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けいりう堂日記

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2005-10-01 [長年日記]

_ [矢倉沢往還] 赤坂から赤坂まで。

今日は大山道-矢倉沢往還の鹿島立ちであった。が、憲政会館を見学して、日枝神社を訪ねたらお昼。それから氷川神社を訪ねる。妙齢の女性が何人も訪ねてくる。どうやら氷川きよしのヒット祈願のようである。しかし都内にありながら薄暗い木立の中のたたずまいは良い。ああ、良い旅だなあ…なんて思うのだが、横浜から来てるんだよな。安い旅だ。その後雷電為衛門の墓所を訪ねたり乃木公園に寄ったり外苑をぐるりと廻ってなんじゃもんじゃの木を見たりして最終的に赤坂見附に戻ると18:00を廻っていた。歩数は3万歩に近かったが大山道はほとんど進んでいないということになる。神社に行くたびに婚礼の儀式が見られた。今日は大安?

そして神保町に行って渋谷で飲んで帰って来た。『創聖のアクエリオン』のサントラを買ってきた。


2005-10-02 講義始まる。 [長年日記]

_ 講義が始まった。まずは9:45からラジオで「経済学入門」。先生とアシスタントの対話形式で、平易な感ある。が、テキストを読むのには思ったより時間がかかりそう。文章を理解するための常識的な理解力が私には少々足りていないのか、と思う。

15:15からは「上代日本の文学」。これもラジオ。今日の講師の古橋信孝さんは、ときどき自嘲的な笑い声になったり、話してる内容が理路不整然になる。文学の成立に関する話題ゆえ、整然さを欠くのも已む無きことかもしれない。

証明し得ないことがらにも果敢に立ち向かわねばならないのが、理学と違う文学の使命であって、心理学・民俗/族学・言語学・史学・考古学的な吟味はもとより、リファーしうる文献は全て知った上でそれでも足りない部分を想像力により補って、尤も確度の高い論を展開せねばならないという大変な学問だと思う。きっと美的センスさえ必要なのだ。

_ [読書][郷土史] 『三つの東海道』

楽天の期間限定ポイントが切れる時期だったので、手持ちのポイントを少し足して『三つの東海道』(湯之上隆著、静岡新聞社、2000)を注文していたのが今朝届いた。東海道双書の第1巻で、全部そろえるとすればあと8冊。矢倉沢往還のことが少し書かれている。足柄を通ったあとは横走を過ぎて三島に至る。東海道を歩いたときの三島の記憶が思い起こされる。三島に着いた翌日は修善寺にお風呂に入りに行ったのだった。三島に着いたらその足でそのまま伊豆を一周する旅もいいな、と思う。思い描くだけで楽しくなる。


2005-10-03 『死ぬ瞬間』 [長年日記]

_ 『死ぬ瞬間』キューブラー=ロス著、中公文庫

読み始めた。内容はなかなかに鬱展開だが、読み進むうちに面白く思えてくる。著者はその後心霊体験などをして路線が変わり、現在はまさに「死ぬ瞬間」にある、と訳者あとがきにあった。


2005-10-04 出張。 [長年日記]

_ 出張。名古屋方面に出張。結構準備に手間取る。こちらの出した提案に受け側は泣いて喜ぶかと思ったが、現実はなかなか手ごわい。


2005-10-05 [長年日記]

_ [読書] 『死ぬ瞬間』(読了)

キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間 死とその過程について』(中公新書、2001)読了。読みつつ老いた両親を思い浮かべる。彼らの死をいつかは受容するべきときが来る。とりあえず葬式や墓にかかるお金が気になる。それから、ここ10年以上ほとんど付き合いの無い親類縁者や父母の知人にどうやって連絡を取るのか、葬式の次第をしきることができようか、等々、もっぱらそういったことが気になる。父母とそういうときのことを話し合っていないわけだし。彼らが達者なことをいいことにして、彼らの来るべき死を「否認」している私がいる。もっとも、その前にもいろいろとわずらわしいことが起こるに違いない。私にはすべて上手くできなくて、兄弟たちを煩わせてしまうのかな、などと思う。

まあ、なんだかんだでせめてあと5年くらいは達者でいてもらいたいものだ。無論それより長いほど良い。


2005-10-06 『ドン・キホーテ』正編1(読了) [長年日記]

_ [読書] 『ドン・キホーテ』正編1(セルバンテス著、永田訳、岩波文庫)

やっと読了。96年に読み出して久しくほったらかしだった。ドン・キホーテの肖像は、ギュスターブ・ドレの挿画とピーター・オトゥールの「ラ・マンチャの男」で私には決定付けられてしまっている。"愛すべきドゥルシネーア姫の恋のやっこ"の次なる冒険は…たしか第2巻もどこかに転がっているはずなのだが。


