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2006-01-14 父、母、弟、弟の嫁(予定)に会う。 [長年日記]
_ 弟が結婚するらしい。相手の父親は東京に住んでいるというので、実家の父母が挨拶に上京した。父母とは一年半ぶり、弟とはそれ以上振り。
そして嫁さん(予定)は、クレバーな美人という感じ。弟、だまされてるんじゃないだろうな?w
小一時間ほど談笑した後に彼と彼女はお買い物に出かける。われわれ親子はどこかに出かけようということになったものの、日も暮れて大雨なので手近な見所も具合が悪く、安易に東京タワーに出かけた。初めて上ったが、さすがの雨で近所しか見えない。それでも人は結構いる。老父母を連れて蝋人形館を見た。これはわたしのリクエスト。
夕食にホテルの鮨を食べる。高い値段の割りにまあまあの味かな…と思っていたら父も母も旨い旨いと喜んで食べる。彼らは北海道にいるわけで、旨い素材は結構口にしているものと思うし、わたしなぞはあちこちを旅して口にするものの中にはこれよりも安くて旨いものが沢山あったように思う(まあ歩き旅で口にするものは何であれ、ホテル38階で値段を気にしながら食べる鮨より随分旨いには決まっているのだが)。だから、割高の鮨をありがたがって食べる父母がなんだか不憫に思えたのだった。いや、まあそれなりの味には違いないんだし、わたしに感謝してくれているということもあるのだろうが、なぜか悲しみを禁じえなかったのだった。もっといい思いをさせてあげられれば、などという殊勝な気持ちも働いたかもしれない。
家族への想いというのはかくも複雑なものだったのか、と思い知らされた。家族が苦しめば悲しいのはもちろんだが、家族が喜べばそれもまた悲しい。この想いこそ、煩悩に他ならないのだろう。家族と暮らす安らぎと煩悩、そして独りでいることの寂しさと気軽さ(と、別の煩悩)を比べると、それでもわたしには後者が好ましく思われる。
たぶん傍目には、こんな私こそ不憫に見えるに違いないのだが。