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けいりう堂日記

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2004-06-18

_ なんだか仕事をせかされ始めた。

放送大学の試験も近づいている。

猫の出産もそろそろだ。

夏には家族旅行なんてイベントもある。

へこたれないで済みますように…

明日、歩きに行きたいなー


2005-06-18 五街道の踏破。

_ [奥州街道] 寄居から白河へ

梅雨の合間めがけて、栃木は寄居というところから福島県白河へ。

これでとうとう江戸幕府の管轄になる五街道を全て歩いたことになる。

白河の関は奥州道中に外れているため、翌日。


2006-06-18

_ 今日はカブトやってない

今日もだらだら。明日も休暇取っているが、久し振りに無為な休暇になるのか。

エアコンのリモコンが行方不明で蒸し暑い。本体を良く見ると、応急運転スイッチがついていることに今頃気づいた。名前がものものしいが、押すと自爆する類のものではなかった。


2007-06-18 プレゼン終了。

_ しかしほとんどの聴衆はキョトン顔。俺のやってる仕事ってなんなんだろ。。。

次の機会にはもっとわかりやすい(というか、わかったつもりになるような、というのが正しいのだろう)プレゼンを心がけようかと。


2009-06-18

_ 夜遊びしてます。

090618_2305~0001

というか、晩飯食いそびれた。

そう言うわけで、自宅近い居酒屋に。品書きの飛露喜に目を奪われた。許してくれ!許してくれ!


2011-06-18

_ 「タモリ倶楽部」俳風末摘花。

日付変わった。エロ川柳集。ちょっと興味が湧いて買って読んでみようかと思ったが、註が無いと味わえないな、これは。

「一番でいいかと相模あとねだり」相模女=好きものという図式があったのだそうで。港のヨーコとかハマのメリーとか最近までそういう図式は成り立っていたような気も。

_ 今日のトレーニングもなんか充実してたような気がする。帰ってきてTVつけると土曜スタジオパークにベニシア・スタンリー・スミスさん登場。「猫のしっぽカエルの手」はベニシアさんのシリーズに加えてイタリア・トスカーナの山暮らしの家族の番組が始まっている。その後の「ボイス50」は秋保温泉から。この旅館、泊ったことあったかも。


2012-06-18

_ いまひとつ週末の疲れが抜けきって無い感じ。ちょっと遅刻したけどヨガに出かけた。ジャンプスルーで手の間に足を通して前に足を延ばしたり逆に前に出してた足を後ろに伸ばしたり、という技を学んでるところ。ジャンプ!と思いきや床にずるずる…という感じになって、実にだらしないことになる。できるようになるのか?胡坐書いて後ろに両手回して腰の方から両足の先をそれぞれの手でつかむ、みたいなアーサナも最近理想体重を1割程度超えているせいでなかなかできるようになれない。お米食べるようになってほぼ3キロ体重が増えたのは悩みだ。疲れてると体重が膝にかかるような気もする。もっと軽くなりたい。空中浮遊したい。空を飛んで岩の上にいるプチト・クロワを抱きしめたい。飛ぶ夢をしばらく見ない。


2013-06-18

_ [読書] 「渋澤龍彦全集1」

読書もローテーションで、ということは先日書いた。大学時代はかなりローテーションを意識して読んでいたと記憶しているが、おかげで結構味わえるだけの知識の無い本をただ目を通すだけで読んだことにしてしまったりしてた。キェルケゴールとかヤスパースとか森鴎外とかバラードのSFとかはそんな感じだった。読書においてもマゾだったのだ。荒俣宏とか中野美代子とかは膨大な知識を面白くわかりやすく書いていてくれたのでかなり救われた思いがあった。で、今近現代の文学として手近にある本の何を読むかということになって、中谷宇吉郎や寺田寅彦はしばらくいいやと思い、積読中の積読だったタイトルの本を読みだした。初期の作品と思われちょっと軽薄な感じがしなくもないが、まあここからなのだという感じでもある。だんだん、けものみちのような人のなかなか訪れない世界へと連れて行かれることになるんだろう、という期待だけが今はある。でも寝る前に読むので数ページずつということで進みは異常に遅いであろう。しかもこの本はちょっと頑張って買ったにもかかわらず、建付けの悪い自宅の作り付けの棚に置いておいたせいで雨水が侵入して見事にカバーも函もシミができている。続巻も読む気になったなら、たぶんこの第1巻は新しいものを買いなおすに違いない。続く。


