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2005-10-15
_ [矢倉沢往還] 渋谷から東目黒→祐天寺へ
宮益坂を出発して渋谷の中をぶらぶら。良く通る道のすぐそばに思わぬ史跡があるものだと思った。神南で、初めてNHKスタジオパークに行く。私の好きなじゃじゃ丸のぬいぐるみも飾られていた。スプーの撮影会が大盛況。良く利用するインド料理屋のバイキングでお昼を取ってからさらに道玄坂を越え、大坂の氷川神社、池尻の稲荷社を詣でる。それからエクスカージョン。防衛庁施設を迂回して東目黒の辺りに庚申塚を探す。蛇崩の辺りで古い道標に「東奉納庚申塔」と読める刻があったので向うもわからず、蛇崩緑道の辺りを3度ほどまわってあきらめた。葦毛塚は見つかった。どうやら地図に書き込んだ位置が間違っていた模様。
日暮れる。祐天寺に向って歩く途中、雨が降ってきた。ホームで缶ビールを飲んで帰宅。
_ [読書] 『街道の日本史2 蝦夷地から北海道へ』(読了)
『街道の日本史2 蝦夷地から北海道へ』を読み終えた。蝦夷地は中世の頃は流刑地。東本願寺道路、囚人ロードなど歴史の道の多くは明治以降のものとなっている。第1巻「アイヌの道」も近々に読みたいと思う。
学生時代に知里幸恵と知里真志保のアイヌ神謡・民話を岩波文庫で読んだ記憶が少しよみがえる。これらの中に史実の痕跡を求めて辿る、という考えが浮かぶ。
これまでの修行(?)によって、古跡を下調べする方法、20km歩いても苦にならない体力、踏査点へのアクセスの仕方、衣類や持物の工夫など、街道歩きにとって基礎となるべき材料は大体そろったように思う。
今は第二段階、もはや漫然と歩くだけでは事足りず、歩きながら何かを考えるべき時にあると思い始めた。きっとますます楽しくなる。
2006-10-15
_ カブト見て寝て庭を眺めて功名が辻見て寝る。
今日も背中が痛い。持ち帰り仕事も全くやる気が出ず、ほとんど寝て暮らす。
ちょっとだけ外に出て庭を観察する。蝶の幼虫に食い荒らされた山椒も、天敵が居なくなったこの隙にとばかり新しい葉を伸ばし始めた。咲き残ったブッドレアを力無い蝶たちが争って蜜を吸っている。ネットで調べるとツマグロヒョウモンのメスのようだ。バタフライ・ブッシュと呼ばれるこの潅木に、夏、アゲハはあまり集まってこなかったような気がする。トキジク=橘に付くアゲハの幼虫は常世虫と呼ばれて崇拝の対象になったことが遥かな昔にあったそうな。常世田令子『常世伝説の謎』にそう書いてあった(偽作では無い)。尖ったサフランの芽がやっと出てきた。たくさん撒いたルピナス=のぼり藤はたった2株だけ発芽した。水を撒くと放射状に開いた5枚の葉のその放射の中心に水玉が載って、可愛らしい。月桂樹も次々に若い葉を生やしていて、カレーにスープにと重宝している。。。
夜、大河ドラマ「功名が辻」はいよいよ関ケ原。中山道の歩き旅のときに古戦場を見て回ったのを思い出す。
夜中、地図を見ながらさまよっている夢を良く見る。等高線の詰まった小山の上に史跡があるのを見て疲労感に襲われながらさまよったり、大都会の中を通る旧街道跡沿いの巨大なビルを有する駅の名が何と「田舎」という名であるのにおおはしゃぎしたり。出かけても家にこもっても街道にまつわる煩悩にさいなまれる日の嬉しさ-
2010-10-15
_ 対人関係療法に興味が出てきたことは以前書いたと思う。今手元にある3冊の本はいずれも水島広子先生が訳に関わっている本。読んでいるうちにやはり書き込みながら読みたいという気持ちが強くなってきたので「対人関係療法クイックガイド」を(古本で)求めた。参考書を集めまくる行動は問題意識の表われで、子供の頃から変わっていない。おかげで蔵書の半分以上は正直完読していない。まあそれでいいんじゃないかとも思っているのだが。そのくせ人に本を貸すことには狭量な私だ。本を所有しているということは、そこにある知識を欲する時に得ることができる権利を持っているということでもあり、その権利が損なわれるような気がするせいなのだろうな。