2005-10-07 『吉原はこんな所でございました』(読了) [長年日記]

_ [読書] 『吉原はこんな所でございました』福田利子著、教養文庫、1993。

積読切り崩し月間の一冊。半分ほど読んでほったらかしにしていたのを昨日から読み直して今日読了。著者は、大見世に客を招き入れる引手茶屋で育った。大戦、昭和33年の売春禁止法などを経て今日のソープ街にいたる吉原の歴史を証言する。買った当初に期待した内容に比べて実に上品。花魁と芸者の違いもようやく知れた。12年前に読みかけたときよりも面白く読めたのは年を経たせいだろうか。

_ 明日は雨なのね…

せっかくの3連休が雨とは悲しいが、そんなことにはおかまいなしに、明日も矢倉沢往還の旅(プチ)に出かけるつもりで、デジカメのバッテリーを充電中。赤坂見附からまずは根津美術館へと。明日もほとんどエクスカージョンで、世田谷に着けたら御の字。


2005-10-08 矢倉沢往還(大山道)赤坂見附〜渋谷を歩く。 [長年日記]

_ [矢倉沢往還][博物館] (大山道)赤坂見附〜渋谷を歩く。

まずはサントリー美術館(休館中)のあたりから本日の”小さな旅”は始まった。赤坂豊川稲荷にお参りしてから表参道駅の辺りへ。昼少し前に蕎麦をいただき、以前良く来た大坊珈琲店でくつろぐ。向こう側に傾いているカウンター、入口の脇の珈琲を飲む女性の絵画、ジャズ、マメの質量と淹れる湯の体積で幾つかの種類に分けたブレンド、カウンター上のヤニまみれの池波正太郎や司馬遼太郎の文庫本。15年前に初めておとづれた時と全く変わらない。珈琲は旨いという以上に勿体無い感じで、茶室で茶を飲む感覚に近い。700円と値もそれなり。日頃飲むのには神田伯剌西爾ぐらいの値と味がいい。伯剌西爾の方がまずいわけではないのだが。

ここより246号を南に逸れて、本日のエクスカージョンが始まった。まずは根津美術館。ここは放送大学の学生証が威力を発揮して一般1000円のところを700円で入る。光琳のかきつばたの屏風が展示されていたが、やはりどうにも価値が知れない。金の地にべたべたといった感じで青と緑が彩色された屏風絵よりも、さび絵と称する焼き物に描かれた寒山・拾得なんかのほうが面白く思われた。さらにそれらよりも、レット・バトラー風のガンダーラの弥勒菩薩や、中国商時代の青銅器の酒を温める器などが面白い。青銅器のブックレットは品切れで残念。そのあと庭園を廻ると、「歴史の道調査報告書」に出てきそうな石仏や道標石などがいくつもあって、金に物言わせてるなあという感が否めず。

さらに南下して渋谷区郷土資料館(100円)、そのすぐそばの国学院大学考古資料館(無料)、少し東へ行って、盲学者塙保己一ゆかりの温故学会(200円)。

国学院では10基ほどの緑泥岩の板碑や滑石製の石枕、無数の土器・埴輪などに圧倒される。図鑑代わりに今後もときどき訪れたいな、と思った。

温故会館は休日は閉館らしかったが、入口前をうろうろしていると関係の方が出てきてくれて、中を見せてくれた。塙保己一の第一の偉業は、各地に散逸していた書物を集めて「群書類従」全666冊分の版木を作成したこと。200年以上経た今でも、希望に応じて刷ってくれるのだそうだ。

金王八幡に参ってまた表参道に戻る。日も暮れ、なじみ深い渋谷宮益坂に至る。本日も20000歩余り歩いた。雨が思ったほどでなくて良かった。


2005-10-09 [長年日記]

_ [栗山千明] 『スクラップ・ヘブン』

『スクラップ・ヘブン』見てきた。あっという間に終わってしまった、という感じ。栗山千明はずっとあの髪型でさまざまなキャラクターを演じ通すのだろうか?何を演じても栗山千明は栗山千明、演技うまいとは言いがたいが、何しろ大物だよなあと思うのだ。

_ 実は鼻風邪。

今朝方から鼻水が出る。昨日のウォーキングの汗を流すのに調子に乗って水風呂に入ったのが良くなかったということのようだ。休日を風邪で過ごすのは嫌だなあ。


2005-10-10 [長年日記]

_ [読書] 『探訪日本の歴史街道』(読了)

