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2016-02-02 [長年日記]
_ 初サブウェイ。
_ 向後の参考にと職場から帰宅途中の店に来た。サブウェイと言えば、ミラクルひかるのマイナーなネタに、サブウェイで店員に「お野菜全部お入れしてよろしいですか?」と聞かれて「全部ダイスキデース!」と答える外人客、というのがあるが、外でなるべく高タンパク質の食事を摂る工夫をしたかった。結果的にはやはりパン生地が邪魔だが、ターキーブレストの卵トッピングトマト多めとタンドリーチキン、コーヒーという取り合わせ。悪くはないが、やはりできるだけ家で自炊というのがいい。タンドリーチキン結構美味い。2本頼んでもいいな。別の日に試したいと思ってるのは、スタバのサラダラップ根菜チキン。どっちもちょっと前のターザン眺めてて知った。どこにでもあるところで工夫できるのが良い。でもやっぱり自炊。
_ 最近ラジオ深夜便の4時台「明日への言葉」を良く聞いてる。中島みゆきも歌ってるじゃないか。めぐる めぐる 4時台はめぐる、と(最初に聞いたときはほんとにそう歌ってると思ってた)。いろんな人の話が聞けて貴重だ。世に満ち満ちている言葉の数々の多くは聞くに堪えないものばかりだが、この時間に聞ける言葉は本当に聞くに値するものが多い。ついこないだは泉鏡花賞を受賞したクマさんこと篠原勝之さんが話してた。どんなことでも良いから、何か尊敬できるところがある人とだけ口を利いていたいものだと願っている。何であれ俺に何か学ばせてくれることを欲している。本当に世の中は聞くに値しない言葉で満たされている。その内容が陳腐であればあるほど発する声が声高になるのは何故なのか。なぜそれを多くの耳に届けたいと思うのか。それを聞くものが彼と同様に喜ぶとでも信じているのか。一体それはどんな教義なのだ。愚痴になったので話を戻すが、今日は愛甲次郎という「文語の苑」というサイトを立ち上げた方のおひとりのお話で、多くの国には話し言葉と書き言葉が併存しているが日本ではその書き言葉たる文語が絶滅に瀕している。文語で日記を書くと日記が続くようになる、と言ったことをおっしゃっていた。それで興味がわいて「世にも美しい文語入門」という本を古本屋で見つけて状態を尋ねたら、美本とのこと。ところが、ウェブサイトでも同時に出品していてそちらからも注文が入っていて、俺の方が注文が少し早かったとのこと。そういうわけでうまく購入できたわけだが、どう考えても「明日への言葉」を聞いて俺同様に興味を持ったに違いない。ふふふ、あぶねえあぶねえ。文語と言う言葉を聞くと思い出すのは、洋行から戻って近代の日本語どうあるべきかと意見を求められた時に、文語は残すべきだと言った鴎外森林太郎の言葉だ。鴎外自身も多くの文語体の作品を残している。舞姫は俺は高校の早い時期に読んだがさっぱり意味を捉えられなかった。「興津弥五右衛門の遺書」の候文の「○○候にて候」も意味が分からないままに面白くて時々真似してみた。今、改めて文語を使う人になりたいと思っている。そのうちこの日記も文語になるかもしれない。読みにくくなっても、まあ良い。でもその前に文語の名文をいくつか暗唱する努力をしてみたいと思う。続くかわからん。ちょっと動機は違うがくずし字読めるようになりたいと思った時と心理が似てる。その勉強は頓挫したままだ。
_ なんとなくカウンタ見たらいつの間にか9万超えてるのな。こんな堕落したおっさんの日記でもそういうことになる。文語で書けばきっと読者離れるだろうな。まあ別にどうでもいいのだが、父の人母の人をはじめ親戚の中の愛読者、とりわけ母の人の妹の人であるところの叔母の人なんかが読み難いと苦情を言いだしそうな気はする。いや今だって十分読み難いには違いないが。