通勤中に学術書を読むことは無理だ。近頃は小説も読めない。小説を読む割合自体が減っている。読む場合も、その物語自体には実はあまり興味が無かったりして、むしろその作家がどういう風に書いているのかとか何故それを素材にしたのか、といったことの方が面白いこともある。その作品たるや退屈極まりないのにその作家自身はとてつもなく面白い人物である、ということもあるんじゃないかな。ちょっといい例が思いつかないが。でもそれってもしかして単に文才の無い面白い人のことか?それでもなお、そのような著者であるがゆえに作品が売れまくり、文才は無いが売れっ子になってしまっているということも世の中にはあったりするんじゃないだろうか。そんな甘いもんじゃないか。ともかく、通勤電車で読む内容としては新聞が最適と思う。でも込み合う車内であの広い面積の紙を扱うのには相変わらず慣れない。それに場合によっては数日前の新聞を読んでたりもするからな。たまに「あれ?今日日経は休刊日じゃないのかな」なんていういぶかしい視線を感じたりするのもいみじうをかし。折り返した時に真ん中辺の紙面が床にバサリと落ちる様もいとあはれ。
夕食後の珈琲が近頃特に旨い。
2011-10-15
_ [コンピュータ] Skype設定した。
でもおはなしするお友達がいないの。淋しくなんかないやい。
↑そういうことを書いてたら弟の人と父の人から通話が入った。なんかICQやってたときのことを思い出して変な気分。宇宙ステーションと地球の会話みたいな感じになってるけど、電話だけで話してるのとは違うリアルタイム性が感じられてなかなか良い。ちなみに部屋が汚いのでカメラに映らないようにカーテンで隠したw。パソコン画面の共有ができるのでデスクトップにあやしい画像とか貼らないようにしないとな。ファイル送受信ができそうなんだがわからず。有料版にしないとだめなのかも。ネットにつながるPCがあればあとは2000円足らずのWebカメラ+ヘッドセットで十分会話になる。音声も思ったより明瞭に聞こえる。離れて暮らしているご家族には良いのでは無いか。
_ [コンピュータ] C++の世界に舞い戻る。
もう何年もC/C++によるプログラミングをしていない。統合開発環境としては昔からずっとVisual Studioを使っていたのだが、ここもマイクロソフト依存性を低くしたいと思ってEclipseを使うことに。EclipseはもともとJava用の開発環境だが、プラグインがあれば他にも使えるようだ。 C/C++の開発環境として使うために、Eclipse IDE for C/C++ Developersをダウンロード。これをインストールするだけでIDEとして使える。ただし、C/C++コンパイラがまだ無い状態。 次に、MinGW - Minimalist GNU for Windowsをインストール。これだけでもまだビルドできない。なんかよくわからなかったがもう一度Eclipseをインストールしなおして、C/C++のイロハ:メモリ管理からオブジェクト指向までを参照して、今ここ。 コマンドプロンプトが開くのかと思ったら違ってちょっとやりきった感がいまいち。あと、MinGWが64ビットで無くていいのかとか気にしたけどどうすることもできず結果オーライ(?)次は、C++とかSTLとか思い出しながらOpenCVを使って画像処理とかしたい。_ プログラミングに依存する仕事は、コンピュータへの拘束性が高くなるという深刻なリスクを抱えている。敬愛するプログラマ・結城浩さんが「プログラマの心の健康」という記事を書いている。