかった!ほかにトッピングを2つ追加したのに気を取られて忘れたんだろうか。レシートを持って配膳のところに戻り、無事ゲット!初体験でいささか緊張してるのにこんなトラブルを持ってくるとはハードル高いぜw
それから県庁本庁舎へ。一応昭和の建物ではあるが古く天井も低い。職員さんは午後の仕事に戻ってくる。今から空調を入れるとかなんとかアナウンスが入ったり、掛け時計みたいに針で階を表示するエレベーターがあったり、プレゼンのアナウンスがあったり、ああ平日だなあなんて思いながら屋上へ。横浜港が一望できる良いスポットである。さらに塔の高いところへ続くエレベーターもあるのだが、そこは関係者以外は立ち入り禁止となっていてボタンも隠されている。が、そのエレベータ手前の部屋に、この建物の歴史に関するちょっとした展示があった。この庁舎は古いといっても4代目なのだそうで、初代の建築は塔部分になまこ壁が使われていた和洋折衷式だったそうだ。
ひととおり見学を終えて、日本大通りの手近な腰掛けに掛けて少しスケッチを。後で見たら壁の一部の色を塗り忘れていた。結構複雑な建物を野外でスケッチするのは気がせくし、元来不精なので途中で飽きてしまったりする。また拙い絵を描いてしまった。でも拙いものを沢山描かないと上達しないので仕方ない。ただ、鉛筆書きをペンでなぞってから淡彩で塗ると多少は見てくれが良くなることを確認できたのは良かった。使ってる絵具の発色も全然頭に入んないんだよなあ。画像は屋上から見た横浜の港。異人さんに連れられて行く女の子が写ってるかもしれませんから探してみて。

_ 帰宅。ふと思いついて、学生時代から使っているマグでコーヒーを飲む。元々何のデザインもない真っ白なただのマグカップだが、買った当時にお付き合いのあった方に、小物をこさえるのが得意な方がいて、こまごましたものをいくつかもらった。その中に、このマグカップに貼ってあるシールがあった。ドクロを数種類デザインしたもので、その一つを貼ったこのマグが壊れることなく今も手元にあるというのはちょっと奇跡的な気もする。何となくめでたいので画像貼っておきます。

_ 帰宅途中に何年か振りで横浜そごうに立ち寄ってロフトでお弁当箱を買った。本当はまげわっぱの奴が欲しかったが、どうせなら大館のをそのうち買おうと思い、今日は少し安めのスリムな奴にした。アフターコロナに出社回数が増えて、そのときだけはお弁当を持っていくことにしている。大したものは作らないけど今までは週末におにぎりを作って冷凍しておき、出社当日に解凍して少し温めて持っていくようにしていた。炊いた飯を詰めていく方式も試そうと思った。鞄に入れやすいスリムな2段式。どうせ玉子焼きと焼き鮭か焼肉くらいしか入れないと思うけど、ごはんには海苔でも敷いてみようと思います。ご飯はたいてい玄米なのでどこまでも茶色い飯。茶色い飯は正義の証だ。
_ [音楽] "The Other World", Judy Roberts, 1980.
二週間ほど前だろうか、NHKラジオ深夜便を寝ながら聴いていた時に、この人の曲が流れてきたんだった。レオン・ラッセルのカバーで"Rainbow in Your Eyes"と紹介されて、耳をそばだてたが、レオン好きの僕はこの曲を知らない。ノイジーで奥行きを感じられないAM放送のせいだろうか、ジュディさん奏でるエレキ・ピアノが妙にピキピキした高音を弾き出し、しまいには彼女のこれも高音のスキャットがキャッキャキャッキャ(と言ってるかどうかはわからないがそう聞こえる)とはじまり、僕はすっかり虜になったのだった。今日届いた。とりあえず素面で聞いていようと思っている。なおこの"Rainbow in Your Eyes"という曲はレオンのウェディング・アルバムにデュエット曲として入っているとのこと。そういえばそんなのあったっけ。存在は知っていたが、どうせ浮かれてんだろうなとか思って買ってなかったんだと思う。注文しました。でもどうせ浮かれてんだろうな。ジョンとヨーコのウェディング・アルバムもそのうち聴いてやるかな。どうせ浮かれてんだろうけど。いっそ古今東西のウェディング・アルバムを聴いて片っ端から茶化してやるというのも音楽鑑賞としては良いのではないかと思う。でもそんなにウェディング・アルバムって出てるんだろうか?
_ そういえばドラマ「VRおじさんの初恋」終わったんだよな。まだ見てないけど。で、その放映の始まりの頃に書いた自分の記事を読んでいて「人間はAIを模倣する」と書いてあることで気づいた。その始まりはもしかするとチャペックの戯曲「R・U・R」にさかのぼるのではないかと。ええ、読んでないし視てませんけど。でもこの作品が「ロボット」という語の嚆矢とされている以上、そこにはロボットが登場しているはずであり、それを演じているのはもちろんその頃実用化されてはいないロボットではなく、人間でしかないのだ。人間の労働を代替する存在としてのロボットであるなら当然その頭脳はAIであるはずだから、「R・U・R」を読んでいなくても、AIという概念の初期段階ですでに人間はAIを模倣していた、ということになるはずなのだ。そのうちちゃんと読んで答え合わせしよう。全然違ってたりして!!
追記:自分で答え合わせする前にCopilotさんに教えてもらった。大体合ってるみたいだった。Copilotさんも興味深い作品だとおっしゃっている。その後僕とCopilotさんはむつまじく人間がAIを演じることの意味を少し議論したのだった。ロボット・ダンスもその一例と言って良いかもしれない、とか、クラフトワークの"The Robots"なんかどうだとか、そんなこと。ちなみに「Copilotさんはロボット三等兵の仲間ですか?」とたずねると会話を打ち切られてしまいました。何か重要な秘密に触れてしまったようだ!
追追記:クラフトワークの曲はドイツ語なので日本語に訳してとCopilotさんにお願いしたら英語訳が返ってきたので、それを見て自分で邦訳してみた。Copilotさんに褒められたから書いておく:われらは充電する エネルギーは満タンだ われらはロボット 自動的に機能する 機械のように踊る われらはロボット やーとぅぼいするが やとぅぼいろぼとにく… 後ろのほうはチェコ語なんだろうか。ロボトニクというのはワーカーという意味のようだ。これがロボットという語の最初の用例なのだろうと思う。
_ うにゃにゃ [トップ画面のタイトル変更されていたんですね、]
_ けい [なんかこの休み中ずっとうにゃにゃと逢ってたみたいです。次はオフでデートしましょうか。]
_ うにゃにゃ [コメ書きすぎかな^^; 久々、そば&日本酒いきましょう!]