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2005-11-24 [長年日記]
_ [統計学] 分散分析
何ヶ月か振りに仕事で分散分析をやる。分散分析との初めての出会いはもう8年くらい前になるだろうか。田口玄一の統計手法がアメリカで多くの事例を出し、日本に逆輸入されだしたのがその頃といえるだろうか。当時分散分析を気楽に扱えるソフトは容易には手に入らず、エクセルと愛するOriginとをでくりくりと計算していたが、今はRを使っている。Rを使うことのいいことは、お仕着せの構造モデルをただ使ってその結果に不平をこぼすということが無くなるということだと思う。どんな構造モデルを使うかをユーザーが決めるということは、対象がどういう要因とどう関わるかについてそのユーザーがどう考えているかを表明することで、Rを使い続けるということは、絶えず解析の対象にどう立ち向かっているかを問われ続けることにもなるようだ。
_ [読書] 山上竜彦『つるりとせ』入手。
漫画家・諸星大二郎が小説を書いていたことを知ったとき、「じゃあ、あの人は最近何かを書いているだろうか」と思ったのは、愛する山上竜彦(山上たつひこ)だった。ネットで調べると『追憶の夜』より新しい単行本は出ていないようだが、過去の作品で『つるりとせ』というのがあって、これはまだ読んだことが無い。古書店で入手できた。300円、美本、初版。
漫画家が小説を書いた、という例は他にもあるかも知れないが、小説家になったという例を山上竜彦以外に知らない。『がきデカ・ファイナル』の最後にこまわり君の言った台詞「大きな夢があるが今は言わずにおこう」は小説家となることだったのだと考えている。漫画と言う表現手段から小説に転じるということには検討に値する問題があるのではないかと思っている。2つの表現手段における、伝えられること/伝えられないこと・独りきりで達成できること/し難いこと・同様の内容を表現するに要する手間、といった数々の違いを明らかにした上で、漫画家が漫画と言う表現手段から小説に移るということの意味を考えるのは面白いことかもしれない。山上竜彦の初期の小説、『ブロイラーは赤いほっぺ』『それゆけ太平』などは、なぜ漫画でなく小説で表現されるべきだったのかと考えるとよくわからないものだったが、『追憶の夜』の中に猫又警部の面影を辿ることは今や適わない。
山上竜彦は本当に小説家となった。「小鳥のせんずりが聞こえてきますなあ」といった類の下劣なクスグリが作中に見られなくなっていくのは寂しいことではある。
『つるりとせ』読むのはこれから。