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けいりう堂日記

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2014-09-06 [長年日記]

_ 帰宅すると案の定レコーダーのハードディスク容量が無くてタモリ倶楽部前半録画できず。エビ中のあいあいがたまらん。

市川由衣もいいが。←めっちゃまちがった。市川紗椰!


_ なんとなく最近スクールウォーズの動画見たりしてしまうのは、仮面ライダー鎧武に出てくるバロンが松村雄基みたいに見えるからなのだ。「お前ら悔しくないのか!」「悔しいです!」ここはいいのだ。でも、ろくに努力もしないくせにただ悔しがってる奴もいたりするから世の中にはうんざりしてしまうのだ。悔しがる裏にはそれなりの自助努力ってもんがあるはずなのに、あんた何にも自分から動かないでただ悔しいとかほざいてるだけじゃないか。お前こそゼロだよ。ゼロな人間だよ。世界はもっと美しいはずだろ。俺をアニマルワールドに引きずり込もうとするんじゃないよ。うんざりだ、もうほんと。お前は地道に努力してる者たちを侮辱している。そして、人類が積み重ねてきた技術と言うものへの敬意を払いもしていない。そういうところに怒りを感じて頭頂が禿げ上がるんだ。やはり若いうちにハゲ保険に入っておくべきだった。


_ そうは言っても俺にも見直すべきところはある。ハゲ保険なんて本当にあるんだろうか?
 今日は洗濯機の修理が来る予定だったのだが、部品在庫が無く一週間後に。この一週間はコインランドリー通いとなるのがちょっと面倒だが、実は家が片付いていないという負い目もあって悲喜こもごも、いやここはむしろ悲喜相半ばするというべきだろうか。そんな言葉あったか?愛憎相半ば、苦楽相半ば、功罪相半ば、毀誉相半ば。。。まあでも人間として最低限の片づけはしておこう。さ、英語の宿題をしようか。


_ 週末になってまた"自律神経の焦げる匂いが"し始めた。この匂いはいつまでも鼻の中に残って消えない粗悪な消臭剤か香水のような匂いだ。一概に悪臭とは言えないが、どこに行っても消えるものではない。呼吸を止めても匂いが消えないのだ。だが、まだましと言えるかもしれない。生ゴミや糞尿の匂いではないという幸運を喜ぶべきなのかもしれない。まあ、でも、キツイ。