風邪を癒すべく寝ながら『探訪日本の歴史街道』(楠戸義明著、三修社2003)を読了。主要街道のほかに三内丸山の縄文の道や古代の官道などにも触れる。文献から抜書きされた部分が多いように思われた。


2005-10-11 秋だから?雨だから? [長年日記]

_ 秋だから?雨だから?なんだか気が塞ぐ。

こういうときは自分がいなくていい人のように思えて仕方が無い。

英気養う、それだけ。寝よう寝よう。風邪気味でもある。


2005-10-13 持ち帰り仕事 [長年日記]

_ 久々に持ち帰り仕事。手をつけるまでできるかなできるかな、と不安だったが、着手してみると結構あっさりと解決。

これで少し気力が戻るかな、と。


2005-10-14 久し振りにプログラムの仕事。 [長年日記]

_ 昨日早くに寝て夜中にむくむく起き出し、プログラムの仕事をする。

C++随分忘れてるなあ。思ったより楽ちんに仕事が終了して張り切って会社に向う途中、「あ、やっぱりあれじゃまずいかな」と思い出したが間に合わない。まあ「まずいかな」と言ってもそれほど使用者に損失が生まれることも無いはずなので、とりあえず会議では「できました、この通りです」と何食わぬ顔で説明する。まあみんな満足してたからいいんじゃないか?

気持ち悪いから発覚する前に直しておかなきゃ。いや、ホントにささいな間違いに過ぎないんですけどね。


2005-10-15 [長年日記]

_ [矢倉沢往還] 渋谷から東目黒→祐天寺へ

宮益坂を出発して渋谷の中をぶらぶら。良く通る道のすぐそばに思わぬ史跡があるものだと思った。神南で、初めてNHKスタジオパークに行く。私の好きなじゃじゃ丸のぬいぐるみも飾られていた。スプーの撮影会が大盛況。良く利用するインド料理屋のバイキングでお昼を取ってからさらに道玄坂を越え、大坂の氷川神社、池尻の稲荷社を詣でる。それからエクスカージョン。防衛庁施設を迂回して東目黒の辺りに庚申塚を探す。蛇崩の辺りで古い道標に「東奉納庚申塔」と読める刻があったので向うもわからず、蛇崩緑道の辺りを3度ほどまわってあきらめた。葦毛塚は見つかった。どうやら地図に書き込んだ位置が間違っていた模様。

日暮れる。祐天寺に向って歩く途中、雨が降ってきた。ホームで缶ビールを飲んで帰宅。

_ [読書] 『街道の日本史2 蝦夷地から北海道へ』(読了)

『街道の日本史2 蝦夷地から北海道へ』を読み終えた。蝦夷地は中世の頃は流刑地。東本願寺道路、囚人ロードなど歴史の道の多くは明治以降のものとなっている。第1巻「アイヌの道」も近々に読みたいと思う。

学生時代に知里幸恵と知里真志保のアイヌ神謡・民話を岩波文庫で読んだ記憶が少しよみがえる。これらの中に史実の痕跡を求めて辿る、という考えが浮かぶ。

これまでの修行(?)によって、古跡を下調べする方法、20km歩いても苦にならない体力、踏査点へのアクセスの仕方、衣類や持物の工夫など、街道歩きにとって基礎となるべき材料は大体そろったように思う。

今は第二段階、もはや漫然と歩くだけでは事足りず、歩きながら何かを考えるべき時にあると思い始めた。きっとますます楽しくなる。


2005-10-16 学習センターへ。 [長年日記]

_ 先週の経済学入門を聞き逃していたこともあり、センター図書館から借りている本もとっくに期限が切れていることも之あり、学習センターに行った。

経済学入門2・3回目を聴講して、図書館で生産管理の参考書を借りた。若い時分にはこの種の分野を軽視していたのだが、近頃は謙虚に学ぼうと考えが変わっている。

研修旅行と言うののあることが掲示されていた。JICAと味の素工場へ行くらしい。参加無料。参加しないけどこんな企画があるのははじめて知った。


2005-10-17 昨日のシチューには何が足りなかったか。 [長年日記]

_ 歩き旅と書籍代が家計を逼迫してきたこともあって、たっぷり6杯分ほどのクリームシチューを昨日作った。これでしばらくシチューだ。

野菜を炒めて胸肉をごろごろ入れて、安かったブロッコリー(100円)と大好きな缶ピース(グリンピースの缶詰のこと)で彩を加え、粉末シチューに塩と若干のコンソメと胡椒で味を整え、ローレル4枚を加えて1時間ほど煮込んだ。味見してみると何だか物足りない。少々のニンニクを加えるとだいぶ味が落ち着いたが、なんだか一日置いても物足りない。市販のシチューの元を使ったせいかな…いや、ブーケガルニと牛乳を使わなかったせいではないのか、そんな反省で今日を迎えた。

