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2005-11-15 禽鹿の道 [長年日記]
_ [交通史][読書] 禽鹿の道
引き続き『北海道交通史』を読んでいる。蝦夷地は日本の支配地でありながら、道南を除けば江戸期以前にはほとんど外国と言ってよかったことだろう。アイヌの人々は道路工事を組織的にすることは無く、川に舟を浮かべたり、踏み慣らした道やけもの道を使っていたようだ。丁度中国の三国の頃の日本の道が魏志倭人伝で「禽鹿の道」と表現されたように、和人の記録にそんなことが残っている。アイヌの人々は文字を持たなかったので、彼らの側から歴史を辿ることには自ずと限界があることだろう(ユーカラの調査や考古学的な手法)。日本で史学が発達しなかった頃には近隣の先進国である中国の史書にその歴史の記録が求められることが多い。江戸の頃には和人の側からの蝦夷地の記録が見られる。
ところで不凍港を捜し求めていたと言うロシアはどうだろうか。彼らが中国の史書に当たるものを作ったかどうか知らないし、どれほどの垂涎の思いで蝦夷地を眺めていたかも知れない。私はロシアに関するいかほどのことも知らない。が、何やら問題意識の如きものが目覚める。手に余ることかもしれないが。
道づたいに道を調べていて想いは最果てに赴かんとしている。道の交わるところには異界の門が開いていると言う。サイノカミの力も及ばす、異界の魔にとらわれてしまったのだろう。
今日も道歩きを夢で見た。私は東京からまたどこかの地方に伸びていく街道を鹿島立ちして間もない。富士山のふもとを通るまでにあとわずかだが、近隣の名所を見逃しているので今日は自転車でそれらを廻ろうとしている。そういう夢だ。始めて見る東京の愛宕山は切り立つ岩の山だった!二つの対称な大岩が僅かな隙間を隔てて並んでそびえていた。東京にもこんな異観があったのだ、と感動したのだった。