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2013-03-02 [長年日記]
_ 久しぶりのヨガで何度か意識失う。いよいよ今月でこのジムともお別れだ。見学行って探さないと。
_ ビジネス英語。相変わらず知らない単語が多い。未来形の使い方も難しい。そういえばこないだカラオケ行って自分の声をレコーダーにとってきたんだが、聴いてみると英語が全く英語に聞こえなくて笑う他無かった。声が変な風に聞こえるのはだんだん慣れてくるが、サムライイングリッシュの聞き苦しさには耐えがたいものがある。これでロックなんか歌えない。
2013-03-03 [長年日記]
_ [特撮] 「獣電戦隊キョウリュウジャー」
今日見てて思ったこと。怪人が「お前らは?」と問いかけて「聞いて驚け!」以下名乗り、という下りと、ピンクが名乗りの後に「ウフ♥」とか言って媚びるあたり、ゴレンジャーやジャッカー電撃隊を想起させる。まあそんだけだが。今野鮎莉ちゃんは163cmで女の子としては背の高い方と思うんだが他のキャラと頭半分ほど差がある。この観点で戦隊ものを概観すると何か見えてくるような気もする。戦隊としての統一感とキャラクタの個性のバランスは戦隊シリーズの特徴を語る上での注目点の一つなのだろうと思う。まあ鮎莉ちゃんには本来の意味で伸びしろがあるので、シリーズ中に今のバランスは変わっていくかもしれない。
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
この作品の物足りなさが分かってきたような気がする。仮面ライダーは誕生の時から、ほぼ一人で人類の敵に立ち向かう孤独でかつ異形の存在だった。それは、人間体の時のフレンドリーさや複数のライダーが共闘する場面であってもおおむねシリーズを貫いていると思う。仮面ライダーは他者からはうかがい知ることのできないほど大きなものを背負っているのが普通である。その意味では人を絶望から救いたいというウィザードの自らに課した誓いは重たいものであるし、ファントムを倒し続けないと破滅するビーストもそれなりに大きなものを背負っている。が、ヒーローの命は作品の中では軽んじられるべきものでもあるからビーストの背負っているものはサブストーリー的な興味を引く程度のものだろう。ウィザードの背負う人の絶望はもっと問題にされるべきものだ。作品に述べられている通り、人はそれぞれ異なる理由によって絶望する。もしもその一つ一つに対して視聴者が共感できるのなら良い。だが、そのような共感を誘起するほどにドラマは描きこまれることはない。おおむね2話完結で進行するこの番組は1話目でゲートの説明がなされて2話目では解決されなくてはならない。この1話目で視聴者がゲートに対して感情移入できるか。またそうすることができるほどの気持ちのゆとりを、視聴者は持ち合わせているだろうか。小さな視聴者と大きな視聴者ではまた受け取り方が違うだろう。視聴を通じて他人の痛みを知るという情操を引き出すことができるなら素晴らしいことだと思う。ウィザードの望みは大きい。仏で言えば菩薩級だ。
_ 今日はひな祭りか。おひなさまの皆さん、おめでとうございます。
2013-03-05 [長年日記]
_ 中華街行ってきた。
どうしてもドライサンザシが食べたくなってネットで買おうかと思ったが、サンザシってもともと中国でよく食べるものなわけだよね。そういうわけでめったに行かない中華街に行った。行くときは迷わなかったが帰り道駅の方角がわからなくなった。まあ行くだけなら関帝廟もたぶん迷わないで行ける。しかしながらせっかく中華街に寄ったというのに、サンザシとパパイヤと洋ナシのドライフルーツと塩クルミを買っただけでまんじゅうすら食わずに帰宅。家で生姜焼き用の肉を380g焼いて胡椒とウスターソースで食べた。ひどく旨く感じた。
2013-03-06 リソースが足りない。 [長年日記]
_ 会社の話じゃない。USBハブを買ってテレビにつけるハードディスクの数を増やすことができるようになったのだが、ハードディスクごとにいちいち電源を与えてやらないといけない。容量足りるんだろうか、ウチ。シリーズものの番組-ワイルドライフとか美しい日本と出会う旅とかいい伊豆みつけたとか水曜どうでしょうとか-もあちこちの録画機とハードディスクに分散してるため、ネット経由で相互にダビングする必要があるのだが、LANのジャックが足りないのでこっちにもハブが必要。なんかまた設定で苦労しそうな気もする。めんどくさし。
