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2006-11-07
2008-11-07 ものもらいできたみたい。
_ メッパ!
なんか左の上まぶたが変な感じだと思ったらものもらいっぽいのができてる。北海道では「メッパ」なんて呼んでた。北海道弁って東北由来の言葉が多いんだけど語源よくわからない。久々に深残になった。モンテカルロ計算してたらちょっと面白そうな結果が出てきた。自分の知らない数理を発見するのは楽しいことだ。Rのsample関数はほんとに便利だ。解析的に演繹的に導けないことがわりと簡単に現象として見えてしまう。
2009-11-07 やる気なす。。。
_ 学会、月曜というのに。
一昨年はずいぶん熱心に取り組んでいた。今回もそうできるものと思っていたのに、なんだかできない。
高いレベルを求めすぎてるんだろうか?高をくくっているんだろうか?
ともかく必要な事務用品を購入したきただけ。自転車で今日は神奈川大学の脇から横浜駅西口の方に行くルートをとった。いつもより坂がある。が、このひと月ちょっとでゆるやかな坂はだいぶ克服できるようになった。こういうことも行動半径を広げることにつながる。
で、あとは単なる休暇になってしまった。
ちゃんとやれるのか?オレ。
2010-11-07 「追想」の録画が…
_ [映画] イングロリアス・バスターズ。
WowWowではQ.タランティーノを特集して「イングロリアス・バスターズ」(←タイトルにタランティーノの手書き文字を使ってるが、綴りが間違ってるw)に至るまでのタランティーノ作品と、淫グロリアス・バスターズの元ネタになっている映画を放映する。こういうのがあるからなかなかWowWowの契約を切れないでいる。「VIVA!イングロリアス・バスターズ」という20分の特番が流れた。キル・ビルに出演したつながりで栗山千明が出てた。この番組の中でフランス映画「追想」もパクられていると知った。「追想」は中学の時か、あるいはもう少し後年に見た記憶がある。ロミー・シュナイダー扮する妻と子供をナチスに殺された主人公フィリップ・ノワレの復讐劇。残念なことに「追想」の放映時間は放送大学の番組と重なってしまっている。そうか、デジタルWowWowの契約をすればW録ができたかもしれないな。WowWowも放送大学もBSに移行してしまうし。コピー禁止が嫌なんだけどな。
_ 「今夜は一緒に風呂に入るがぜよ♡」
福山エロす。しかもこんなセリフ言っといて朝帰りw
_ 初お灸。
こういう療法も効果があるんじゃないかと思って試してる。せんねん灸にはいろいろ種類があるが、初心者なので一番熱くないのをすえて見たけどいま一つ聞いてる感じがしないので、もう少し熱い奴でも良かったみたい。艾の香りは悪くない。なんかハマりそうな予感。ツボの勉強もしなくちゃな。今日は説明書を見ながら陽陵泉と足の三里と復溜、と思しき所にすえた。説明書に、火を付けてからツボに乗せると書いてあって、どうして乗せてから火を付けるのじゃ駄目なのかと不審だったがやってみて理由が分かった。乗せてから火を付けると脛毛に引火する危険性があるのだ!そういう訳で一度は画像を載せて見たけど、余りにも脛毛が見苦しいために当局に削除されました。
_ [交通史][博物館][中原街道] 品川歴史館に行ってきました。

_ 1)「品川歴史館特別展 中原街道」今回の特別展示の図版。
_ 2)「品川区史料(11) 品川の古道」品川区教育委員会。こういう史料はその場に行かないとあるかどうかが分かりにくいので、地方の博物館施設に行くとまずこういうものを探す。
_ 展示されていた資料は1)にほぼ収録されているようだ、というか1)に掲載されているもの総てが展示されているわけではなかったように見えた。時代は中世から現代まで。「更科日記」に竹芝寺あとを通った記述があり、中原街道にあたる道を通ったのではないかということらしい。図版には街道の通る地域毎の街道の呼び名の一覧などあり興味深い。


