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2017-02-24 [長年日記]
_ 夜ヨガ。少し早めについたので適当にストレッチしつつ時間を待っていようとジムのスタジオに入ると、先に入っていた2人の男性が何かなれ合ったような会話をしている。鏡張りの壁のそばのスペースで赤いシャツを着てバンダナを巻いた若い方の男が、年上の方に、もっと場所を開けろとなれなれしい口調で頼んでいる。いや、頼んでいるというよりもほぼ命令している。年上の方はちょっと太めの体形で、はいはい仰せの通りに、などと軽口を利いてフレックスクッションと呼ばれる20度位の傾斜のついたクッションとマットを携えて移動した。するとまた赤いシャツがもっとずれろ、そんな硬い体をして(ストレッチやヨガをするのは)時間の無駄だ、などとさらにぞんざいなことを言う。
ここでやっと私は、この二人は馴れあっているのではなく赤いシャツが自己愛に偏った不適切な言動を放っており、それを年上氏は何とか平和的にやり過ごそうとしているのだと気付いた。年上氏は赤いシャツからさらに距離を置いた。激昂しているようには見えない。赤いシャツはこの勝利に満足したと見えて鏡の前でストリートダンスのようなものを踊りだした。そして片腕でバランスを取るブレイク…ここで決まればそれまでの無礼な言動にも恰好がついたのだろうが、まさかの全然できないという無様な体。しかしそんなことに臆することなく数分はふらふら動いていたが、スタジオが混んで来たと見て無言でその場を去った。年上氏は、その心中はわからないもののやはり特に激昂することも無く遅れて入ってきた顔見知りとにこやかな会話をしているが、会話の中には「体が硬くて…」などという自嘲の言葉も混ざっていた。
私が年上氏の立場だったなら、こんなに平和な光景は無かったかもしれないな、と思うのだ。その場は堪えてもジムのスタッフにねじ込むくらいはしただろう。あるいは赤いシャツの帰りぎわを密かに後をつけて何か陰湿な嫌がらせをしたか、あるいは…。そんな思いが胸中を去来したにもかかわらず、ヨガの時間はゆったりと進み平穏に終わった。短気は損気。極端な言動は自分の中にもある正しい部分-それは存在が保証されてはいない危うくも希薄な存在だが-を貶める。
私は人間ができていないな、とジムに来ると思い知らされることは良くある。人のトレーニングの仕方をついつい気にしてしまう。マシンの使い方が成っていない、どこを鍛えようとしてがしゃがしゃ動かしているのだ、支えきれずに大きなノイズを立ててマシンの荷重やダンベルを落下させる者がいるたびに眉をひそめて(このジムファイターが…!)などと胸中で罵声を浴びせたり…。怒りをコントロールすることには価値がある。ムカムカしながら無酸素運動を行なうのはたぶん体に悪いんじゃないかと思う。