2013-03-07 [長年日記]
_ 夕べはどうにも眠気に耐えられず、夕食後即寝てしまう。夜中にムクリと起きて(一部が、じゃないぞ 全身)枕元に置いてた手塚先生の「アラバスター」を読破。チャンピオンに載ってたんだったかな、結末知らないまま親爺になったのですっきりした感がある。
2013-03-08 [長年日記]
_ AC電源つきのUSBハブを使ってるのにこれにつないでるハードディスクにPCのバックアップを取ろうとしてもうかれこれ3日ほど失敗続き。これはもしやなにかの前兆なのでは。今日は暖かかった。というか、昼休み外に出て歩いてたら日差しの当たった後頭部が暑かった。もっとも、髪の厚みが無くなってきてシールド効果が薄れてきたのも理由の一つだ。そう考えると今年の夏は熱中症にはよほど気をつけなくてはならないと思う。そんなときに北海道は厳冬なんですかね。地元の皆さん、どうか日々お気をつけてください。
_ なんとなくキッズステーションのルパン三世(第1シリーズ)見てるんだが、やはりこのシリーズの峰不二子が良い。第2シリーズはバストの形がカッコ良過ぎて遺憾。声も二階堂有希子のほうが実在感が薄くてファム・ファタルっぽいとこが好き。そっかー、この人、忍風カムイ外伝のスガルの声もやってたんだな。そうだ、カムイちゃんと見てなかった。
2013-03-10 [長年日記]
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
メデューサちゃんが女子高生の恰好してる。中山絵梨奈17歳。やけにはまってると思った。あどけない。ウィザードとその弟子まで生徒の恰好して学校に潜り込んで乱痴気騒ぎ。挿入歌、仮面ライダーガールズが歌ってるようだ。
_ 今朝は昨日の筋トレのせいでいい感じに筋肉痛が出てる。寝る前にプロテイン飲んどくの忘れた。
2013-03-14 [長年日記]
_ 何年かぶりにコンピューターでいわゆる計算をたくさんさせる仕事が増えてきている。嫌いじゃない。式を書く計算をあまりしなくなっていることは懸念ではある。式が読み書きできることは自分にとっては古文書が読めることと同様に(読めないが ^^;)、世界を知るための言葉の一種なのだから、せっかく覚えた言葉も使わないと使えなくなっていくのはやっぱりもったいないことだ。
2013-03-16 [長年日記]
_ タモリ倶楽部見てます。東横渋谷駅はこの春地下にもぐってしまうんだよね。そういう特集をやってる。タモリさんが東京に出てきたときの東横の思い出を語っている。私も、初めて関東に出てきて住んだのが東横沿線だったので思い出はとても深い。本来似つかわしくない街であろう渋谷によく足を向けるのもそのためなんである。でもしぶちかとかハンズとかくらいしか行かない。むしろ神保町に行くときの中継駅としての渋谷駅なのである、私にとっては。
_ 媽祖廟@中華街。
ジムのヨガは確かお休みだったと思ったので午前中は録画の整理をしてから英会話教室の宿題して出かけた。いつもは渋谷行きの電車が今日からは川越行きだったり新宿三丁目行きだったりしてすごく違和感があった。そう、今日から東横線は埼玉方面へ直通運転を開始したのである。英会話の後はかかりつけの医者に行き、そこから放送大学(弘明寺)へ行って本を借りてきて、中華街でまた塩くるみとサンザシを買い、最後に猫の食べ物を買って帰宅して宅配便を受け取る、という結構ハードスケジュールだった。
実はここ2週前から我が家のお母さん猫:うめちゃん(キジトラカギ尻尾)の具合が悪い。物陰に潜んで食事もとらないので先週医者に連れて行き、3日ほど入院してきた。どうも脂肪肝であるらしい。そういえば不妊手術した時も少し肝機能の悪いという兆候があった。それが今回はだいぶ悪くなり、自分からは食事も水もとらないで脱水症状を起こしていた。入院中に鼻カテーテルで強制給餌をして点滴を施してある程度持ち直したが、入院中に自ら餌を取ることは無かった。さらに肝臓の生検をしたりさらに入院を続けるという選択肢も無いわけではなかったが、我が家は恥ずかしいことに現在5匹の多頭飼いであり、この一匹にばかり負担を施すことはできない、という厳しい現実がある。どうなるかは知れないが栄養価の高い食事を自宅で施し肝臓の薬を投与しながら様子を見ていくということにして退院してきたのが先週末だった。それから1週間。退院当初は病院からもらった高栄養の食事は気に入らないようで手をつけないが水は多く摂ってくれた。