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2020-11-08 [長年日記]
_ 今日はヨーガの無いにちよーび。ご近所を13キロほど歩く。途中どうしても気になる陸橋があって、入り口を探してウロウロ。そして思い出したのは、陸橋を渡るとひどく風化した地蔵さんがいたということ。それは今もあった。そこから少し先にも、記憶にある庚申塔を見つけて、旧知に出会ったような気分。最近の私は、いかにして歩道橋を愛でたら良いのか、という路上哲学の大問題に大いに興味を抱いている。いやだって、歩道橋ってできれば渡りたくないじゃないですか。昇って降りてなんて無駄なアクションって感じじゃないですか。でも私には或る日こんな声が聞こえたのです。
「歩道橋だって道の一部なのに」
こんな声が聞こえたら、もう避けて通る訳にはいかないじゃないですか。でも相変わらず苦手意識はある。これはもう、愛してしまうしかないのではないかと。そんな訳で、先日の伊勢路歩きでも今日のお散歩でも、見つけた歩道橋は渡る必要がなくとも昇って降りて(この行為のことを、私は今日『純粋昇降』と名付けました)、橋桁やら跨いでる道やらを画像に収めたのですが、それでもまだ歩道橋のどこをどんな風に愛でたら良いのかはさっぱりわからないのです。