その中に、「わ・ざ・と・ゆ・っ・く・り・や・っ・て・み・よ・う」(←この文字間に中点入れる表記は打ち込むのにイラつくんだが)というのがある。敬愛する野宿研究家である村上宣寛さんは、山登りの時の歩くペースには「ゆっくり」と「もっとゆっくり」の2通りしかない、と著書に書かれてた。私もそろそろ半世紀の人生となる。心身を危機に陥れるほどに急ぐ理由など無い。きっと誰もがそうだ。自分や誰かをその犠牲にしなくてはならないほどにやらなくてはいけない使命なんて、きっとどこにもない。犠牲無しには存在しえないものはパニックに陥った生物と古い神だけである。
2012-10-15
_ 身延道はお題目を唱えつつ歩く道。
今日は日経朝刊が休刊なので、昨日の新聞を携えて会社に出かけた。帰りの電車で「危機と日本人」を読んでたら、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のことが書いてあった。たしかこの文章は賢治の死後見つかったものだったと思うが、この有名な文章の前後を挟むように法華経の題目が書かれていたというのである。賢治は熱心な日蓮宗の信者で、信仰をめぐって父と対立したと記憶している。
ところで先の身延道であるが、言うまでもなく日蓮宗大本山身延を目指す参詣の道である。だから、道の上にはたくさんの題目を刻んだ石がある。これらに刻まれた南無妙法蓮華経はほとんど、ハネやハライを勢い良く伸ばしたいわゆる「髭題目」というものである。私は何かの宗教の信者ではないのだが、それでもこの道を歩くからには多くの題目が目に入る。自覚的に題目を唱えた記憶はないが、身延道をたどるウォーキングは誰が行ったとしても、題目に気分づけられたものとなることは間違いがない。
_ [食べ物・飲み物] ポーションティー。
夏から最近までずっとポーションティーでアイスティーを飲んでいた。コーヒーに入れるミルク(関西では"フレッシュ"というアレ)の2-3倍くらいの同型の容器に入った濃縮紅茶を二個分、プロテインを溶かすシェイカーに注いで、ふたが閉まるくらいまでガッツリと角氷を詰めて残りの部分に水を注ぎ、ふたを閉めてシェイクシェイクするとつべたいのができる。ちょっと濃いので二口くらい飲んでからまた水で少し薄める。こういう飲み方をこの後もしばらく続けたいと思ってスーパーで買おうとしたら、もうすっかり取り払われてしまっていて、代わりに俺の苦手なショウガ湯とかゆず湯とかそんなのが置かれてた。ふざけるな、まだ暑いんだ俺は。茶葉を水出しで淹れとくとかそんな面倒なことをしたくないんだよ俺は。昔、SF作家が中心となって、冬でも冷やし中華を食べることができるようにする運動のごときが行われたと記憶しているが、俺には冬でもアイスティーが必要なんだよ。よおし、かくなる上は…
そう思って楽天市場を探してみたらほぼ売り切れと見える。ひどいわ、味をおぼえるだけおぼえこませておいてお預けだなんて。アアこんなに欲しいのに…。
2014-10-15
_ ささやかなミステイク2つ。その1。他大学から借りた本を返しに学校の図書館行ったら、本を入れてた袋を持参するのを忘れてたことに気づいた。その2。スーパーで20円割引のチケットを1品目に間違えて2枚添えて出したら2倍割り引かれてしまった。レシート見て気づいてカウンタに申し出たら「こっちのミスなので…」とそのままにしてくれた。申し訳ない。また買い物行くから許せ。
_ ささやかな「あ、やべえ」。スマホで「インプリント」という言葉を調べようとしたら「陰部─ウィキペディア」がサジェストされたので何気なくページ開いてビビりまくった。だが、こんなこともあろうかと思って覗き見防止フィルムを付けておいたのが役に立ったよ。ウィキペディア、モロ過ぎる。
2015-10-15