2014-06-18

_ カツオのたたきのカマサクを買って早く帰宅。猫たちとシェアして食べるのだが、当然俺の取り分の方が多い。当たり前だ。ところで、それを造ってるときにふと思ったことがある。もしかしたら、苦しいことや哀しいことと悩むこととは別なのではないか。苦しいということや哀しいということから悩みは始まるのだろうが、苦しくてもその苦しさを認めてしまうような気の持ちようはあるんじゃないのか。そう思っているとついうっかり包丁で指の先を(皮より深い程度にすぎないが)切ってしまった。じんわりと痛みがやってきたが、仮に俺が、何もしないでただ、「痛いなあ。この痛みは何の報いなのだ。俺は正しく生きてきたというのに。これは天が俺を滅ぼすしるしなのか」などと四面楚歌の項羽のように悩んだとしたら、その苦しみは無くなるであろうか。なんかささやかすぎる譬えなので、より大きくより防ぎようも癒しようもない災いがおとづれたときに同じように考えることはできないのかもしれない。だが、そういえばわが私淑するエピクロスはこう言ってもいた。死は我々とは関係が無い。なぜなら、死んだ途端に我々は死や死の恐怖を感じる機能を失ってしまうし、死んでいない間はもちろん死んでいると感じているはずはないのだ。かの人はこのようにして通常セットで考えられることの多い死と苦しみを見事に切断した。ならば俺もそれに習って、苦しみと悩みを切断することに努めようかと思う。ただし、苦しい時は確かに苦しいのだから、苦しげな様子をしていることはしかたない。でもその時俺は、悩んではいないかもしれないのだ。まあ苦しくないのならもっといいのはもちろんのことだ。そうこうしてるうちに頼んでいた本が3冊届いた。「ハンニバル・レクターの記憶の宮殿」「仏教入門」「仏典を読む」である。第1のそれは記憶の宮殿への興味によって購入したが、残り2冊はご覧の通りで、苦難に立ち向かうヒントのようなものを、試験間近の高校生みたいな心境で買い求めたのだ。昨日の日記に書いたように、ヨブの物語を我がこととして我を慰めるには俺には信仰心と言うものが欠けている。だが、初めからこの世界が苦に満ちているという前提で話が始まるのなら、これは信仰とは関係なく受け入れることができると思ったのである。ショーペンハウアがこの考え方を受け入れることができたのもそんなところだったかもしれない。彼はあろうことか、本当に苦しんでいる者にとっては自殺が慰めになるとまで言っていたはずだ。これはヨブと生き方を同じうする人には絶対に認められないことだろう。かといってもちろん、仏教が自殺を勧めているということでは全くない。まあともかくも、内村鑑三の「ヨブ記講義」やユングの「ヨブへの答え」を読み味わうためにはまず「ヨブ記」を読んでいなくてはならないことが当たり前であるように、仏教が苦難とそれへの慰めについてどう解いているかを知るにはまず仏典に触れなくてはならない。触れなくてはならないはずなのに、少なくとも俺には、聖書に触れるほどの気安さで仏典に触れることはできない。地方のホテルに泊まるとときどき仏典と称する単行本がおいてあることがあるが、これがどのお経を元に書かれたものなのかまるで分らない。般若経なのか涅槃経なのか阿含経なのか全くわからない。仏典を読むには仏典の読み方をまず知らなくてはならないではないか。そこで仕方なくこれら入門書を読んだうえでそろそろと本来の仏典に触れて行こうという訳。これらの本だって放送大学の「仏教入門」の参考書に載ってたのを買い求めたのがそもそもなのだから、参考書の参考として放送大学の講義があったという実にまどろっこしいやり方を取らざるを得ないのだ。かかる意味において、日本には一度は仏教は伝わったのかもしれないが、今ではその教えはほぼ廃絶されたに等しいとも見える。少なくとも日本の神話ほどには経典の文章は親しみを持たれていないし理解もされていないと言えるだろう。中世の頃ならば物語の初めにも仏教説話が出てきて曽我兄弟の敵討ちと言う極めてパーソナルな物語にもそもそも世界の初めは、みたいなところから始まっていたのだが。廃仏毀釈の影響はかように大きいというべきか。そんなわけで、もう初歩の初歩から行かざるを得ないのである。つづく。


_ [コンピュータ] RGtk2.