2011-11-07
_ [漫画] 「ぼくの孫悟空」手塚治虫
地味に手塚治虫全集を読んでいる。この間「ぼくの孫悟空」を読み終えたのだが、あとがきのところの手塚先生の文章が面白かった。「白蛇伝」を作った直後の東映動画がこれを原作に「西遊記」を作ったのだと書かれている。そういえばこれも録画してみてないな。白蛇伝も最後まで見てない気がする。世界は鑑賞されるべき作品に満ち溢れていた。。。
_ [漫画] 「スリル博士」手塚治虫
この作品も手塚治虫全集のなかで読んだもの。そして気づいたのだが、やはりあとがきがおもしろい。このスリル博士というのは物語上は主役とは言いにくいヒゲオヤジのことなのだ。連載開始前に予告で適当な名を付けた故にこのようなことになったらしく、しかもこの作品が公開されたのは昭和33年創刊の少年サンデー。これがはじめての少年向け漫画週刊誌であり、現在のように大河的な作品をちょっとづつ掲載していく形式のものが当時無く、一話完結を毎週載せるというかなり悲壮感漂う連載形式だったのだそうだ。そういう予備知識なしに読むと、全編ノンストップアクションという、時代をかなり先取りしているようなものに見えてしまうのである。もちろんワーコホリックの手塚先生であればこそやり遂げられたものには違いないが、さすがに次作「0マン」ではこの形式は受け継がれることはなく、初めから大河形式で作られることになったのだという。週間連載漫画の歴史をここに見たり。関係ないが、板井れんたろうの「スリルくん」なんてほとんど誰も知らんだろうな。
2012-11-07 ゴビンダさんに無罪判決。
_ 「今日私はさいしんで無罪になりました。私にとってにどめの無罪はんけつです。さいしょの無罪はんけつがただしかったことがやっとあきらかになりました。もちろんうれしいけれどくやしいきもちもあります。どうして私が15年かんもくるしまなければならなかったのか日本のけいさつけんさつさいばんしょはよくかんがえてわるいところをなおして下さい。無実のものがけいむしょにいれられるのは私でさいごにして下さい。今まで私をたすけてくださったべんごだんとしえんしゃのみなさんに心からかんしゃしています。これからもよろしくおねがいします。2012年11月7日 カトマンズにて ゴビンダ・プラサド・マイナリ。」
つい最近「東電OL殺人事件 」(佐野眞一著)を読んだばかりだった。この事件にはスキャンダラスな点が2つあり、そのうちの一つが今回の誤認逮捕であり検察側が無罪を主張するという超異例な結果となった。今一つはエリート女性社員を売春に駆り立てたものは何だったかという点で、こちらの方はなかなか論証が難しいことである。
_ 今日、定期健診だった。視聴覚検査と血液サンプリングに続いて身体測定となるのだが、昨年に比べて4キロほど逓増していた。それに見合うだけ腹囲も増えていたのだが、わりと体重計には乗るほうで、結構めまぐるしく増減を繰り返しているのであまり気にとめていなかったのだが、昨年の数値との差をむしろ検診のスタッフさんの方が気にとめて、わざわざ「よろしいでしょうか?」とこちらに確認を求めてくるのである。それがおかしくて、思わず「いや、しょうがないじゃないですか」と返答してしまう私。「不満だとでも言えば…?」不満だとでも言えば少し数字をいじってくれるというのだろうか。「一応確認させていただきました」と少々困惑された。真面目な女性をいじるのもそろそろやめといた方がいいかもしれない。なんかもう一つ面白いことがあったような気がしたが忘れた。
_ [漫画] 「どろん」弓月光