今日スーパーでブーケガルニを買おうと思って手に取って、材料の表示を見る。ローレル、ローズマリー、セロリシード、ガーリックとある。なんだ、ローズマリーなら家にたっぷりあるじゃないか。でもセロリシードなんて無いな。売ってもいない。

そこで生のセロリを購入。さらに昨日無かった牛乳を買い、昨日のシチューにそれぞれ追加。セロリは葉の部分も煮て、くたくたになったら捨てる。ちょっとローズマリーを入れすぎてしまったが、かなりいい感じになった。そうかそうか、ローズマリーだったのか。これでシチュー作りがカレー作りのレベルに一歩近づいたな、という手ごたえを感じた(わたしは市販のルーを使うことなくスパイスを調合することによってカレーを作ることができる)。

ローズマリーには鬱的な気分を晴らす効果があるという。雨が降っている割に気分が良いのはそのせいか。単にシチューが美味しかっただけのことかもしれないが。


2005-10-18 街道と海道/『日本国語大辞典〔第2版〕』が欲しい。 [長年日記]

_ 「道」と「旅」の語源・初出などに関する記述を以前読み、じゃあ「街道」の初出はいつ頃になるのだろうと気になって図書館に行った。

交通史関係の本を書庫から7冊ほど出してもらう。書架からも7-8冊ほど持ち出してざざざ…と見ていくが見つからない。ふと気づいて、「字源」「日本国語大辞典〔第2版〕」などで調べる。引例に引かれている文章は、辞書の編集方針にもよるのだろうが、どうやら多くの場合はその語が用いられている書のなるべく古いものとなっているようだ。つまり引例が出ていればそれがほぼ初出ということになるだろう。もっともすでに失われた書物を対象としていないから、真の初出かどうかはわからない。いろいろな本に、文献を引いて「これが初出」と言っている場合にもそういうことはありえると思う。

で、「街道」についてだが、もとは漢語で街を通る広い道というほどの意味らしく、その”初出”は北魏書ということだから西暦554年。しかしこの言葉がそのまま日本で使われたと言うことではないようで、古代七道中「海を通る道」を意味する「海道」の語がその後幹線道路一般を指すようになってこの語と混用されるようになったようだ。その意味での日本における「街道」の初出というか最も古い文書は、謡曲「遊行柳」なのだそうだ。遊行柳は奥州道中芦野宿にある。そうかそうか、今度は謡曲を紐解くことになったわけか…。明日は無残業日だからまた帰りに図書館に行こう。

というわけで、初出や用例の豊富な”ちゃんとした辞典”が欲しいなあと思い始めた。『日本国語大辞典〔第2版〕』(小学館刊)は全14冊で一冊15750円。全巻そろえると220500円だ。ヒト財産だなあ。「街道の日本史」全巻揃えるどころの騒ぎじゃないじゃないか。置き場も問題だ。さあ、どうするか。

_ 横浜市立図書館のインターネット予約

横浜市立図書館ではインターネット予約が10月からできるようになった。

今日行ったついでに尋ねてみると、自宅のPCで手続きができるらしい。

使ってみると非常に便利なことがわかる。

借りている本がすでに期限過ぎてることや、期間延長の手続きもPCでできる。

で、自分のを確認してみると、ああっ!しまった…。

明日返しに行きます、ごめんなさい。


2005-10-19 「街道」の初出をたずねて二人の鈍太郎に出会う。 [長年日記]

_ 「街道」の初出をたずねて図書館に。

北魏書賈思伯伝の載った本が見つからなかったが、謡曲「遊行柳」と「続日本紀」、それから大蔵虎明狂言伝書より「鈍太郎」(どんだろう、と読む)などを参照してきた。最後の狂言には、「…そなたとわらはと中なをりをして、海道へ出でて、逢うたらば止みょうと存ずるが…」とある。この「海道」は広い道と言う意味で「街道」と同義、とのこと。この用法としての最も古い出典がこれ、ということだ。

