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2015-05-24 [長年日記]
_ 面接授業二回目でドイツ語入門。ジムに寄ってその帰り道を大きく遠回りして帰宅。歩きながら、フランツ・カフカのことを考えていた。というよりも、今もしもカフカの魂が残存していたならカフカの作品を世に残したマックス・ブロートのことを恨みに思うだろうと、まるで自分がフランツ・カフカであるかのように怒りつつ歩いていたのだ。真の敵は身の内にあるというが、それならその次に大きな敵は煩悩の大きな原因である肉親ということになり、その次の大敵は親友や恋人と言うことになるだろう。すべからく愛すべきものは、それが人である場合には大敵となる。人であるがゆえに、いつも我を裏切る可能性があるからだ。かくして、あんなにも固く、あの恥ずべき作品たちを焼き捨ててくれることを誓った私の親友は私を裏切った。その結果何が起こったか?私の書いた作品に書いたあの言葉が成就してしまったのである。「『まるで犬だ!』と、彼は言ったが、恥辱が生き残ってゆくように思われた。」調子宜しからず。
_ ドイツ語を学ぶことは多くの喜びにつながることだろう。それは向学心を満足させるだけでなく、数々のドイツ語で書かれた文章を原語で読める可能性につながるからだ。たとえば、俺がそれを望むなら、ケストナーの作品が原語で読めるし、マタイ受難曲を歌うこともできる。これは大きなことだ。もっともケストナーは「エミールと探偵たち」も「点子ちゃんとアントン」も読んでないのだが。