_ ラフランス凍らせた奴昨夜食べてみたが、くし型に切ったのが良くなかったかもしれない。固い。冷えすぎてて味よくわからず。まあたぶん旨かったんだと思うんだが、冷たくてよくわからない。
_ 最近岡村靖幸が好き。プライベートの生活が幾分荒れてた頃に、都内某所で夜中に掛かっていた有線で聞いた「カルアミルク」がずっと耳に残っていて、それが岡村ちゃんの曲だということを認識したのは割と最近のこと。youtubeには多くの動画がアップされている。「ぶーしゃかLOOP」が面白いな。座りの悪い日本語の歌詞を無理やり曲に押し込んでるのもなんだか心地良い。いや正直この人のことはどんなふうに語ればいいのかほとんどわからない。良い。ダンス上手い。ぶーしゃからかぶー。たぶん23歳。ああ良い。才能に嫉妬する。良い。
2016-10-15
_ ディランの受賞に対するアービン・ウェルシュのコメント:「私はディランのファンだが、これは、もうろくしてわめくヒッピーらの悪臭を放つ前立腺がひねり出した検討不足で懐古趣味な賞だ」
この評価自体が正当かどうかはともかく、「悪臭を放つ前立腺がひねり出した検討不足で懐古趣味な」という表現がハートに突き刺さった。ちょっと使ってみたいけど使う機会は来ない方が幸福と言うものだ。
_ [テレビ] 「逃げるは恥だが役に立つ」
ショートバージョンの再放送が始まって見てるとこ。みくりちゃんの頭の中には事あるごとに「情熱大陸」のテーマが鳴り響く。星野源は良いよな。自称「静かなる変態」。こないだ「掟上今日子の備忘録」見てた時、及川光博がサムアップしたのに対してサムアップを返す今日子さんの仕草に心の臓をわしづかみにされたのだ。そんな仕草が今回のドラマでもたくさん見ることができるのを期待している。
今見終わったとこ。噂通りの良いエンディングだった。振り付けはPerfumeの振付をしてるMIKIKOさんと言う人のそれ。そう言われると確かにそんな感じ。次週も楽しみな感じ。
_ [特撮] 「ウルトラQ」1966.円谷プロ。
もちろん見たことはある訳だが、見始めた。季節の所為なのだろうか、まだ鼻がぐすぐすする風邪の所為だろうか、鼻の為に飲んでいる小青龍湯の所為なのだろうか、ともかく何をしようと言う気力が湧かない。こういう時は普通不安を感じたりして気分障害を起こしていることが多いのに、なぜか気分がそう悪いという訳でもない。楽しいのでもないが、テレビや動画を見ているとつまらないものに感情失禁して声を出して笑ったり涙ぐんだりしている。まあそれ以外は静かに暮らしているのだが…。これはこれで精神上の問題が生じている状態ではないかと思う。たぶんこれまでにもあったのだろうが、この状態のことを特に重く見てはいなかったのかもしれない。ともかく、あまり生産的なことをしたいと思えず、料理もしたいと感じず、食欲も少し減退しているようだ。それでさしあたりスモークチーズなんかを摘みながらコーヒーを飲んで映像ばかり眺めているのだが、その一つがこの「ウルトラQ」なわけ。若い桜井浩子が溌剌としている。彼女の美しさはウルトラマンで頂点に達するように思われるが、このウルトラQの頃は彼女は丁度20歳。
「第1話 ゴメスを倒せ!」記念すべき第1回。ゴメスとリトラのことは古文書に書かれたりする。リトラはゴメスが弱点とするシトロネラアシッドを吐く怪鳥である。可愛そうだなと思ったのは、卵からかえってすぐに戦わざるを得なかったこと。ゴメスも目が大きくてちょっとかわいげのある顔だ。これはある意味ゴジラのパクリのような怪獣だが、設定上はなんと哺乳類。ゴジラは海中爬虫類から陸上獣類に進化する過程上の生物との設定(Wikipedia)なので、まあ遠からず。しかしこうなるとゴジラ以降のゴジラに類した怪獣はすべてこの設定に当てはまることになりはしないだろうか?