1972年に単行本の初版が出ている。近所の女の子かもしかするといとこの女の子に当時見せてもらったんだと思うのだが、なぜこれを読み返したくなったかというと、最近新堂エルの「TSF物語」というのを読んで(←さらっと書いてるがさらっと書くようなことじゃないんだよね、本来は)、男女の性が逆転する物語のことが大変気になっているんである。最近は「女体化」などといって同人誌を中心とする作品群の中で一つのジャンルを確立しているのでそろそろこのジャンルには統一的な呼び名が必要と思っている。思うのは勝手だからな。思えばわが国には平安のころに成立した「とりかえばや物語」という古典があるわけだし、能だって狂言だって女性役は男性がやる(もっとも狂言の場合は頭に白い細長の布ーこれはビナン蔓と呼ぶんだそうだーをまいただけで化粧も何もしないで女の着物を身につけて女性を象徴的にあらわすのだが…)のだし、手塚治虫先生だって宝塚歌劇にほれ込んで「リボンの騎士」のようなTSFモノを描いたのだ。日本は昔から腐女子や腐兄の世界にいたのである。弓月先生の「どろん」はさらにそのセクシュアルな面を強調した作品で、男性の女性化が中途半端になって性器だけ男性のまま、という記述がある。「男の娘」の先取りじゃないか!ぶったまげた。私はこれを読んだ頃は10代初めの方だと思う。主人公大助が自分の胸を触ってるコマに違和感のある写植の「ホンワカホンワカ」というオノマトペはすっかり頭に焼きついていた。だが、初めて読んだときはあんなにときめいたというのに、今はもうその部分に関する刺激としては物足りないものと言わざるを得ない。子供って感じやすいんだなあとつくづく思った。胸のふくらみがなんとなくエッチなことに属するものだとは気付いていたが、それが自分のものになってしまうことを想像すると奇妙な興奮を覚えてしまう。それは変態の萌芽である。わたしにはもう一つ変態の萌芽のきっかけとなる作品がある。それはあろうことかまたしても手塚先生の作品で、旧タイトルを「バカちょん」、現在は「バカ一」という作品である。何をやっても駄目な主人公が、ある日催眠術を習得してきれいな女の子を思いのままに操って服を脱がせかけるというシチュエーションにものすごく興奮した。これらのシチュエーションの興奮は幼い自分をして何度となく妄想を誘起せしめたのだが、精通以前だったため当時の生活には特に支障を与えることもなかった、まあ罪のないエロスの部類といえるんではないかと思う。
なんかこんなことばかり書いてるとまるで自分はエッチなことが仕事の人みたいに見えるから困る。困るなら書かなければいいんだ。
2014-11-07
_ 帰宅の電車。夕べ遅く今朝早く朦朧としてる。風邪もいい感じで体がポカポカしててヤバイ。そんな耳に「次は新子安、新子安」と車内アナウンスが聞こえてきた。俺は思った。「どうすれば子安と仲良くなれるんだ?」思ってから、何だそれは、と慌てて打ち消した。どうかしてる。早く一人になりたい。
_ iPhoneで表示される字体がヒラギノ角ゴになってから、見るのがちょっと楽しい。自分の書いた秀逸な記事読んでて泣けてくることもたまにあってどうかしてる。焼き鳥食いたいわ。
2015-11-07
_ 英会話。今日も数分のプレゼン資料を作ってみた。最近日経ビジネスで昆虫食のことを読んだので、そこから思い出したいくつかのことをネタにした。1800年代の後半にイギリスのHoltと言う人が昆虫食を勧めるパンフレットを出版したのだが、彼はそれを健康のために、と勧めていたらしい。現代においては、未来の食糧危機に備えて昆虫食を、という論調に変わってきている。ところでもっと昔のアイルランドにおいてはガリバー旅行記の作者であるジョナサン・スゥィフトが、「控えめな提案」をしていた。新生児を、繁殖のためのものと食用のものとに分けて、後者は1歳になるまで手厚く育てたのち、フリカッセやソテーに供する。もう少し穏やかな提案は1970年代のMGMフィルム「ソイレント・グリーン」によって与えられたものである。soilent=soy(大豆)+lentil(レンズマメ)からの造語だが、これは死亡した人間が材料である。だがもちろん、生き残るためには昆虫食を選ぶ方法もある。やはり70年代の映画「パピヨン」のスティーブ・マックイーンのように。コンクルーディング・クエスチョン。さあどちらを選ぶ?