ところで、調子の悪い時にはそれでも何か、やれることをやるしかないという「10円曲げ先輩」のアドバイスに従って、Rをいじくっていたのである。Rには世界中の研究者がこぞってさまざまなパッケージを提供していて、それはもうどこやらの数理システム会社一社や2社では太刀打ちできそうもないくらい多彩な機能を実現しているのである。俺もできればそういうのにコントリビュートしたいところなのだが、そういう実力も注意深さも時間も無いので、こんなところでRは良い、Rはすごいというくらいしか能がない。で、今日知ったのは、GTKというGUIを造るためのツールキットのR版というのがある、と言うことなのだった。使ったことのある人ならお分かりのように、Rと言うソフトはもともとがS言語と言う統計計算に特化したプログラミング言語なので、コマンド入力で使われることが多いと思う。このへんから知ったかで書いてるが、たぶん気が向いたら「きだ」が修正してくれることと思うのでわりと気楽に書いておくのだが、一方MS Officeのようなパッケージはマウスでボタンとかドロップダウンリストとかセルとかを触って入出力を促すいわゆるGUIというインターフェースが主流であること言うまでもない。なのでそういう使い方ができなくてウィンドウズのコマンドプロンプト(ウィンドウズができる前はマイクロソフトだってこんなのがメインの入出力インターフェースだったなんて知ってるのは今や人類の過半数以下だ。ちょっと計数おかしいが。いいこと教えてやんよ。ウィンドウズって昔はMS-DOSっていうOSの上で動くソフトだったんだぜ!←今は違うの?って思った人もいるんだろうな)みたいなところにキーボードで文字を入力するのはCUIって言われる。まあなんにせよ、CUIに慣れてる人は指の変なところにタコを作りながらひたすらたかたかたかっとコマンドを打ち込めばいいんだが、マウスに慣れている人からするとそれはちょっとなあ…ってことになる。Rにはそういう引け目があるのだが、頑張ればGUIを作れる!というのがこのRGtkというパッケージなのだ。GTKというのはオープンソースでフリーな、GUIをつくるためのツールキットであり、もともとはC言語で使うものなのだが、今はPerlとかPythonとかJavaとかPHPとかいろいろな言語で使えるものになっている。ソースコードレベルではWindowsとLinuxでも(ある程度の、だと思うが)互換性があるのもちょっと魅力に感じたりする。実はWinアプリを作るのにちょっと凝ってた頃に、このGTK(今はGTK+2が使われていることと思う)を勉強しようとして買った参考書がある。今RGtk2(Rのパッケージの場合なぜかtkが小文字)でハローワールドを書くと、

_ Rのばあい:

 library(RGtk2)
 
 createWindow <- function()
 {
     window <- gtkWindow()
  
     label <- gtkLabel("Hello World")
     window$add(label)
 }
 
 createWindow()
 gtk.main()

_ Cのばあい(ウィンドウ表示するだけ):

 #include <gtk/gtk.h>
 
 int main( int   argc,
           char *argv[] )
 {
    GtkWidget *window;
    
    gtk_init (&argc, &argv);
     
     window = gtk_window_new (GTK_WINDOW_TOPLEVEL);
     gtk_widget_show  (window);
    
     gtk_main ();
    
     return 0;
 }

_ …いや、それぞれ別のところのチュートリアルからパクってきたのでどのくらい違うか俺にはまだわからんw。まあでも関数の書き方はやはりR流とC流で違ったりしているんだろう。Rだと=の代わりに<−って書いたりとかもある。そういうわけで1999年、いまだ喫煙者であっていろいろ煤けてるGTK+入門はどれほど役に立つかわからない。2もついてないし。まあどんなことができるかを絵本みたいに眺める役には立つか。そういうわけで、もはやRは一つのIDE(統合開発環境)と呼んでも良いものとなってしまっている。これで足りなければシステムコールを使えばいいし、ワークフローにしたければRAnalyticFlowを使ったらいいのだ。これで勝ち組と言えるかどうかは全く分からぬが。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

_ きだ [そんなマニアックな話は知らないので突っ込めません。わし、若者だし。w いや、RでGTKが使えるとは知りませんでした..]