もう一日様子を見て食事をとらないようなら、病院からもらってきたシリンジを使ってうめちゃんと格闘しながら強制給餌を、と覚悟していたら、思いがけずいつものカリカリの餌を自分で食べてくれた。うめちゃんは相当に気性が荒いのだが、私の手から食べてくれたりもした。それでずいぶん希望が出てきたように思う。今までに何匹かの猫たちは手当てが間に合わずに息を引き取って行った。多頭飼いの最大の問題は、一匹一匹の体調の変化に気づくことが遅れがちになることだと思う。共同のトイレを使っている(それでも我が家には3か所ある)ために、どの猫の便通が悪いのかわからない。一匹を除くと皆他人には区別がつかないほど同じ柄の体をしていて、一匹くらい物陰に潜んでしまってもそうと気づくのには時間がかかる。それでなくとも猫の習性として、不調の時はそれを外にあらわさずにひたすら耐えるということがある。今回うめちゃんが或る程度回復しているのはただの幸運にすぎない。自ら食事を摂る意欲が湧いていることは希望だ。手を変え品を変え味を変えて、この後もできるだけ一緒に過ごしていこうと思う。万一死んでしまった場合も特別な葬儀を出すことはせず、公営の火葬場で焼いてもらうことになるだろう。このようにして焼かれた骨は引き取ることはできず、みんな建材の一部となるのだそうだ。多頭飼いの現実ははたで思うようなメルヘンの世界には程遠い。少し管理を間違えば家が崩れる(実際、老人が仏心を起こして世話しはじめた猫がどんどん増えて家屋が崩壊してしまうような実例が存在するらしい。こうなるとトイレも爪とぎもしつけることができなくなり、猫たちの健康状態も悪くなっていく。これに歯止めをかけるためには、まず捕獲器を用意して、可能なら1匹づつ、多くとも3匹くらいまでを一つのケージに確保して管理下に置く必要がある。そして、おそらくは大変な苦労をして、まずはメスに不妊手術を施し、それからオスたちも去勢する。彼らとの本当の共存をそこから始めなおさなくてはならないのである)。
現実を知らない人たちには、不妊手術をすることをかわいそうと見るむきもあるだろう。ケージで囲うことを虐待と見る人もいるだろう。しかし、言葉の通じない多数の存在と共に生きるということはファンタジーではなく、徹底的なリアリズムなのである。本気の猫に噛まれれば指の爪が貫通するほどの怪我をする。だから捕獲器や牛革の手袋を用意することは全く大げさなことなどではなく賢明な備えとなるのである。そのことを一番教えてくれた存在であり、また私が多頭飼いの生活を始めるきっかけともなったのが、誰あろうこのうめちゃんだった。まあなんというか、「生め」ちゃんという意味で付けた名前ではないが名前が悪かったような気はする。猫たちのために多くの行動の制約を受けることもあった。でも、だからと言って、9年ほど前に自動販売機の下の隙間で鳴いていてちっとも出てこようとしない小さいうめちゃんを無理やり引きずり出して家に連れ帰ったことを、今は昔ほど後悔してはいないのである。もはや現状が不幸だとか幸福だとかいうことには意味が無く、ただ、彼らとお互いを認め合って共に暮らすことが私たちの生活なのだと受け入れている。このような現実はもっと知られていいことかもしれない。避妊処置を施されていない野良猫を餌付けすることが何故彼らへのケアとはならず社会的損失を生むことであるのか、そんなことを考えるきっかけにもなるかもしれない。
2013-03-17 [長年日記]
_ [特撮] ウルトラマン
MXでやってるやつを見てる。つくづくと思われるのだが、フジ・アキコ隊員こと桜井浩子さんがとてつもなくセクシーだ。切れ長の大きな目、とがった顎、つややかなる髪、小ぶりの胸…科学特捜隊の制服はジャージの生地と思われるが、そのせいでヒップラインのあたりがかなり無防備にあらわれてしまう。少年の時にそんなことを思いながら見てたわけではないのだが、やはり良い作品と言うのは子供から大人まで楽しめるものだなあと思うよ。ああ、浩子、セクシー…。
_ [テレビ]NHKスペシャル。
