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2015-10-18 [長年日記]
_ 朝、父の人から使っているタブレットがブラックアウトしたと電話。父の人の生活もかなりネットに依存しているので不便になってしまう。さしあたりはサポートを受けて、対応遅くなるようならおれの持っている同形の機種を差し出すことにした。メーカー保証期間ギリギリだ。
_ ポッカサッポロのまるごとレモンとかまるごとプルーンというのが大変良い。ハンディスマートボトルというのが最高に液切れが良いので容器欲しさに何度か購入した。これにハチミツ入れると快適。ペ●とかの業務用ローションなんかもこういう容器にしたらいいとぞ思ふ。
_ 久しぶりに「スミルノフ高等数学教程」を引っ張り出して、コーシーの収束判定条件のところを復習してみた。「010222」と「?」と鉛筆で書きつけてあったから、2001年に紐解いた時には理解できなかったようだ。その頃の自分より今の自分の脳力が向上したはずはないが、この短い節に書いていることが今日は何とか理解できたように思う。ざっと1時間半ほどかかった。もしかすると「理解した」と納得するためのハードルが14年前に比べてかなり下がっているということかもしれないが、当時理解できなかった挿図のグラフは今日はどういう意味か理解できたと思う。だがそのために1時間半かかるのである。2001年から数えると14年と半年かかると言っても良いかもしれない。まず何が書いてあったかを思い出すあたりから始まるから、もしもこういう学習を再開して習慣となるなら、1時間半を15分くらいまで縮められるかもしれない。それにしても、こういう理解を自分のものとすることには驚くほど時間が掛かる。15分あれば、筋トレのメニューが2つくらいは(マシンが空いていれば)こなせるだろう。そして、コーシーの収束判定条件を理解することよりも強い達成感を得ることができるはずだ。それすらしなくても、理解していなくても理解したことにするテクニックがあったり、代わりに理解してくれる誰かがいるのなら、それでもいいのかもしれない。そのことに違いを見出せないなら、それで十分だ。俺のしていることには全く意味がないことになる。本当に実力がついているのかどうかは、身ぐるみはがされて素っ裸になった時にしかわからない。むしろそういう時に実力を発揮することができないことも多いだろう。結局実力があることと無いことには大して違いは無いのだ。人間と、人間そっくりな哲学的ゾンビに結局実質的な違いが見いだせないように。つまり、実力をつけようという努力は、結局のところ自己満足であり趣味であり暇つぶしであり奇特な趣味と違いは無い。それを選ぶかどうかは真実美意識だけの問題ということになるだろう。