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2014-09-27 [長年日記]
_ 昼までだいぶ疲れてたが英会話の宿題をやって、自転車でクラスに出かける。eメールの良いとこ悪いとこという話題は楽しめたが、では良いコミュニケーションは?という話題は苦手な話題だった。俺は自他ともに認めるマルコミニュケーションの男なのである。良いコミュニケーションにとって重要なものを12個ほどの選択肢から3つ選べと言われて、俺は「信頼」と「強い企業アイデンティティ」と「eメール」を選んだ。企業アイデンティティを選んだ理由は、それがあれば俺たちは共通の基本的了解のもとにコミニュケーションできるからだ、と言おうとしたのだが、良い表現が見つからなかった。だからこれは師匠の宿題になった。まあでも師匠は結構言っておきながら宿題サボることが多い。まあ逆に俺がサボったからと言って特に文句は言わないと思う。
その後、川崎駅前までそのまま自転車で行って帰ってきた。川崎市立図書館に回送を頼んでた本が届いていたからだ。久しぶりに長距離自転車に乗った。帰りは大きなスーパーで鳥の胸肉と風呂釜の洗剤を買って帰ってきた。半袖だと少し肌寒かった。
_ [読書] 『人獣裁判』ヴェルコール、白水社、1953.
これが借りてきた本の書誌情報である。口絵に著者・ヴェルコールの写真が載ってる。ちょっとジェームズ・スチュアートかグレゴリー・ペックかと思うようなウホッな良い男だ。原題”Les Animaux denatures”(denaturesの2つのeはアクサンテギュ付き)。自然に反した動物、という感じだろうか。これはズバリ人間のことを指しているらしい。ヴェルコールと言えば「海の沈黙」が有名な抵抗文学の作家と言うことになるだろうが、これはどうやらチャペックの「山椒魚戦争」に通じるようなSF的作品であるようだ。ニューギニアで見つかった、人間とサルの中間種に位置づけられるトロピ族はチャペックの山椒魚のように安価な労働力として急速に人間社会に受け入れられる。そのことがやがて複雑な問題を生み、やがてトロピ族は人間なのかどうか、それでは人間の条件とは何か?そういうシビアな裁判が始まるというあらすじのようだ。ちなみにトロピ族は人間との間に子を持つことが可能である。本筋に関係しないのだろうが、ぱらぱらめくっていると一か所鉛筆の書き込みがあったのを見つけた。いけないことよ。それはチンパンジーとオーストラルピテクスと日本婦人の距骨(*踵骨と脛骨の間にある骨)の構造を比較する話の「日本婦人」の部分を○で囲って脇に「チキショー」と書いてあった。書いた人間が「日本」と「婦人」のどちらに何かを感じたのかはちょっとだけ気になる。まあざっと見た感じ、「海の沈黙」とはかなり趣の違う物語だ。そして、その真摯な抵抗文学にあり得る生真面目さと若干の退屈を思うとなおさらなのだが、かなり興味をそそる物語と見える。この本古本で入手できたとしても6000円以上はかかってしまう。でも書き込みしながら読みたいと思う本だ。秋にはふさわしいのかもしれない。その印象が読後どう変わるかも自分なりに楽しみではある。
_ 追記。この小説、何とアメリカで映画化されてたw 日本語タイトル「類人猿捜索隊」。しかも主演はあのバート・レイノルズ。こいつがトロピ族のメス(?)との間に子をなしてしまう役をやるのだ。バート・レイノルズと言えば、俺にとっては男臭いナルシストと言うイメージが強い。これはメル・ブルックスの「サイレント・ムービー」の印象が強すぎるためだ。髭をそりながら、鏡の中の自分に向かってウィンクする。確か2回も。これが凄く面白かった。「サイレント・ムービー」はたった一言しか音声のあるセリフが無い映画で、しかもその一言は、当時有名だったパントマイム芸人マルセル・マルソーの”Non!”という一言だった。そのシーンの次に面白かったのがそのバートのウィンクだった。ああ、見たいなあ。監督は「電撃フリント・アタック作戦」や「放射能X」なんかを作った(←ちょっとセレクションが作為的だったかも。。。まあどっちも見たことは無い)ゴードン・ダグラス。ちなみに「放射能X」ってこんなのなんだけど、大丈夫なのか。ああ、「類人猿捜索隊」見たいなあ。すごく。。。
_ さらに追記。「放射能X」の予告編、ニコニコ動画で見た。これは面白そうだ!ぜひ見ないとな。DVDのパッケージの絵に比べるとかなりシリアスな作品になってるみたい。