今日はヒューマノイド(人型ロボット)の特集。3.11がきっかけとなって過酷な状況で人の作業を代替するヒューマノイドの開発が急進中だ。それとともに、ラインの組み立て作業などの細やかな作業を代替するヒューマノイドがすでにリソースとして投入され始めている。「知的生産の技術」だったか「発想法」だったかに載っていたと思うが、人間のワークは高度に知的で創造的な仕事と、人ならではの細やかな対応の要求される仕事に二分されていくだろうという予言があった。この予言は今或る程度正しいのだが、後者の仕事はもしかすると今後は多くの部分をヒューマノイドで代替される可能性もある。一方、前者に関しても、知的であることや創造的であることの意味を取り違えるならば、コンピューターやソフトウェアに代替されることになる。これは現実の話だ。私たちが働かずに暮らせるような未来を彼らヒューマノイドが開いてくれるというのではないとしたら、彼らは確実に私たちの就職をさらに困難なものとすることだろう。ロボットにできないことなんて、もしかしたら無くなってしまうのではないのか。その時、ロボット三原則にはさらに新たな原則が追加される必要がある。たとえば、ロボットは人の幸福を奪うほどに自らを進化させてはならない、と。次回NHKスペシャルはアイスマンをあつかう。これも面白そうだ。
2013-03-18 [長年日記]
_ 春の彼岸になると毎年近所の枝垂れ桜が咲くことになっている。今年は天候が不順で遅れるかと思ったが、ちゃんと咲いた。この桜見ると春が来たんだと実感する。"言葉"で無く、"心"で理解できる。←これジョジョ第5部のセリフね♪
2013-03-20 [長年日記]
_ なんとなく昨日録画されてた東映チャンネルの「ピンスポ!」(番宣の短い番組)見てた。仮面ライダーガールズの新曲はメンバーの言葉を借りると"バキバキ"のロック。俺も聞いたらバキバキになれるかもしれない。一方龍騎:廣川由里加は日曜のボウリング番組に出てるみたいな。今度見てみる。
_ 冬来りなば春遠からじ。寒さが彼岸までと言うのは故郷北海道にはあたらない言葉ではある。今年はぼたもちは自作しないでできあいのを買ってきた。決算の季節で忙しい上に、別れの季節でもある。転勤、閉店、訃報。人生長いからこそいろんなことがおこるということだ。
_ ちょっとまだ明るいけど風呂はいろーと思ってたらEテレでまいんちゃんが踊ってる。もうすっかり大人の階段をのぼりはじめてるなあ…番組的にもそろそろ終わりみたいな風情を醸し出してる。春は別れの季節か…。大人の階段をのぼり始める=ビッチ化していく ということでもある。俺がビッチ化したのはいつだったかなあ。へへへ…みんなも○○ってあらもおど!←なんか確たる予定が無いと人間腐るね。
_ さっきNTTから電話があった。弔電の宛名、漢字が間違ってないかと言う問い合わせ。新聞の訃報と照らし合わせたらしい。ふーん、なかなかやるな、NTT。
2013-03-21 [長年日記]
_ 前にも書いたっけ。ウェブページによくある「スポンサード・リンク」な。あれ、「スポンサー・ドリンク」と思ってたんだ。リンクをたどるとスポンサーからのメッセージがあらわれて、今までじっくり見て拘束的になった頭にちょっと一服気分転換を、という言い回しだと信じてた。前にも書いたかもしれないが、俺、馬鹿だ。
2013-03-22 [長年日記]
_ 帰りめちゃ遅くなった。ちょっと歩いたら脚力の衰えを感じてしまった。荷物が重かったということにしておこう。
_ ちょっとしたきっかけで、またしてもこのHPが数人の同僚の知るところとなってしまった、だがそんなことで書くべきことを曲げるわけにはいかない。このHPもプロバイダを3代変えて日記だけでももう10年はつづり続けている。その年月が今のスタイルを醸成したのだ。これからも自然に変わっていくことはあっても今急に変えるわけにはいかないのである。ただ、画像検索で誤検出の少なさそうな"アニメ絵"を公開してしまったのはある意味うかつではあった。オリジナルの絵だというのもミスヒットの確率を著しく下げている一因であった。自然画の検索だとそう旨く行かない。似たような色調をつかった似ても似つかない画像がたくさん出てくる。以前「お、この子誰だろう」と思って見てた画像で検索をかけたら、その子が着てた服の赤い縞模様ばかりがヒットして、まるでコンセプトの違うクリスマス関係の画像ばかりが引っ掛かってなかなか誰だか分らなかったということがあった。だが今同じことをやると、一発で判明する。その子が絵色千佳であるのだ、ということが。どうやら技術の進展があったようだ。
_ もう自爆ネタやめようかなあ。。。でもそういうネタしかないんだよな、自分のこと書く日記なんだし。じゃあこの日記を読んでると思われる特定の誰かのことばっかりネタにすることにしようか?そうすると実家の両親のこととかも俎上に上ることになってしまうしなあ。…って、いやいや、スタイルを変えないと宣言したばかりではないか。ずっと自爆し続けよう。メガンテ!メガンテ!