ところが、プレゼン相手のテリー先生(仮名)はボーイスカウトでサバイバル授業を担当したことのある上級者であって、チョウやガの幼虫は毒を持っているものが多いから注意とか具体的な知識を有していたのである。必要に迫られたら、きっとスカベンジングも昆虫食もしていかなくてはならないのだろうと思う。この話は、自らが飢餓的状況にない場合にのみ(悪い)ジョークとして成立するものだ。物を食べるという行為はそのコミカルな見かけほどにのんきなことではないのだ。
2016-11-07
_ 夜ヨガは大腿四頭筋の裏をめちゃ伸ばすシールシャ・アーサナと仰向けから腰を上げる太鼓橋のアーサナ(セーツ・バンダ・サルバンガサナ)。伸びた。その後ツタヤに行く。出前を取った(←だめなんだぞー!)んじゃなくて、会員証更新。そのサービスで旧作を一本無料で借りられるので「愛の渦」借りてきた。実はツタヤのカードはもっぱらTポイントカードとして利用しているばかりでレンタルにはあまり使わない。まあ元は取れてるような気がする。ついでに唐沢なをきの「まんが家総進撃4」見つけたので購入。
2017-11-07
_ ベシャメルソースできたっぽい。
いわゆるホワイトソース。刻みニンニク適量、オリーブオイル40ccを炒めてから少しずつ小麦粉40gを混ぜていき、参照したクックパッドのレシピではここに白味噌を小さじ一杯溶かし込む、とあったのでやってみた。そして、豆乳を300cc投入して、全体がもたっとなるまで火を通す。そうそう、クローブ、ナツメグ、ローズマリー、ローレルで味を整えた。できあがり。ざっと20分弱。ミルクなしでもそれっぽくできたので、このままクリームシチュー作ってみるよ!
_ できた。
一見旨そうに見えないだろうか?ありのままを話すぜ。 実はかなり美味い。味付けはコンソメではなく粉末昆布だしと塩。グリンピースが好きなのでたっぷり入れて、肉でなく大豆と浸し豆。まあ要するに大豆と大豆。これでも満腹感が出るというのが不思議といえば不思議。煮込めばさらに美味いことだろう。味噌の味は、コクとわずかな発酵臭がなかなか微妙な旨さを出している。これは少し驚いた。なんだかこの先ずっと大丈夫な感じがしてきた。大袈裟かな?
_ 訂正。野菜が十分に煮込まれていなくて人参もジャガイモもちょっとフレッシュすぎた。つまり固かった。明日に期待だ。なんかこの先ずっとトホホな感じがしてきたよ…
_ 自分が取るに足りない人間に思えたり、人と比べてみじめだと思ってしまうときはいずれにせよある。そんなときには、何か普遍的な価値があると思えることに取り組むのが良いのだと思う。たとえば筋トレなんかは最適だろう。あるいは瞑想であるかもしれないし、文学や芸術に触れることであっても良い。新たな料理のレシピを手に入れることだってそうだと思う。普遍的な価値があると思っているのだから、それが現世利益に直結しなくたって、価値があるからだ。だが、その価値すら揺らいでしまうとしたらどうなのだろう?そうすると、その「普遍的な価値のあること」は普遍的であればあるほど良いことになる。どんなに悲観的な見方をしたとしても、それは確かに存在することだろう。
2018-11-07
_ エンケンさんの歌を聴きながら帰宅中。「ラブコール」と言う直接的な愛の告白を聴きながら、この間NHKラジオ第二で聞いてた話を思い出した。夏目漱石は〝I love you〟を「月が綺麗ですね」と訳したと言う話。原作は何だったかな。以前、「だがしかし」の中でココノツとハジメさんが夜空を見ていて、ココノツの言った「月が綺麗ですね」と言うセリフにハジメちゃんが過剰反応してしまう場面があった。その時意味がわからなくてネットで調べたはずだったが記憶に定着していなかった。もう定着したと思う。
_ 今ネットで調べた。出典不明だ。そうか。
_ そうそう。日経と連動してたり手書きノートが描きやすくてエバーノートにどっぷりハマってたら課金のお知らせが来たのだった。うう。こんな日が来ることを予想してなかった自分が愚かだ。離れられなくなるのには十分な期間、無償で使わせておくという天晴れな手口だ。仕方無く年間契約。こうなったら使い倒してやるまでよ。むは、むははははは。←何と言う虚しい笑いであろう。
_ [数学]ルベーグ積分。
