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2022-10-15 [長年日記]
_ 歯医者で入れ歯の調整してもらってからその足でジムへ。週に2回の筋トレは理想的な負荷だ。できれば毎週そうしたいんだけどなあ。
最近存在を知ったパンク・バンド「オナニーマシーン」のベスト・アルバム『オナニー大図鑑』というのを聞きながらバスで帰宅。スマホに入れておいたのを初めて聞いたのだが、おかしすぎて滂沱の涙。マスクで半分顔が隠れているのを幸い、手拭いで目頭を覆って笑いを隠す。きっと気づいた人は何か悲しいことがあったのだろうと同情的になってくれたんじゃなかろうか。このオナニー覚えたての中学生が書いたような歌詞よ。こいつらのことが大好きになった。『チキチキバンバン』の替え歌で『チンチンマンマン』とかさ。聞き続けているうちに『メモリー・オナニー』という曲が始まる。「元気でやってるかい?恋人できたかい?やさしくされてるかい?夢は忘れてないかい?」なんかさださんの『案山子』みたいな歌詞。これは、the原爆オナニーズと合わせてもっと聴かなくてはならない。
_ 帰宅してちょっとした書き物の後YouTubeでオナニーマシーンの『オナニーマシーン猛レース』を視聴。 「オナっていればこの世は天国 にぎるポコチンどこへ行く〜」なかなかよく出来た替え歌w つうか懐かしいわ、チキチキマシン猛レース自体が。こいつらにとってはなぜかオナニーは競うものでそこにはいつも勝敗がつきまとっているように思われる。セックスを勝負に例えることは結構一般的で、とりあえず「一戦交える」なんていう言い方は良くされる。しかしこの勝負は何を持って勝利条件とするのかわからないのがややこしい。それが加虐と被虐の関係であっても前者が勝者である保証は無い。負けるが勝ちということもあるし。セックスを戦闘に例えるのはその行為が外見上戦闘行為に良く似ていてその目的はそれと全く異なるという点で、洗練されたギャグ以外のものでは無いのだ。しかし最低二人でする行為であればこそ戦闘のパロディとして扱うことが可能だと思うのだが、本質的に孤独な行為であるオナニーの勝利条件とは一体何であるとオナニーマシーンの皆さんは考えているのだろう?そういう点でもこいつらのことは大好きだ。あ、 兀突骨も好きだよ。
_ というわけでやっとアニメ『うる星やつら』の第一回の録画見れました。うん。うん。こういう漫画だったよなあ。オープニングにも高橋留美子さんの漫画版のキャラが動いてるところなんか出てきたりして、そこがむしろ「ああこれ新作なんだなあ」という感じで、いやあ来週も楽しみね。
うる星やつら、見ました。確かに、最初はそんな話だったよねと懐かしく。あたるの声が違和感無くて芸達者だなとか、あたるの父があたるだったとか、やっぱりメガネはいないのかとか、若い人は黒電話知らんだろとか、ジェンダー団体(?)から苦情来ないのかとか思いながら、私も見続けると思います!
ラムちゃんのお母さんもラムちゃんなんだよねー。古川登志夫さん、あたる役神谷浩史さんに、自分も二代目をやった時大変なバッシングを受けたので全面的にバックアップしたい、とコメントしてました。これ、風魔一族のルパンのことかな。