長くなるが、その「鈍太郎」のあら筋はこんな感じ。

長く九州にいた鈍太郎が京に戻ってきた。京には上京に妾、下京に本妻を残していたが、どちらにもずっと便りをよこしていない(ちなみに上京は御所を中心とする上品な地区、下京は繁華な商人街、とのこと)。どちらをたずねても、戸を開けずにもうすでにそれぞれ棒使い・長刀使いの夫を持ったので入ってきたら脛を攻撃するぞ、などと言って逢ってくれない。実はそれは妻たちが度々若い男にちょっかいを掛けられるので、それを追い払うための方便だったのだが、鈍太郎は真に受けて、さんざん怒った上に世をはかなんで坊主になる。その噂を聞いた上京・下京の女たちが仲直りして自分たちのもとに戻そうとする。泣いてすがる妻たちに鈍太郎はどんどん良い気になる。「じゃあ俺の言うとおりにしろ」とて、妻二人の腕を組ませて手車を作らせ、その上に載って「これは誰が手車、鈍太郎殿の手車」などと囃したてながら意気揚々と去っていくのだった。全くいい気なもんだな、鈍太郎。

「鈍太郎」という名前は他の狂言にも現れるようだが、OPAC(図書館の蔵書検索システム)でこの語を調べると、「こがね丸」に代表される少年向けの作品を多く手がけた巌谷小波の作品に同名のものがあり、これが検索された。モノのついでに読んでみるとこれがまた狂言の鈍太郎とは全く関連の無い内容だった。さらに長くなるが、その概略は以下。

鈍太郎はせっかくの元旦の日に、父親から留守番を言いつけられる。特に、家の大事な財産である子豚を盗まれないように気をつけろと言われるが、ものぐさな鈍太郎はじっと監視しているのも退屈だと、子豚に寄り添って一緒に寝てしまう。ふと眼を覚ますとその子豚がいない。外に出て探すと一人の老人が豚を連れて歩いているので、さては、と文句をつけるといきなり叩かれて"ものぐさ"をなじられてしまう。しかもその拍子に鈍太郎は一匹の豚に変えられてしまう。

しかし豚が見つからないどころか自分が豚にされてしまっても、鈍太郎は大して落ち込まない。いなくなった豚の代わりに自分が豚小屋で寝ていれば父親が帰ってきても気づかないから怒られずに済むだろう。そういうヤツなのだ、この鈍太郎は。

しかしその父は帰宅するなり自分の豚(実は鈍太郎)を売り払ってしまう。鈍太郎は屠殺場に連れられていって…ギャアアアアア

いえいえ、元旦早々からそんな残酷なお話にはなりません。鈍太郎はそこで夢から醒めたのでした、という一席。

どちらの話も他愛ないと言えば他愛ないが、どちらの鈍太郎もナイスな奴らだ。だいたい名前からして、ありえない。


2005-10-20 「魏志倭人伝」を読む。 [長年日記]

_ [読書] 岩波文庫「中国正史日本伝(1)」を購入。

魏志倭人伝をはじめてちゃんと読む。邪馬台国に関する記述は、想像していたよりもいろいろ書かれている。卑弥呼=神功皇后説、というのがあるということも知った。中国側から書かれた資料を吟味することで、記紀の記述のどこが史実でどこが伝承かということを吟味できるかもしれない。


2005-10-21 横浜市歌 [長年日記]

_ おととい横浜中央図書館に行ったときのこと。予約していた本が用意できていると言うのでそれを受け取ったとき、係の方が「あの…こ、これ読んでください」(実際にはそんなこと言わなかったけど)といったような風情で一通の手紙を私によこした。

そこには、ずっと前に予約していた「社会的アイデンティティ理論による黒い羊効果の研究」と言う本が行方不明なんです、ごめんなさい、的なことが書かれていたのだった。それはそれでまあ残念だったのだが、その手紙の入っていた封筒を裏返してみると、横浜市の歌の歌詞が書かれていた。

なんと、作詞は鴎外森林太郎であった。鴎外は1859年の横浜開港の3年後文久2年(1862)の生まれであるから、詞に書かれた横浜の風情をリアルで体験していたのだと思う。

この歌は横浜市のHPで聞くことができる。今日聞いてみた。

http://www.city.yokohama.jp/ne/info/symbol/song.html

_ ついでに言うと、ブルースバージョンもあって、ここで視聴ができる。

http://www.angel.ne.jp/~water/cd/yokohama_city_blues.html

_ 曲は全然違う。いっそ歌詞も現代風にアレンジしても面白いのではないだろうか。

_ ちなみに横浜市のマークはカタカナの「ハ」と「マ」をアレンジしたものなのだった。ああ、知らなかったよ。


2005-10-22 起きたら雨。 [長年日記]

_ 今日は日中晴れると聞いたので、わりと早起きをして天気を確かめずにウォーキング装束に身を包んでからゴミの日のゴミを出しに外に出ると雨だった。たぶんしばらくすると晴れ上がるのかも知れないけれど、出鼻をくじかれて今日は止めようと言うことになった。なったというか自分でそう決めただけなんだけど。

