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2014-05-08 [長年日記]
_ 調子良からず。こないだ古書店で買った本を読む。
_ [読書]「耳のない兎へ」飯田耕一郎、北栄社、1980.
飯田耕一郎さんの描く女性は好き。邪学者・姫野命シリーズが大変良い。この漫画評論はまず大友克洋論から始まり、ついで飯田さん自身の出自ともいうべき三流劇画論、あるいは山岸涼子論。論を先鋭化させるに至らずにはぐらかされる感のある文章で終わっているものが多いのは、そのような文章を時代が必要としていなかったせいもあるのだろう。が、「例えば山岸涼子--『バンシー』『メデュウサ』。エロはイコール”エロス”ではなく、エロはイコール”エロチシズム”ではなく、エロはイコール”エロチック”ではない事を、これらの作品が明確に教えてくれる。僕が欲しかった作品。僕が三流劇画に欲しかった作品。--三流劇画がエロを手放せないと言うなら、僕は無理にエロを抜いてしまおうなんて言わなかった。これで良かったのだ。これなら充分、誰をも納得させえた筈なのだ。なのに、それが何故少女マンガの方からやってきたのだろう?
」この言葉に込められた苛立ちは、70-80年代の漫画と三流劇画と称する今や単行本の入手も難しい一連の作品群の当時の在り方を知らないともはや理解できない。俺は後者についても僅かのことしか知らないし、前者、ことに少女マンガのことはほぼ知らないに等しい。俺の弱点だと思っているが、俺は少女漫画はどうにも駄目なのだ。大島弓子も萩尾望都も系統的に読もうと努力したけど駄目だった。でももしかしたら山岸涼子は行けるかもしれない。