_ けい [知ってるじゃろ、あんた。えい、食らえCP/M! たしかにGTKはWindowsでもLinuxでもなんか四角張ってると..]

_ うにゃ [カツオのカマじゃなくてサクじゃない?カマって頭の部分じゃない? ]

_ けい [そーだね。]


2015-06-18

_ そういえば、こないだの春麗対ティファの動画見てるとおすすめで「モータル・コンバット」の惨殺シーンを集めた動画があって、ヤダヤダと思いながらつい見入ってしまってたのである。で、昨日ジム行ったら血圧計の横に骨格標本が置いてあってギクッてなった。血圧上がるだろ!思わずつぶやいたね、「Fatality!」って。


2016-06-18

_ 今日は真夏並みに暑くなりそう。やばいな。朝から頭も顔も火照ってるし。蓮舫、出馬しないと表明。それでいいと思うよ。でも他に人材いるのかね?すでにマック赤坂が(いつものように)名乗りを上げている。スマイルが大事なことだけは賛同するが、それ以外にどんな人なのだか良くわからない。アメリカ大統領選挙みたいに史上もっとも不人気な候補者の中から、いやいやでも選ぶとしたら誰?みたいな選挙になるのかな。いや正直そんな批判めいたこと言えるほど実は政治に関心は無いんだった。ただ、候補者を選ぼうと思うなら彼らに関する情報をネットで調べることはある程度までは可能な時代となっている。選ぶための十分な情報が与えられてこその「選択の自由」なのだ。ただ、私自身は都知事選の選挙権を持っているわけじゃないので、しかしそうではあっても都の行政は私の生活になにがしかの影響を与えるものなので、都民の皆さんにはぜひとも賢明な選択を、とお願いしたい。木村多江主演の蓮丈那智のドラマが見たい。


_ [テレビ] タモリ倶楽部

みうらさんの「ナイブーム」続き。AMAブームは海女さんそのものよりも海女さんの人形のコレクション(フィギュ和)がかなりいい感じ。尿瓶コレクションはちょっとなあ。でも日本製のメモリ入りのガラス製のやつはなかなかクールジャパンだ。あとテープカットブーム。テープカットに呼ばれるための根回しして、イベント当日にはマイ・テープカッター持っていくという周到さ。その嫌らしも好き。空耳。「ジョニー・ビー・グッド」、午後、紅茶に行こう!じゃ値引き。強引。こういうの多くなった。「こう聞こえる」というより「こう聞け!」。嫌いじゃないけど。


_ なんとなく「とと姉ちゃん」の再放送見つつ、さらになんとなく、高校時代から大学に入ったころにかけて読んでたサピア&マーフィーの「デストロイヤー・シリーズ」を読みたいなと思って調べてみると、創元推理文庫で出てたものは絶版の様で状態の良い物を入手するのは難しげ。さらに、邦訳があまり進んでいなくて原作は145巻も出ているようだ。まあペリー・ローダンシリーズを全巻読むよりは読破できる可能性は高い。常子、同僚の裏切りのために失職してしまった。なんか当世においてもありがちな話しで、見てるの辛い。すまじきものは宮仕え。調子の良い時は「この生活で良かったんだ」なんて実感することもあるだろうが、家族だって会社だってこの国だって世界情勢だって、堅牢に見えるのは表層だけで、皮一枚の向こうにはいつだってこんな陥穽があることを忘れるべきではない。「そんなことはない」という幻想の中に生きていたいのなら、常子の同僚のように、自分が落ちそうな落とし穴には近しい物をどんどん陥れてその上を踏みつけて進んで行ったらいいだろう。あなたにはきっとそれだけの値打ちがある。私は決して承服しないけれど。それがアニマル・スピリッツというものだ。ただし決して後悔しないことだ。私にはできないだろう。ヒトが奪い合うパイはいつの間にこんなに小さくなってしまったのだろうか。過去に繁栄と見えたものがこのような方向に向かっていくのだとするならば、生きること、ひいては子孫を残すことにも意味だの大義などはない。たまたまそうなってしまった以上は、そのあり方を問うて生きるより他に無い、というだけだ。