今日はフィールドワークではなくデスクワークの日にする。少しは机の上が片付くであろうか。いや、そうはなるまい。


2005-10-23 「経済学入門」受講 [長年日記]

_ やっぱり家でタバコ吸いながら講義が聴けるのは気楽だなあなんて思いつつ放送大学「経済学入門」を受講。今回は市場の働き。いつもどおり放送の中身は掛け合い漫才風でわかったような気にさせてくれるが、試験は心配だ。一般均衡理論の辺りは経済学では一番難しい分野なんだそうな。

社会的余剰=消費者余剰+生産者余剰で、市場経済が旨く行くと社会的余剰を大きくすることができるから市場経済は人類最大の発明だ、と。

林先生は学生が教科書を高いと言うと、高いと思うなら買わずに(放送では、『じゃあ君に3000円あげるから』と言っていたが)自分で教科書を書きなさい、というんだそうな。つまりその手間に比べたら3000円なんて安い、ということだ。が、本当はその教科書と競争しているもっと良い教科書があるかもしれないのだった。

いや、それでもまだ何か間違ってるぞ?インターネットによって情報はかなりタダで手に入るようになっているではないですか。が、その情報には著作者の明記という保証書が付いていない。著作者のある著作物をタダで入手することの犯罪性の根拠、ということか。

仮にネットで入手しやすい「保証書の無い情報」(実際にはガイドラインなどを設けて”保証書”をつけているホームページもあるが、免責事項を明記している場合のほうが多いだろう)と、家計に対してそれなりの割合になる価格の付いた、「保証された情報」(ただしここでは、著作者は著作物の情報の正確さには責任を取る、という原理が完全に実現されるものとする)と、情報消費者たるわたしたちは、両者のどちらからも得るべき情報を選択することができる。その二つの情報源が同じ市場で競争をするとする。結果的に両者の提供する情報の質はそれほどひどく乖離していないとしたら、どう考えても高い本は沢山売れるはずが無く、それを買うのはそれを読むことができるとか入手できることにブランドの如き価値を見出す「見得の消費」者ということになる(きっとわたしはその部類に入るんだろう)…市場が失敗すれば公共料金のように政府が何らかの介入せねばならない。なんだか妄想が膨らんできた。

ここまで書いてみて「保証された情報」をタダで入手できるという、極めて犯罪性の高い(?)行為を助長しうる公的機関があるということに気づいた。言わずもがな、それは図書館。横浜市立図書館は文献複写サービスをセルフサービスとしているため、著作権違反を助長するものではないかと言う批判を受けている。

_ 県立図書館とかながわ資料室へ。

県立図書館に借りていた本を返しに行く。紅葉坂の図書館前の欅はだいぶ色づいてきた。紅葉坂とは名ばかりでもみじの樹は見当たらない。

矢倉沢往還(大山街道)はそろそろ川崎市に入るので、川崎の街道資料を探してみると、検索結果に「地域書庫」に所蔵、と書かれている。これは何だと尋ねてみると、新館の4階に「かながわ資料室」というのがあってそこに所蔵されている本だという。行ってみて驚いた。館外貸出しこそできないものの、文化財調査報告書はもちろんのこと、鎌倉を中心とした中世の文献、小田原城の資料、神奈川を通る東海道の資料など、あらゆる歴史資料が所蔵されている。街道行脚の記録を本にして出している人も幾つか見出された。負けられん!なんて変に闘志を抱いた。次は調査項目を決めておいて朝から行こう、などと思う。

帰り際に横浜歴史博物館のチラシを入手。「よこはまの浦島太郎」展が始まっている。浦島が丘というところがあって、そこに近い慶運寺には浦島太郎とその父の墓所と伝えられている。これは行かねば。観覧料は一般500円のところ、学生だから200円だよん。


2005-10-24 [長年日記]

_ [読書] 『滑稽文学全集』第二巻、入手。

十返舎一九の「続膝栗毛」がずっと読みたいと思っていた。全集は日本図書センターから昭和のはじめに出ているのが、古本で手に入るが、6万ほどする。これはまず図書館で現物を見てから買うかどうか決めるとして、大正7年発行8年再版という『滑稽文学全集』第二巻に収録されているので、こちらを入手した。大正の本を手に入れたのは初めてかなあ?きっとこの趣味が高じていって、江戸時代のとかどうしても欲しくなっちゃうんだろうな、この先。中身は、大正のものとしては結構美本と言う感じ。箱はさすがに朽ち果てんとしているが。