「第二話 五郎とゴロー」口のきけない青年五郎と、アオバクルミという旧陸軍の開発した増強剤の過剰摂取で巨大化した猿・ゴローの友情の話。舞台は伊豆・天城地方である。同じく巨大化した猿はやはり旧日本軍が占領していたらしいイーリアン島という島にも存在していたらしく、日本のゴローは睡眠薬の入ったミルク缶のミルクを飲みほして眠らされたのち、この島に送還されることとなった。知らずにそのミルク缶をゴローに渡した五郎青年の叫びが悲痛。
「第三話 宇宙からの贈り物」ナメゴン登場。このストーリーをたどれば火星には火星人がいたという設定、ということになる。私は今この作品をモノクロ版で見ている(2011年にカラー版が作られている)が、ぬらぬらと光る皮膚の質感が素晴らしい。子供のころに見たままの感動が蘇った。つづく。
_ [テレビ] 「土曜ドラマ 夏目漱石の妻」(最終回)
第1回は見逃している。wikipediaなども併せて見ていてはじめて気づかされた。夏目鏡子さんの本名は「鏡」と一文字書いてキヨと読ませるとのこと。「坊ちゃん」の家の下女は清と書くがキヨと読む。これが漱石の(もう一人の、と言うべきだろうか。他方は大塚楠緒子と考えると)理想の女性である、と解いたこのドラマの解決はなかなか愉快だった。「愉快」なんて、ちょっと古臭い言葉わざと使ってみた。
_ [特撮] 「ウルトラQ」
「第四話 マンモス・フラワー」星川航空はセスナとヘリを持つ小さな航空会社で、そのパイロット万城目淳は今回、新聞社に空から撒くビラを取りに来たところ、マンモスフラワーの生長に伴う地震のことを知る。万城目は、由利ちゃんと当人の言うところに依れば単なるパイロットではなく、現実世界に少しばかり飽きがきており、下手なSFを書いたり宇宙旅行にあこがれているという、実は少々エキセントリックな人物だった。こういう人だからこそ次々と不思議な出来事に巻き込まれるのだろう。よりうがった見方をするなら、Qの世界は全てこの男の妄想の世界、と言っても良いのかもしれないのだ。それにしてもこの回のオープニングはなんだろう。ひび割れた地面がただ上下を繰り返すだけの、とりわけ恐ろしいのではないのだが違和感と嫌な予感を強烈に醸し出す映像。Qのオープニングにはわりとそういうのが多い。子供のころはそれをみていてじれったく感じたのを記憶している。さて、ひび割れに続いてお堀にぷかぷかと浮いている根っこ、そしてついに人を襲いだす根っこ。マンモスフラワーはどんどん増殖する。特撮的にはちょっと地味で、役者はこの根っこに自ら巻きついていくという「特撮に依らない特撮」に加担しているのである。一の谷博士の白ひげは見事である。演じるのは江川宇礼雄、本名は江川ウレオあるいはウィリー・メラーという日独ハーフ、とのこと。おお知らなかった。そして和洋折衷式の新聞社のビルを壊して芽吹き、ついに花開くマンモスフラワー。それを不安げに見つめる人々。そうだ、怪獣登場が番組の中で定常化する以前は、登場するまでにドラマがあったのだ。日常の風景の中に突如現れる異形。特撮放映が常態化する以前の、今や懐かしいシーンと言えよう。そしてその異形をより脅威と思わせることがある。この世界にはウルトラヒーローも仮面ライダーもスーパー戦隊も存在していないのである。毒花粉をまき散らすマンモスフラワー。それに対抗するのは人間の知恵であり行動である。万城目淳は空中の二酸化炭素を固定するための薬剤(何だろう?)を散布する役を買って出る。ヒーロー以前の時代に、ヒロイックな行動をしつつも怪獣の活躍においては狂言回しにとどまる、この秀逸な役割の設定を思いついたスタッフには脱帽する他無い。そして、前記のような人物設定を思い出せば、万城目淳は、ドラマ「Sherlock」に登場するワトソン先生と同様、自ら進んで危険に足を踏み入れずにはいられない異常性格者であると解釈できるのだ。
2017-10-15
_ [特撮] 宇宙戦隊キュウレンジャー
