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2012-11-07 ゴビンダさんに無罪判決。 [長年日記]
_ 「今日私はさいしんで無罪になりました。私にとってにどめの無罪はんけつです。さいしょの無罪はんけつがただしかったことがやっとあきらかになりました。もちろんうれしいけれどくやしいきもちもあります。どうして私が15年かんもくるしまなければならなかったのか日本のけいさつけんさつさいばんしょはよくかんがえてわるいところをなおして下さい。無実のものがけいむしょにいれられるのは私でさいごにして下さい。今まで私をたすけてくださったべんごだんとしえんしゃのみなさんに心からかんしゃしています。これからもよろしくおねがいします。2012年11月7日 カトマンズにて ゴビンダ・プラサド・マイナリ。」
つい最近「東電OL殺人事件 」(佐野眞一著)を読んだばかりだった。この事件にはスキャンダラスな点が2つあり、そのうちの一つが今回の誤認逮捕であり検察側が無罪を主張するという超異例な結果となった。今一つはエリート女性社員を売春に駆り立てたものは何だったかという点で、こちらの方はなかなか論証が難しいことである。
_ 今日、定期健診だった。視聴覚検査と血液サンプリングに続いて身体測定となるのだが、昨年に比べて4キロほど逓増していた。それに見合うだけ腹囲も増えていたのだが、わりと体重計には乗るほうで、結構めまぐるしく増減を繰り返しているのであまり気にとめていなかったのだが、昨年の数値との差をむしろ検診のスタッフさんの方が気にとめて、わざわざ「よろしいでしょうか?」とこちらに確認を求めてくるのである。それがおかしくて、思わず「いや、しょうがないじゃないですか」と返答してしまう私。「不満だとでも言えば…?」不満だとでも言えば少し数字をいじってくれるというのだろうか。「一応確認させていただきました」と少々困惑された。真面目な女性をいじるのもそろそろやめといた方がいいかもしれない。なんかもう一つ面白いことがあったような気がしたが忘れた。
_ [漫画] 「どろん」弓月光
1972年に単行本の初版が出ている。近所の女の子かもしかするといとこの女の子に当時見せてもらったんだと思うのだが、なぜこれを読み返したくなったかというと、最近新堂エルの「TSF物語」というのを読んで(←さらっと書いてるがさらっと書くようなことじゃないんだよね、本来は)、男女の性が逆転する物語のことが大変気になっているんである。最近は「女体化」などといって同人誌を中心とする作品群の中で一つのジャンルを確立しているのでそろそろこのジャンルには統一的な呼び名が必要と思っている。思うのは勝手だからな。思えばわが国には平安のころに成立した「とりかえばや物語」という古典があるわけだし、能だって狂言だって女性役は男性がやる(もっとも狂言の場合は頭に白い細長の布ーこれはビナン蔓と呼ぶんだそうだーをまいただけで化粧も何もしないで女の着物を身につけて女性を象徴的にあらわすのだが…)のだし、手塚治虫先生だって宝塚歌劇にほれ込んで「リボンの騎士」のようなTSFモノを描いたのだ。日本は昔から腐女子や腐兄の世界にいたのである。弓月先生の「どろん」はさらにそのセクシュアルな面を強調した作品で、男性の女性化が中途半端になって性器だけ男性のまま、という記述がある。「男の娘」の先取りじゃないか!ぶったまげた。私はこれを読んだ頃は10代初めの方だと思う。主人公大助が自分の胸を触ってるコマに違和感のある写植の「ホンワカホンワカ」というオノマトペはすっかり頭に焼きついていた。だが、初めて読んだときはあんなにときめいたというのに、今はもうその部分に関する刺激としては物足りないものと言わざるを得ない。子供って感じやすいんだなあとつくづく思った。胸のふくらみがなんとなくエッチなことに属するものだとは気付いていたが、それが自分のものになってしまうことを想像すると奇妙な興奮を覚えてしまう。それは変態の萌芽である。わたしにはもう一つ変態の萌芽のきっかけとなる作品がある。それはあろうことかまたしても手塚先生の作品で、旧タイトルを「バカちょん」、現在は「バカ一」という作品である。何をやっても駄目な主人公が、ある日催眠術を習得してきれいな女の子を思いのままに操って服を脱がせかけるというシチュエーションにものすごく興奮した。これらのシチュエーションの興奮は幼い自分をして何度となく妄想を誘起せしめたのだが、精通以前だったため当時の生活には特に支障を与えることもなかった、まあ罪のないエロスの部類といえるんではないかと思う。
なんかこんなことばかり書いてるとまるで自分はエッチなことが仕事の人みたいに見えるから困る。困るなら書かなければいいんだ。