_ 融けそうになりながら英会話行って買い物して帰宅。ボーっとしてて特に何もせずだらだらしてた。またしてもBSにブロックノイズが入るようになってしまった。アンテナ周りの枝刈りやったが改善せず、受信機側に入るF型接栓を見ると、4Cであるべきところを5Cでやってたようなのだが、とりあえずここをいじっても改善しない。最近雨だったので天候のせいかとも思ってたのだが、今日は雲が無い。アンテナ設置部のあたりを確認せねばならないが今日はもう暗くなったので、とりあえず明日明るくなってから調べることにした。笑う洋楽展とか良く見れないのはやむをえまい。もう少し高いところに設置したいのだが良い取り付け金具はあるんだろうか。こういうので悩むの、ちょっと疲れる。


_ ワトソン君が大学のティーチングアシスタントに紛れ込んだ話。こういうリンクはすぐ切れちゃうかもしれないけど。この話を気の利いたジョークと取るべきなのか、背筋の凍るスリラーと取るべきなのか。なんとなく思うことだが、”彼ら”が繁栄するためにはコンピュータが今よりももっと動いていなくてはならず、それによって夏がさらに暑くなる懸念。熱いの嫌いだからそんな事しか思いつかないよ。もうそろそろ寝るか。


_ と思ったが、今度はIoTの話題に苦笑しているところ。ネットにつながったタンポンが膣の中からWi−Fi経由で「そろそろ交換した方が良いですぜ」とスマホにアラートを送ってくる。これは4/1の記事なのか。背筋の凍るスリラーなのか。いずれは胃袋がそろそろ食事にふさわしい時間だと告げ、足の筋肉はもう疲れたから運動は止めてと告げ、内臓脂肪はちょっと増えすぎたから食事は控えて運動しろと告げ、脳は自律神経が乱れてきたからもう寝ろと告げてくることだろう。ありとあらゆる強迫観念が一気に顕在化したような感じだ。あるいはすべての物が語りかけてくる。まるで八百万の神がおしゃべりしていた神代の日本か、できの悪い絵本の世界のようであるかもしれない。いずれにせよ正気で受け入れることなどできそうにない。


_ 最後に今日いちばん笑ったネタ。駅の電光表示で「喜多方ラーメン」。原因がわからないというコメントも秀逸だけど、目撃者になりたかった。ただ、何らかのクラッキング行為のせいだとしたらちょっと穏やかではない。もしかして、他のあちこちの駅で同様の事件が起こりだすのではないのだろうか…?


2017-06-18

_ キュウレンジャーもエグゼイドもない日曜の喪失感よ…。幼い頃も日曜の朝のテレビは楽しみだった。「悟空の大冒険」が好きだった。スポンサーの日糧パンのCMも面白かった。世界中、どこへ行ってもパンでした。


_ ここ数か月、「婦人公論」を買って読んでいる。ほかに定期的に購読しているのは日経新聞位だから、愛読誌は婦人公論、ということになってしまう私(いわゆるおっさん)である。興味を持っているのは小保方晴子日記なのだが、最新号の記事を読んでいると、「どうして柏餅にだけ味噌餡があるんだろう」なんて、研究者らしいとも言える純粋な興味が示されていて、これまでの経歴や事件の顛末はともかく、本来この人はのんびりした人なんだろうな、などと思ってしまうのだ。この人を中心とする事件のことを思うたびに、研究者の倫理と言うものを考えざるを得ない。データの捏造の問題もあるが、近年は他者の成果をITの技術によっていともたやすくリファーすることができるようになった。そのせいで、自らの都合に合わせてまるでコラージュのように著作の一部を容易に引用することもたやすくできるようになった。本来著者がどのようなコンテクストでその部分を提示しているかを省みることなく。そのことに罪悪感を抱くものは現代ではもはや少数と言うことなのかもしれない。それはオリジナルの著者に対する敬意を欠いた行為であり、私自身は自らにそれをできる限り禁じているつもりなのだが、実はそのことに対して共感を求めることは間違っているのかもしれない。どこまでがグレーでどこからが犯罪的かという線引きは、ヒトの能力の範疇を越えているからだ。だから、他人に対して、私がフェアだと思っているような行為を求めるのはよした方が良いのかもしれない、と思う。このようなことで心を疲弊させるのは愚かなことだ。一方でこうも思う。コンテクストを考察して引用するということは読解力や想像力あるいは著者への共感能力などを伴う高度な技術を必要とする。それはたとえば理系一辺倒で育ってきた研究者にはなかなかできないことなのかもしれない。私自身もそんな育ち方をしてきたように思われる。ディベートと文学、そういったものは遅くとも大学時代に、そして共感能力は一生を通じて教育されるべき事柄だったのだ。