_ 明日も英会話だった。忘れてた。まだキャンセル分が消化できない。でもこちらにも都合があるから。


_ 花子とアンが太平洋戦争開始の時代に入った。戦時下のドラマを見ていて感じることは、俺はそのような時代にあっては非国民とも国賊とも呼ばれるようになるのではないかという恐れだ。俺は自らが正しいと思ったことに信念を持てるタイプではない。そういうことがこの頃になってわかってきたのだ。それぞれの正義があることはマイケル・サンデルの本なんか読まなくても理解できることで、しかしまたでは何でも許容できるかというとそうではないし、和を乱すことも好ましいことではないが、そういう批判されやすいところだけ周囲に迎合して陰でこそこそとチートに励むことはもっとも憎むべきことだが、圧倒的に能力がない人間はチートとフリーライドで凌ぐしかない。それも家族を守るため、人生は綺麗ごとではないというのならそれを避けようとする俺は夢想家であるし、家庭を、子を持たぬがゆえに国を滅ぼす原因と言えば言えるかもしれない。ただ、そうではあっても人の世の中に人の皮をかぶる豚の子たちが紛れ込んで内側から人間の世界を蝕むよりはましだなどと考えてしまう。病的な考え方をしてしまったり。そのうち面倒になってしまって破滅的な生き方を志向してしまったり。天涯孤独ならそれでもかまわない。だがこんな俺にあっても、思うが儘にふるまうことのできないしがらみは存在する。それを仏教では煩悩と呼んでいるのだと思う。家族愛も、隣人愛も、こと自分に近しいものであるがゆえに愛するということはすべからく煩悩だ。敵であるがゆえに愛するということもそれが己にとって特別な行為であるのならばやはり煩悩だ。我ひとり高みを目指そうという行為も煩悩。多くの読書をすることも煩悩。誰かのためになることをしようと努力することも、それが自らに快楽を呼び起こすために繰り返されるならばたちまち煩悩と化する。瞑想から何か有用なものを得ようとすることさえ煩悩だ。この数多くの煩悩たちが俺をかろうじて破滅させることから救っているともいえる。それが人生の皮肉的側面である。つまり、生を全うしようとすればその人生は皮肉的人生とならざるを得ない。最終的には、そういう人生に意味があるかどうか、もし無いならばあとから意味を付与すれば良いのか、そういう自問に対して明確に答えを言わなくてはならない時が来るのかもしれない。この問題は永遠に棚上げされるべきだ。俺は中学の時に弁論大会で、「われわれはなぜ生きるか」という弁論を行ったことがあり、今思い出すと「あの時!」というような恥ずかしい行為の一つなのだが、「グレート・ハンティング」というキワモノドキュメンタリー映画(当時はマジにとらえていたのだが)で、サファリパークで人間がライオンに食われてただの肉塊になるさまを見て(今ネットで調べるとどうもそれはやらせ映像だったようだが、どうやらせなのかよくわからない)、人間なんてとか言い始めたことをみんなの前で披露したのだ。思えば中二病も極まった。しかし田舎の教師たちも生徒たちも内容には感心していたようであったから、当時俺を取り巻く者たちは皆一様に中二病患者であったのだろう。その弁論の結論は、結局のところわからないから人生に意味を見出す行為こそが人生の目的だなどという煙の巻き方をしてしめくくったら、原稿の一部を端折ってしまったのか、リハーサルの時に立ち会った先生も俺自身も、話せる時間のことを全く失念していたのか、とてつもなく短い時間で終わってしまって優勝を逃したのである。言いたいことを言い切ったから俺は満足だったしスピーチは短いほどいいということも知っていたのかもしれないが、俺の思いがあのころから少しも進歩していないことは恥ずかしさを通り越してむしろ誇らしい。あの頃のお前たちに、そしてあの頃の俺に教えてやりたい。俺は中二病をこじらせたまま老境に入っていくのだ、と。そういう人生はありうるのだから、中二病の時には安静にしていて将来に恨みを残すようなことはせずに隠れて生きよ、と。だらだら思いつくことを書くのは楽でいいな。いつまでも駄文を読んでないでそれぞれの仕事を始めた方がいいぞ。


_ [漫画] 「聖☆おにいさん」第6巻、中村光、講談社。

イエスの描いた漫画「さんだるふぉんとめたとろん」面白い。やっぱり、というべきなんだろうが、この漫画家・中村光のことを「信仰を踏みにじる者」とか呼んで糾弾しようとする者がいる。俺が信仰を持つ者に対して一抹の不信をぬぐえないのは、彼らが自らの寄って立つ信仰以外のものの正しさを認めようとしない傾向を持つ点にある。これは世界が多様で複雑であるという事実と明らかに矛盾しており、多様性を認めないことがどのような理由よりも激烈で悲惨となる宗教戦争のエンジンとなってしまうが故である。一体、命の無い真空のような残酷な世界に生きるよすがを与える宗教というものが、同時にまた闘争のもとになってしまうのは何故なのか。人を苦しみから解放しようとした開祖の意図はどこへ消し飛んでしまい、かえって人を苦しみに突き落としてしまうのか。だが、そのような信仰の在り方はもはや古いのかもしれない。とりあえずイエスとブッダが睦まじく立川の風呂無しアパートで生活するこの漫画はそんな宗教的対立より一段高い視点にある。なぜ漫画にそれが可能なのか。それは、いずれ狂信に至る真摯すぎる信仰にはユーモアやギャグが無く、漫画にはそれがあるから、というだけのことに過ぎない。開祖が教えを広めるのに用いた数々のたとえ話は、明らかにこのユーモアとギャグを通じた相互理解の源流と言えるのである。


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