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2013-03-16 [長年日記]
_ タモリ倶楽部見てます。東横渋谷駅はこの春地下にもぐってしまうんだよね。そういう特集をやってる。タモリさんが東京に出てきたときの東横の思い出を語っている。私も、初めて関東に出てきて住んだのが東横沿線だったので思い出はとても深い。本来似つかわしくない街であろう渋谷によく足を向けるのもそのためなんである。でもしぶちかとかハンズとかくらいしか行かない。むしろ神保町に行くときの中継駅としての渋谷駅なのである、私にとっては。
_ 媽祖廟@中華街。
ジムのヨガは確かお休みだったと思ったので午前中は録画の整理をしてから英会話教室の宿題して出かけた。いつもは渋谷行きの電車が今日からは川越行きだったり新宿三丁目行きだったりしてすごく違和感があった。そう、今日から東横線は埼玉方面へ直通運転を開始したのである。英会話の後はかかりつけの医者に行き、そこから放送大学(弘明寺)へ行って本を借りてきて、中華街でまた塩くるみとサンザシを買い、最後に猫の食べ物を買って帰宅して宅配便を受け取る、という結構ハードスケジュールだった。
実はここ2週前から我が家のお母さん猫:うめちゃん(キジトラカギ尻尾)の具合が悪い。物陰に潜んで食事もとらないので先週医者に連れて行き、3日ほど入院してきた。どうも脂肪肝であるらしい。そういえば不妊手術した時も少し肝機能の悪いという兆候があった。それが今回はだいぶ悪くなり、自分からは食事も水もとらないで脱水症状を起こしていた。入院中に鼻カテーテルで強制給餌をして点滴を施してある程度持ち直したが、入院中に自ら餌を取ることは無かった。さらに肝臓の生検をしたりさらに入院を続けるという選択肢も無いわけではなかったが、我が家は恥ずかしいことに現在5匹の多頭飼いであり、この一匹にばかり負担を施すことはできない、という厳しい現実がある。どうなるかは知れないが栄養価の高い食事を自宅で施し肝臓の薬を投与しながら様子を見ていくということにして退院してきたのが先週末だった。それから1週間。退院当初は病院からもらった高栄養の食事は気に入らないようで手をつけないが水は多く摂ってくれた。もう一日様子を見て食事をとらないようなら、病院からもらってきたシリンジを使ってうめちゃんと格闘しながら強制給餌を、と覚悟していたら、思いがけずいつものカリカリの餌を自分で食べてくれた。うめちゃんは相当に気性が荒いのだが、私の手から食べてくれたりもした。それでずいぶん希望が出てきたように思う。今までに何匹かの猫たちは手当てが間に合わずに息を引き取って行った。多頭飼いの最大の問題は、一匹一匹の体調の変化に気づくことが遅れがちになることだと思う。共同のトイレを使っている(それでも我が家には3か所ある)ために、どの猫の便通が悪いのかわからない。一匹を除くと皆他人には区別がつかないほど同じ柄の体をしていて、一匹くらい物陰に潜んでしまってもそうと気づくのには時間がかかる。それでなくとも猫の習性として、不調の時はそれを外にあらわさずにひたすら耐えるということがある。今回うめちゃんが或る程度回復しているのはただの幸運にすぎない。自ら食事を摂る意欲が湧いていることは希望だ。手を変え品を変え味を変えて、この後もできるだけ一緒に過ごしていこうと思う。万一死んでしまった場合も特別な葬儀を出すことはせず、公営の火葬場で焼いてもらうことになるだろう。このようにして焼かれた骨は引き取ることはできず、みんな建材の一部となるのだそうだ。多頭飼いの現実ははたで思うようなメルヘンの世界には程遠い。少し管理を間違えば家が崩れる(実際、老人が仏心を起こして世話しはじめた猫がどんどん増えて家屋が崩壊してしまうような実例が存在するらしい。こうなるとトイレも爪とぎもしつけることができなくなり、猫たちの健康状態も悪くなっていく。これに歯止めをかけるためには、まず捕獲器を用意して、可能なら1匹づつ、多くとも3匹くらいまでを一つのケージに確保して管理下に置く必要がある。そして、おそらくは大変な苦労をして、まずはメスに不妊手術を施し、それからオスたちも去勢する。彼らとの本当の共存をそこから始めなおさなくてはならないのである)。
現実を知らない人たちには、不妊手術をすることをかわいそうと見るむきもあるだろう。ケージで囲うことを虐待と見る人もいるだろう。しかし、言葉の通じない多数の存在と共に生きるということはファンタジーではなく、徹底的なリアリズムなのである。本気の猫に噛まれれば指の爪が貫通するほどの怪我をする。だから捕獲器や牛革の手袋を用意することは全く大げさなことなどではなく賢明な備えとなるのである。そのことを一番教えてくれた存在であり、また私が多頭飼いの生活を始めるきっかけともなったのが、誰あろうこのうめちゃんだった。まあなんというか、「生め」ちゃんという意味で付けた名前ではないが名前が悪かったような気はする。猫たちのために多くの行動の制約を受けることもあった。でも、だからと言って、9年ほど前に自動販売機の下の隙間で鳴いていてちっとも出てこようとしない小さいうめちゃんを無理やり引きずり出して家に連れ帰ったことを、今は昔ほど後悔してはいないのである。もはや現状が不幸だとか幸福だとかいうことには意味が無く、ただ、彼らとお互いを認め合って共に暮らすことが私たちの生活なのだと受け入れている。このような現実はもっと知られていいことかもしれない。避妊処置を施されていない野良猫を餌付けすることが何故彼らへのケアとはならず社会的損失を生むことであるのか、そんなことを考えるきっかけにもなるかもしれない。
あれ???中華街いってた??私もいってたよー
買い物行って帰ってきただけさ。例によって何にも食べないできた。次に行くときは功夫服飼ってこようかな。