こないだ入手したルベーグの「積分・長さおよび面積」、はしがきと冒頭の2ページだけ読んだ。ルベーグの学位論文がもとになっている。リーマンの積分の定義によると、ある関数を微分したものが積分可能とならないことがあると書いてある。どういうときにそうなるのかはよくわからないが、だったら積分の考え方を変えてしまって、微分と積分がちゃんと互いに逆の演算になるようにしましょうよ、ということが事の起こりであるらしい。その目指すところは理解した。この後ちゃんとわかるか自信は今のところないが、比較的初等的な数学の知識だけで読み進められるということなので、少しでも時間をとって読み進めたい。今週は月曜の夜にも少しランダウの力学読んで円筒座標の角運動量とか計算してた。月曜の夜に、今の自分は子供の頃よりも体が柔軟になったと書いた。多少誇張した言い方だが、物理や数学に対する理解も、大学に入りたての頃よりも今の方が深みを増していると感じている。頭の回転や吸収力は若い頃の方が早かったのだろうけど、理解、ということに関して言えばあの頃の自分は自分が何をしているのかわからずにやみくもに鉛筆を紙にこすり付けていただけという気がする。あれはいわば筆馴らしみたいなものだったのではないのだろうか。ということは、学校を卒業して教科書を読むことをやめてしまったなら、実際の書道を学ぶ前に筆をおろしただけでやめてしまったということなのかもしれない。。いや、単に若い自分が愚かだったに過ぎないのか。うん、きっとそっちだ。
2020-11-07
_ [熊野街道] 阿田和から波田須まで。
どよーび。水曜から今日まで、会社さんがくれた休みを利用して熊野街道・伊勢路の旅に行っておりました。画像とか後日公開すると思いますけど、三日間晴れていた天気は今日ついに崩れて雨の中の峠越えとなりました。でも紀伊の山々が雲を吐いてなかなかに見応えのある景色を眺めることができたのでした。「てくてく熊野古道」のスタンプは4つしか集められなかったけどやはり旅は良い。宿は神志山で一泊、尾鷲で二泊。尾鷲の駅にコインロッカーがないのはちょっと不便でしたな。でも二泊もすると何だかずっと住んでるような親しみを覚えました。という訳で次回(いつだ?)は徐福の里・波田須からスタート。二つほど訪れられなかった古跡があるので、それを探すところからになる。
2021-11-07
_ 駅伝でスーパーヒーロータイムの無い日。昨日からWindows PCがおかしくなって、リブートに手間取っている。何と5時間掛かって「ようこそ」画面でまだ待たされてる最中。ウルトラマントリガー見始めた。カルミラがえっろい。もともとウルトラマンのフォルムというのが裸体みたいなもんだから女体になるとこうなっちゃうんだなあ。しかもムチで攻めてきたりくねくねしたポーズしたりとか。泉正之の『ウルトラLOVE』思い出してしまう。中の人(上坂すみれ)の顔出しの回まで今しばらく掛かる。
2023-11-07 アライさんなのだ。
_ いや、そんな牧歌的な話ではない。ご近所に簡易的な池と言うか桶というか、なんかそんな物を庭先に出しておいて金魚か何か(ちゃんと見てなかったのだ)を泳がせているご家庭があるのだが、午後の6時ごろその庭先を通ると何やらベチャベチャと水音。見ると、猫ぐらいの獣が3匹でその水場を荒らしているのだ。タヌキかとも思ったが、どうやらアライグマのようだ。「あらいぐまラスカル」の影響でペットとして購入したは良いが思いの外人に懐かないために離してしまうというケースのあることは聞いていた。もちろん、のらアライグマを拾って養ってやろうという危篤なものなどいないだろう。彼らはそれでも生き延びねばならぬ。こちらがだいぶ近づいても逃げようともせず、むしろ何かこちらが不穏な動きをしようものなら一線交えようかとでもいう太々しさだ。だいぶ気も荒いらしい、とも聞いた。何しろ"荒い熊"というくらいだ。適当に距離をとってシーッと声を出すとやっと逃げて行ったのだった。ゴミの集積場を荒らしてたのはこ奴らかもしれない。"荒し熊"だ。ともかくこちらに飛びかかってきたりしなくて良かった。あと、ただの熊じゃなくて良かった。もしかして人間の次に地球を支配するのは都市に順応したこれらの獣たちなのではないのか?などど、最近クリフォード・シマックの『都市』を読んだ自分は考えてみたりするのである。そう言えば単行本未収録で最終章の載った古いSFマガジン、せっかく買ったのに読んでないや。それはそれとして俺のスマホ「SF」って入力するとなんで勝手に「分子運動論ドロッドロ」って変換しちゃうの?ハッキングされてるの?なんか怖い。ついにAIも人類に反旗を翻し始めたの?
_ うにゃにゃ [お疲れ様でした! 無事おわったのですかね?報告おまちしてます]
_ けい [終わったっすよ。とりあえず無事に。英語の応対はあわわって感じでしたけどね。業界に知り合いが増えてきてちょっとなんだか..]