RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2008-08-24 矢倉沢往還落ち穂拾い、そして(2) [長年日記]
_ 朝の5時頃目覚める。眠りは浅いようだったが、眠気で歩けないというわけでもなさそうだった。
朝食。夕べの仕込みはうまいこと功を奏して粥もコーヒーも乏しい燃料でなんとか準備できた。たき火も考えたがやはりこんな公園の如きで大きな火を使うのは良いこととは思えなかったし、だいたい乾いた薪になりそうな枯れ枝も見当たらない。夕べつかった割り箸をストーブの燃料に折り加えた。一膳でぬるま湯がカップ一杯くらいは用意できそうだ。
テントを撤収して出発は午前7時少し前。重い荷物を持って歩くのは確かに大変だが、起きて飯を食べたらもうすぐに昨日の旅の続きが始まる、というのは野宿のいいところだ。しかしこれは公認の旅の様式とはとても言えない。どちらかというと非合法な旅の様式に近い。野宿者は恥じらいつつ人目をはばかりながら歩き始める。ここいらは「矢倉沢往還の落窪付近」というかながわの古道50選の一つでもある。涼しげな木陰の旧道を歩み、松田に出たらあとは酒匂川沿いにどんどん南下するのみ。雨は止まない。容量40Lを超えるザックには、レインポンチョは似合わない。増水していく川の中に身を投げ込んで釣りにいそしむ人々を河岸から「馬鹿だなあ…」なんて思いながら歩く。馬鹿はこちらも一緒だ。
酒匂川の河口に出たら11時を過ぎていた。またしても登山靴を小田原の海の水で濡らして、鴨宮駅から帰宅。体中びしょびしょで電車の中は寒い。帰宅してすぐに風呂に入った。
こんな旅は現代の旅からはかなりかけ離れたものである。家にあればけにもる飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る。そんな歌が似合うようなわびしい行為だ。しかもたいして遠くに出掛けたわけでもない。こんなものは旅ではなく放浪だ。が、それはまた限りなく原初的な旅の姿にも近いわけであり、乾飯ほとびにける東男の旅もかくや、なのだった。それを支えているのは現代の技術の粋を集めた(?)雨具やテントやザックなのである。
というわけでまた機会あるごとにこんな歩き方をしてしまう。つづく。(いつか)