「ウシ型汎用破壊兵器」登場w。「汎用人型決戦兵器」という呼び方がいかに奇妙なものかを再認識させられた。どうやらチャンプ(?)が戻ってきたようなのだが、先回ショウロンポーももどっているので、キュウレンジャーの伝説はどうやって伝わったんだろうか。謎は深まるばかりでございます。スティンガーが絡むとストーリーが一気に深刻になってちょっといい感じ。ささいなことではあるけど、放送時間変わってからキュウレンジャーのEDのときにデータ放送に切り替えられないんだよな。ポイントたまんないよー。次回、伝説の「黄色の腰」登場。
_ [料理] 豆腐田楽
パック入りの豆腐を2つ買ってきて、一つだけ封を切る。もう一つはパックごと洗い、その上に載せておく。そのまま冷蔵、時々水を切ってやればいずれは程良く水が切れる。一週間近くほったらかしてたかもしれないんだが、無事だった。それを三つに切って、串も通さずにガスコンロのグリルで片面焼いている間に、味噌をみりんと少量の水で溶き、砂糖を適当に混ぜる。片面が焼けたらフライ返しなんか使って型崩れしないように返してその味噌を塗り付けて山椒粉を振り、焼く。これで豆腐田楽ができあがる。適当に作った焼き味噌が意外と旨い。この味噌はいろいろ応用が利きそうだな。大根とか茄子とか。しっかりと水切りした豆腐は喉に詰まりそうなぐらい食べごたえがある。
2018-10-15
_ [音楽] THE DOORS-THE DOORS。
ドアーズの最初のアルバム。ヤバいねえ。良いという意味でもあるけどやはりジム・モリソンがヤバいから。最初からずっと聞いて、今最終曲のTHE END。長い曲。ノイズ無いから捗るわ。
_ 夜ヨガ。いつものメニューであればスパルタン先生(女性)のクラスなのだけど、今月も来月もお出ましにならない模様。別の先生が代行すると知ったからだろうか、やけに今日のクラスは人が多かった。いつものスパルタン先生を期待してきたドMの生徒さん(我もだけど)には、ショックだと言ってる方も。こんなにたくさん奴隷がいるというのにどうしたのだろうか。帰り際にスタッフさんにカマかけてみた。
「スパルタン先生はずっとお休みなんですね。悪い病気とかじゃなければ良いんですけど…」
「いえ、そういうのじゃ無いんですけど、ご自身のご事情ということで…」
うむ、そうか。ならばまずは良かった。何かおめでたいこととかで出られなくなったのなら良いけれどな、などと思った。まあ違うのかもしれないが。
2019-10-15
_ 思いの外早く宇都宮餃子館の餃子が届く。しかし夕食に肉チャーハンを作って食べたので、今宵は3個だけ。チャーハンは中華鍋で作った訳だが、これも一度油を引いて煙が出るまで熱して一度捨てて、という手順で快適に使えた。始まったな、俺の鉄器時代。
2020-10-15
_ もくよーび。急に寒くなってきてウォーキングは上下ジャージでちょうど良い。途中夕食に立ち寄った店のチャーハンがデフォルトで大盛りでつらかった。例えて言うなら、札幌北二十四条・宝来のチャン大(チャーハン大盛)の半分くらい←すごく多いってこと。
_ ところで、どうしても手に入れたい本が古いもので、ボールペンで書き込みなんかしてあるような古書しか手に入らないことってあるんですよ。でも今日わかった。ガンヂー印のインク消しボールペン用。これでかなり綺麗に落ちる。これは知らなかったなあ!人生半分くらい損してた気分。もうこれからは、多少線引きがあっても躊躇なく古書を買える。積読が半端無く増えていくが恐れる事はない。恐らく八十代後半くらいにはほとんど処分してしまうことだろう。読破しててもしてなくても。積読など恐れることでは無いのだ。どうせ読まなくても処分する日が来る。それよりも、モーチベーションのある時に良書は手に入れておいたほうが良い。紙の本はもうすぐ無くなってしまう。単にコストがかかると言う理由だけで『華氏451度』の世界がある意味実現してしまうとは思わなかった。もっとも、人間が本になる必要は無いと言うことは良かったかもしれない。お、でも『華氏451度』はちゃんと読んでなかったな。買っとくか。古書で。書き込みぐらいしてあっても良いや。