2013-03-23 [長年日記]
_ なんとなくネットでチッチョリーナのことを調べてた(というか動画を見てたんだが)。めちゃハードコアだったのでビビった。彼女がイタリアの国会議員になるというのは日本で言えば風間ゆみさん(←最近ちょっと気になる存在)が国会議員になるようなもんだ。まあでもなんとなく風間ゆみさんは奥ゆかしい感じもするからよほど周囲に押されたり強烈な問題意識に駆られない限りそんな可能性は無いような気もする。とりあえず私に必要なことはチッチョリーナの映像をさらに参照することくらいしかないじゃあないか。
_ ふぅ…じゃねえや、まちがえた。さて。久しぶりにというかいつものようにエッチなこと書いてるからもうちょっと書くかな。
AV女優の「演技」ということについて。AVがつかない場合でも女優に要求される演技というものにも様々なものがある。村上もとかの「龍」のわりと最初の方で、ヒロイン・田鶴ていが何人もの映画監督の作品に出演してそのたびに演技にとまどうあたりを読むとその辺の感じが良く分かる。溝口健二のように一切演技指導の様なものをしないで役者が悩みぬいた極限の表現をよしとする監督もいれば、役者は与えられた通りの演技を余計な自己主張を交えずに行なうべきとする小津安二郎のようなタイプもいる。最近亡くなられた若松孝二さんのそれは溝口健二のアプローチに近いもので、そういう極限状況で寺島しのぶは「キャタピラー」のなかで”五体不満足”で戦地から帰った夫が土間に転がってるのを見て「軍神さんはごーろごろー♪」なんて「いもむしごろごろ」の替え歌を歌い、ベルリン映画祭で銀熊賞を取るのである。キルビルの栗山千明はタランティーノが何やってもべた褒めするからあの素晴らしいゴーゴー夕張を体現することができた。
_ 一方、AV作品はその本領はやはりエッチなイベントにあるので(めんどうくさいことにこれが今ではもう単に性交のことを意味しないんである。性交は一切ありませんとか女性は一切脱ぎませんとかそういう断り書きがないと売れないようなジャンルの作品も多々ある)、その部分さえ丹念に描かれていればよいので女優に演技力は必要なく、そのイベントにおける女優の反応が良くて絵が煽情的であればそれでいい、という考えははわりあい常識的な解釈ではないかと思う。しかし、数々の作品と現実世界の虚実を照らし合わせてみるに、どうやらAV女優にはやはりすぐれた演技力が必要とされているのではないかと思い始めている。だがそれはまだ演技になる一段前のことであるのかもしれない。
演技の手始めは、まず観客の前に自分の姿をさらすことから始まる。これはたぶん異論の無いことだろう。ここですでに、演技者たるかそうでないかが大きく分かれる。作品世界でなくとも、壇上ですぐれた演技を披露すれば「あの人は大した役者だ」とか「○○節が絶好調だ」とか称賛されるわけである。それに似たことを裸でやるのがAV作品の役者なのである。だから、まず演技の第一歩として、カメラの前で露出できる(『脱げるか』と書いてもいいのだが、実際には脱がないSEXを売りにする作品もあれば、上手に脱げないのが初々しくて大変良いというコンセプトの作品も数多くあるのだから実にややこしい)、ということは演技の始まり、いわば「演技縁起」(←こういうこと言うのがまた文章をすごく読みにくくしてるのはわかってるさ。でも日記におやじギャグを書いちゃいけないなんて誰が言ったんだ?)というべきことである。間違ってはいけないのだが、ストーリー仕立てのAV作品の中で寺島しのぶみたいな演技をすることは普通は行なわれない。仮に、そちらが大変いい出来だったとしたら、本来のメインイベントのところで本来の楽しみ方ができなくなっちゃうから。だがそれでも両方楽しみたい!という方にも朗報はある。むしろ「失楽園」とか「ベロニカは死ぬことにした」とか普通の(?)映画作品にこそその両者のバランスが計算されて(旨く行ってるかどうかはさておき)提示されているので、ぜひともDVDを入手して一人で(あるいは夫婦で、恋人と二人で)見ることをお勧めしたい。