_ [栗山千明] TokyoFM「School of Lock!」

TokyoFM「School of Lock!」という番組を初めて聴いた。FMを聞くのは放送大学くらいのもの。今日から木曜まで栗山千明さんが10分間ほどお話する。今日は「キル・ビル」のテーマと共にあらわれた。映像無しで声だけを聞いていると、すごくホワホワした感じがする。声優なんかもいけるんじゃないかなぁと思う。今週一杯、夜が楽しみなのです。


2005-10-25 [長年日記]

_ [栗山千明] 「GIRLS LOCKS!」第二夜

もう、言うことありません。トロけました。明日もある♪

幸せ…


2005-10-26 [長年日記]

_ [読書][交通史] 『伊勢物語』『東關紀行・海道記』

昔の道のことを考えていて、そう言えば「伊勢物語」に蔦(つた)の細道が現われる下りはどういう話なのだったろうか、と思い至る。

会社帰りに書店によって岩波文庫版を購入。こんなに薄いのに400円もするんだなあ、なんて思った。昔の岩波文庫は背表紙に星の数で値段を表示していた。☆一つ100円、★一つ50円だったのを覚えている。高校のときに古典で習ったからとて背伸びして買ったときは幾らだったろう。☆★位ではなかったろうか。モーパッサンの「脂肪の塊」が★で一番安かったような記憶がある。マイルドセブンの値段は150円だった。

年のわかる話題はさておき、岩波文庫版『伊勢物語』は高校生のわたしにはかなり背伸びした書物だった。それでも確か読み通したのだ、コタツにもぐりながら、意味が良くわからないままに。あの頃はわたしにとって文庫本は神聖なものだった。ジュニア物から「本当の小説」への旅立ちのように思っていた。やがてサントリーの角のCMで文庫本読みながら旅先の宿で角を飲む顔の見えない男に憧れた。そして文庫本は独り酒の肴になった。だからその頃読んだ本の内容は覚えていないことが多い。

蔦の細道は、東海道で安倍川を越えた先にある丸子(まりこ)の集落の先宇津ノ谷峠を通る道で、近世の東海道の東側にある。舗装などされていない峠道のままの風情で、往時の「むかしをとこ」はここで知り合いに出会って「駿河なる宇津の山べのうつゝにも 夢にも人にあはぬなりけり」と読んだことになっている。4年ほど前に歩いたときは木立にさえぎられてろくに陽も射さない急坂の道であった。今もおそらく。

20数年もたって読み返すと、この段は有名な「八橋」のエピソードと同じ段であった。八橋の古跡は愛知県の知立だが、ここに伊勢物語の風情はもう全く無い。「むかしをとこ」は京-知立-宇津ノ谷の東下りの果てに隅田川で都鳥を見て都からはるばる来てしまったなあ、と都鳥の歌を歌うのだ。

書店の岩波文庫の棚には『東關紀行・海道記』というこれまた薄いくせに500円もする本があった。海道記という名は街道関係の文献に時々現われるので、これも購入。こちらは鎌倉時代のもので収録される2編共に作者は不明。そしてやはり『伊勢物語』と同様、現代文は載っていないのである。

_ [栗山千明] Girl's Lock第三夜

今日も「ちぃ」の声を聞いた。幸せ…。椎名林檎の「本能」が掛かる。懐かしいなあ、という感じがする。

_ [読書][交通史] 『街道の日本史12 会津諸街道と奥州道中』

『街道の日本史12 会津諸街道と奥州道中』の続きを読む。

朝河貫一博士が伝説の「辞書を食べて英語を覚えた人」であることは以前書いたが、その朝河博士の福島尋常中学校(現 安積高校)の後輩に当たる、久米正雄という作家がいる。この人は、朝河博士の真似をして、覚えてもいないのに辞書を食べてそのカバーを桜の木の根元に埋めたのだそうな。


2005-10-27 [長年日記]

_ [交通史] 近世の交通史

「街道」の初見を探したあとは、どうしても「五街道」の初見、ということになるだろう。幕府の管轄になる五街道は日光・奥州・甲州各道中と、東海道・中山道。この呼称は江戸期の間確定的ではなかったが、享保元年に新井白石の意見を取り入れて、公的にはこのように呼ばれるようになったと言う。このときの御触書は『御触書寛保集成』なる本に入っているらしいが、今日図書館で見たのは『日本交通史料集成 第三巻』に収録される『駅肝録』にある「五街道文字之事」という正徳六年四月と記載された御触書である。