2022-10-15
_ 歯医者で入れ歯の調整してもらってからその足でジムへ。週に2回の筋トレは理想的な負荷だ。できれば毎週そうしたいんだけどなあ。
最近存在を知ったパンク・バンド「オナニーマシーン」のベスト・アルバム『オナニー大図鑑』というのを聞きながらバスで帰宅。スマホに入れておいたのを初めて聞いたのだが、おかしすぎて滂沱の涙。マスクで半分顔が隠れているのを幸い、手拭いで目頭を覆って笑いを隠す。きっと気づいた人は何か悲しいことがあったのだろうと同情的になってくれたんじゃなかろうか。このオナニー覚えたての中学生が書いたような歌詞よ。こいつらのことが大好きになった。『チキチキバンバン』の替え歌で『チンチンマンマン』とかさ。聞き続けているうちに『メモリー・オナニー』という曲が始まる。「元気でやってるかい?恋人できたかい?やさしくされてるかい?夢は忘れてないかい?」なんかさださんの『案山子』みたいな歌詞。これは、the原爆オナニーズと合わせてもっと聴かなくてはならない。
_ 帰宅してちょっとした書き物の後YouTubeでオナニーマシーンの『オナニーマシーン猛レース』を視聴。 「オナっていればこの世は天国 にぎるポコチンどこへ行く〜」なかなかよく出来た替え歌w つうか懐かしいわ、チキチキマシン猛レース自体が。こいつらにとってはなぜかオナニーは競うものでそこにはいつも勝敗がつきまとっているように思われる。セックスを勝負に例えることは結構一般的で、とりあえず「一戦交える」なんていう言い方は良くされる。しかしこの勝負は何を持って勝利条件とするのかわからないのがややこしい。それが加虐と被虐の関係であっても前者が勝者である保証は無い。負けるが勝ちということもあるし。セックスを戦闘に例えるのはその行為が外見上戦闘行為に良く似ていてその目的はそれと全く異なるという点で、洗練されたギャグ以外のものでは無いのだ。しかし最低二人でする行為であればこそ戦闘のパロディとして扱うことが可能だと思うのだが、本質的に孤独な行為であるオナニーの勝利条件とは一体何であるとオナニーマシーンの皆さんは考えているのだろう?そういう点でもこいつらのことは大好きだ。あ、 兀突骨も好きだよ。
_ というわけでやっとアニメ『うる星やつら』の第一回の録画見れました。うん。うん。こういう漫画だったよなあ。オープニングにも高橋留美子さんの漫画版のキャラが動いてるところなんか出てきたりして、そこがむしろ「ああこれ新作なんだなあ」という感じで、いやあ来週も楽しみね。
2023-10-15
_ 図書館に行って床屋で3ミリの丸刈りにして(どんどん短くなる)ジムへ。サウナを好きなだけ利用できることの良さを知ってしまった。ジムは週に1日だけ休みなので、その気になれば週に6日整うことができるという訳だ。でも連日となると身体には負担が大きいような気もする。何より、それ以外何もしてないのに自己肯定感だけが肥大してしまうこの行為は果たして本当に良い物なのだろうか?まあでもそれが入浴という行為に伴うある種の背徳感なのであろう。この背徳感を含めて楽しむべきなのだ。
_ 大学の講義の関連で生まれて初めてハイデガーの本を読んでいるが、何を言っているのかさっぱりわからない!第二次大戦を挟んで生きたこの人の膨大な思索を辿る旅がこの年から始まると思うと絶望的だ。そもそも自分の分の一生しか送る余裕の無い自分の一生の中で、他人の人生をどれだけ追体験できるというのか。この事実だけで、他人を完全に理解することは不可能であるという不動の結論が導かれる。これを応用すると、相互理解ということも、その前提として、この事実を肯定的に受け入れた上ではじめられなければならないということに気づく。
_ きだ [うる星やつら、見ました。確かに、最初はそんな話だったよねと懐かしく。あたるの声が違和感無くて芸達者だなとか、あたるの..]
_ けい [ラムちゃんのお母さんもラムちゃんなんだよねー。古川登志夫さん、あたる役神谷浩史さんに、自分も二代目をやった時大変なバ..]