2018-06-18

_ 朝、大阪で大きな地震。昨夜は群馬。地龍が荒れている。

_ 夜ヨガは久しぶりの立位で腸腰筋を鍛える練習。日常的にやれそうな練習だが、ズボンが破れないよう気をつけなくてはならない。


2019-06-18

_ やっぱり風邪ひいてしまったようだが、だいたい治ったと思う。夕方近くなってこないだから続いている部屋の片付けを少々。紙類がものすごくて一見前より散らかってるようにも見える。机の下が綺麗になったので地震の時は潜って一時的に避難できるようになったという次第。


2020-06-18

_ 夕方から雨。でも散歩12キロ。久しぶりに餃子買ってきた。これから食べる。


2021-06-18

_ 夜ヨーガの後。何となく「誰がカバやねん」というフレーズを思い出す。元ネタも何もかも知らなかった。


2022-06-18

_ ブリッジと一体化してた歯が取れてしまったので歯科へ。全然覚えてなかったが、外れた部分は樹脂製だった。5分くらいで作り直してもらって復旧。そのあとジムで自主ヨガと筋トレ。ピンチャーマユーラーサナ、できる気が全然しない。三点倒立から徐々に移行するのはどうか。その後スーパー銭湯へ(初めて)。あちこちの銭湯を巡って普通の銭湯の良いところをいくつも知ってしまった今となってはスーパー銭湯は割高に感じる。でも露天と炭酸浴と水風呂と黒湯があったので満足。兀突骨の歌を口ずさみつつ帰宅。小声のデス・ヴォイスで「お前のー しかばねー さらしてー みせしめー」(『殉教者』)などと歌う。人に聞かれたら詰む。

_ しまった、金カムとよふかしのうた買うの完全に忘れた。


2023-06-18

_ 日曜の朝。朝食をとりながらNHK日曜討論を、はじめはラジオで、ついでテレビ(NHKプラス)で視聴していた。ラジオで各論者が話しているのを聞いていると、それぞれが互いをどう感じながら話しているのかはほぼわからない。好意や敵意は言語で表現しようとすれば遅延が生じ、しかも表現としては強いものとなってしまう。口に出さないと伝わらない思いというのは「重い思い」なのだ。これオヤジギャグな。そこでテレビ画面に切り替えてみると、論者は皆発言者の言葉を傾聴しており、同意を示すうなずきや笑顔、時に苦笑などの言わば「思いのフラグメント」を(言語に比べて)遅延無く大量に放っているのがよく分かる。そのおかげで、この"討論"の場はとても良い雰囲気の中で進められており、視聴者にも有益な内容を提供しているように感じられる。非言語コミュニケーションの重要さを感じた。ヒトは群れで行動する動物としてかく生きてきて今かく在る、ということだろう。奉仕や騙し合いといった必ずしも本意とは限らない生存戦略もその中で発達してきたのだ。それにしても、人手不足は続くようだ。ホワイトカラーはむしろ余りがちであり、現場で手足を動かす人材が足りない。この状況は僕のそう遠くない未来にも関わることなので無視できないことだ。

_ というわけで図書館から借りた本を返す行脚に出かけたのだが、県立の本返しに行った西口カウンターのあるかながわ県民センターはお休み。ここがお休みだと本の返却ポストも使えないのだった。この罠に何度ハマったことだろう。という訳で返却期限が過ぎてしまったが必ずしも僕の所為だけではない。とりあえず年間の休日はカレンダーに登録しといた。いつ返しに行こう。。。この後銭湯、風呂上がりにちょいと一杯で夢正宗涙雨降ラセルザザザト。


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