「一、東海道 海端を通り候に付海道と可申候 一、中山道 只今迄ハ仙之字書候得とも向後山之字書可申事 一、奥州道中 是ハ海端を通り不申候間海道とハ申間敷候(残り二つも同様)」とある。享保元年=正徳六年でいいのかどうか、自信が無い。 


2005-10-28 [長年日記]

_ [交通史] 五街道とは何だ?という問い。

『御伝馬方旧記』という書物に、宝暦8(1758)年の11月に依田和泉守さまに「五街道とは一体どこをさすのじゃ」と尋ねられて答えられずに調べてみました、という"馬込勘解由"さんの記述がある。五街道の公式の呼称はすでに享保元(1716)年に御触書で公示されていたが、その後30年ほど経ってもその知識が定着していたというわけでもない、ということを示すのだろうか。「たしか東海道・中山道・日光街道…それから、北陸道だったかな?もう一つはなんだったっけ。すみません、わかりません」というような答えであったようだ。その後、勘解由さんは道中方御勘定谷金十郎という人に答えを教えてもらった、と書いてある。

伝馬役というのは大伝馬が街道、小伝馬はその地域内の交通を指図する(人馬の手配をする)役人である。が、「馬込勘解由」というのが人名なのか役名なのかわからない。

夜、図書館に出かける。吉岡書店の『日本交通史辞典』で引くと、そのものズバリが載っていた。これは代々の伝馬役で名主の名前であるそうだ。家康の関東入りに従って遠州馬込からやってきたのだそうな。どうやらこれに関する文献が見つかった。また図書館行きだね。


2005-10-29 [長年日記]

_ [矢倉沢往還] 祐天寺から世田谷。

寄り道ばかりの矢倉沢往還(大山道)ウォーキング。午後から雨の予報もなんの、出かけた。朝は寒く感じる。歩いていると体温が上がってくる。休憩取ると風邪を引く。そういう季節になった。

先回見つからなかった庚申塔を何とか見つけて、太子堂、松蔭神社、豪徳寺、世田谷城址など見て、閉館30分前に世田谷代官屋敷・区立郷土資料館に滑り込む。資料を3000円余り購入。「世田谷の古道」(教育委員会の報告書)は売っていなかったがコピーは取れるとのこと。機会を見つけてまた訪問したい。

資料館で買った「世田谷の歴史と文化-世田谷区立郷土資料館展示ガイドブック-」は図版多く、128ページの内容を全て読むのは実際に展示を見るより濃厚。これが1000円は大変お買い得だと思う。後北条氏・熊谷氏・江戸氏・吉良氏など、興味が沸いてきた。

明日は横浜の博物館訪問だ。


2005-10-30 [長年日記]

_ [博物館] 横浜市歴史博物館へ。

横浜市歴史博物館へ行く。いわゆる港北ニュータウン、センター北駅のそばにある。なかなかでかい建物。

ここで「かながわの浦島太郎」という企画展をやっていた。これは開館10周年記念の特別展である。今日は横浜で初の上演となる狂言「浦島」もやっていたのだが、行くと既に開演していたので見ることはできなかった。入館料は企画展と常設展合わせて700円のところ、学生料金で300円になる。お得ですよね。

神奈川には昔浦島観音と呼ばれた観福寺という寺があって、東海道の名所だったが、明治初めに焼け落ちて再興されていない。今は慶運寺が代わって「うらしま寺」と呼ばれており、ここに秘宝が一部伝わっている。

神奈川の浦島伝説と言うのは、玉手箱を開けなかったということである。

企画展の冊子は1800円。ちょっと高めだがまあ内容に見合っているのでは。

他に「横浜の古道」と、常設展の案内など買って、〆て3600円。

他に常設展を見て、縄文時代には「木道」という木を渡した道があったこと、都筑には郡衙(古代の郡の役所)があったこと、などを知った。

食堂・喫茶店などは無く、喫煙コーナーも無い。自動販売機を設置した休憩所があるだけ。駅まで戻らないと食事・喫茶はできない。まあ駅には近い。

時間無くて大塚・歳勝土遺跡公園までは見学できず。また行こう。


2005-10-31 [長年日記]

_ [読書][交通史] 『北海道交通史論』届く。

画像の説明札幌の弘南堂から『北海道交通史論』(梅木通徳著、北日本社刊、1946)届く。昭和廿一年。学生時代良く立ち寄った弘南堂の懐かしい包み紙に包まれて届いた。開いてみると、古めかしくも、緑色が妙にカッコいい表紙。

_ 通信教材届く。

早いもんだなあ、もう届いた。まだ講義は5回目くらいなのに。

いつも締め切り直前に慌てて速達で出しているが、今回は余裕持ってやりたい。


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