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2005-11-01 『街道の日本史12 会津諸街道と奥州道中』(読了)/『東関紀行・海道記』読み始める [長年日記]
_ [読書] 『街道の日本史12 会津諸街道と奥州道中』読了。
シリーズ全56巻のうちこれで5冊読んだことになる。日本全国、先は長い。『小公子』を訳した若松賤子(何という名だ!これは神に仕える敬虔な心を表すペンネームだそうな)さんも会津の生まれ。この人の訳と思われる同作の朗読を、かなり昔NHK・FM「朗読の時間」で聞いた記憶がある。名訳の誉れ高いものと知る。
_ [読書] さて、次は
『東関紀行・海道記』を読み始める。街道への想いの変遷を知るための読書、と心得て。古事記のヤマトタケル、更級日記の菅原孝標女を知って、今度は名の残らない作者との、鎌倉時代の東下りの旅を行く。まずは「東関紀行」。短いのでまずは辞書無しで読み通して見ようと思う。元ネタのわからない部分が結構あるようなので調べ読みを丁寧にやるとなれば相応の時間がかかりそう。この作者は8月(この頃の8月っていつ頃?)に京を発ち、逢坂の関から琵琶湖東岸を通り、武佐・醒ヶ井・柏原・関ケ原(不破の関)・垂水と進み、そこから熱田に出ている。中山道-美濃路-東海道、と言うルート。木曽路を通らない、ということだろうか。この頃の一般的なルートなのだろうか?もしかして帰り道で通るかも、とか思いつつ明日に続く。
_ [読書] 『東関紀行・海道記』(岩波文庫)続き。
「東関紀行」は深夜に一応読み終える。帰り道のことは何も書かれていなかった。
続いて「海道記」。どちらも所謂「和漢混交文」という文体だが、「海道記」の方は漢文の比重が高く、少々読みがたい。両者ともに当時の和・漢の古典の名文を多く引いており、共に相当の知識人であったのだろう。この元ネタを全て明らかにする作業は大変そうだな、と思っていたのだが、あるところにはあるのだった。
横浜中央図書館の書庫に『東関紀行全釈』『海道記全釈』というおのおの300ページ以上という書物があった。発行は平成になってからで、武田孝という人の著作。この方は「群書類従」に納められている本を原本としている。「群書類従」と言えば、塙保己一が江戸末期に編纂して現在も温故会館で版木を保管し、かつ必要に応じて印刷もしている、という、以前矢倉沢往還の”旅”で知った、アレだ。
『東関紀行全釈』の方を借りてきた。注釈はまず冒頭「齢(よわい)は百年の半ばに近づきて…」の「齢」とは何か、というところから始まる。本文に含まれる語のほとんど全てに注釈がある!本文をまず語に分解して、ひとつひとつをカードに書き込んで分類して、という作業を行い、二年掛けて著したということだ。人の営みの偉大さを感じざるを得ない。