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2021-12-21 [長年日記]
_ 仕事終わりに自習で調べ物。古い教科書のpdf見つけたので検索かけたくなったが、スキャンしたものらしく、これは無理かと思ったのだが、Acrobatが検索できる画像に変換し始めた。おお、さすがにアクロバットって言うだけのことはある。著作権多分切れてるほど古い本で、一冊丸々スキャンされてるので変換に時間がかかってる。和訳出てる。名著と評判だが出版社が東京図書とあって、早く買わないと絶版になりゅうぅ、って感じてしまうの。
それにしても。pdfだのネットだので調べ物はとても広範囲に行える時代。自分の青春時代が今だったらもっと一杯勉強できたかな?いや、多分社会人学生だからこそ本だのネットだのPCだのに多少お金をかけられるのだ。当時今のような環境が実現していたとておそらくその場合でもやはり貧しくて自分に手は出せないのではないか。フリーWi-Fiでウィキペディアくらいは使うかもしれないけど、もしかしたらネットの調べ物だけでレポート書いちゃう学生になってるかも知れない。ネットで得られる知識はそれだけでは自分のものでは無いんだ。嘘も多いし。
_ レポートって、調べ物して調べたことだけ書いとけば良いと思ってたのはいつまでだったろう?例えば小学校の時の自由研究は割とそういう安易なことで済ましてたのを思い出す。家には百科事典があったから、その記事を書き写せば一丁上がり。大事なのはその先にある、というのは、やはり自分1人では気づけなくて、本格的にその手の訓練を受けたのは大学に入ってからだと認めざるを得ない。小論文は受験科目じゃなかったしなあ。どんなに調査能力が優れてたって、それは多少有利なスタートが切れたということに他ならず、それでゴールというわけにはいかないんだよな。ただ、こういう「巨人の肩の上に立つ」やり方は、ゴールに向かって華麗に走るつもりでいたのに遥か以前にその華麗さを大きく上回る走りを偉人達が見せていた、という事実に絶望するということでもあって、めげる。ただそれも続けているうちに快楽になる。そして、「なんとこんなことも既に研究されていたのか!」という事実にショックを受けるどころか、遥か過去のその人物との絆さえ感じてしまう文献マゾが一丁上がりなのである。駄文書いてるうちに変換終わり。すげえ、ホントに検索できてる!カンドーのアラシ。だがマズイ。調べた言葉の定義は見つからず、その語がサブタイトルとして章の全てのページのヘッダーに書かれてるからたくさんヒットしてるだけという驚愕。うーん、こういうこともあるなあ。それもご褒美だよ。真性マゾだから。そう言えばこないだ買った『毛皮のビーナス』も全然読んでないけど、『家畜人ヤプー』の主人公の名前は『毛皮のビーナス』から作られてたのね。これ、この界隈では基礎知識だと思うので知らなかった自分が恥ずかしい。
_ 続き。イントロダクション読んでみたらちゃんと書いてあった。『そのことに関する理論は省かざるを得なかった』。そりゃあ定義も見つからないはずだ。すげえご褒美貰っちゃった!!クリスマスまだなのに。ありがとうございます、van der Waerden先生。