本当に言いたいのはそういうことではなかった。たとえばアロマ企画の作品にAV女優が登場するとする。この作品は必ずしも露出を控えているわけではないがテーマが淫語、すなわちみだらな言葉による聴覚的な刺激と女優の行為によるいくぶん屈折した性的嗜好を満たす作品であったとする。このときに女優の発する言葉が「スチュワーデス物語」の堀ちえみみたいだったら(例えが古すぎる、単に"棒読み"だと書けばいいのに)これを作品として成立させるためには特別の工夫が必要になる。堀ちえみ本人が登場して「わたしは愚図でのろまな亀だけど、あなたのカメはそれ以上に愚図でのろまね」的なことを言えばそれはそれで企画的にはいけそうな気もする。なんか書いてるとそんなに非現実的ではないような気がしてきた。こういうところがAV作品の懐の深さの様な気もするが間違ってる気もする。だんだん言いたいことがぼやけてきたけど、及川奈央も立花里子も風間ゆみも仮にAVという看板を外したとしてもすぐれた女優として在り得ることは確かであると思う。及川奈央はすでにそんな方面で活躍しているのだし、立花里子は惜しくも早くに引退してしまったが、明らかにウルトラ警備隊のコスチュームで頑張っている「戦闘美少女ローゼンクロイツ」の、ストーリー仕立ての部分の演技では無く、敵の暴力に屈して思わず吐く「くやしい…」の一言はこのような企画作品における最高に望ましい演技でなくてなんであろう。余談だがこの作品のメイキングのところの素のリコピンはすごく可愛くて、人柄の良さがうかがえる。風間ゆみは視聴作品が少なくてあまり語れるものが無いが、前記の立花里子(Sのメイド役)と共演した長いタイトルの作品における上流階級の変態マゾ夫人なぞは、両者の相性も良さそうでそのためもあってか、作品世界の表現を完成させるに不可欠な演技である。上品で高飛車な奥様とドロドロに乱れる淫女が両立することを”言葉”でなく”心”で理解させる(最近ジョジョのこのセリフが気に入ってる)。
_ AV作品にはAV作品を完成させるための演技が必要なのである。たぶん現実のエッチな行為においてもそれはエッチな行為の完成のためには重要なことなのだと思う。感じてもいないのに感じる感じると叫ぶ演技をしろということではないし、絶頂に達していないのにイクと叫べばよいということではない。むしろ「感じる」と口にすることで官能が深まりそれが本当に快感を引き出すという代々木忠が身を削って明らかにしたその境地をこそ目指すべきなのである。代々木忠は一切の演技を否定する立場からさまざまなSEXドキュメントをものしたが、それらが明らかにした数々のことがら、男の中にも女の快楽があること、また逆もしかりなこと、プライドを捨てることでより深いエクスタシーを目指せること、目を合わせ感覚に素直になり相手を互いに思いやることからチャネリングと言う一段高い共感の状態に移行できることなど。これらを素の自分とは違う次元で体現できるなら、それはAV作品における最高の演技と言えるだろう。
_ たぶん、90年代と2000年代とではAVにおける演技、あるいはAVに求められるものが大きく違っているものと思う。できることならそれを系統的に調べてみたいのだが、90年代の作品はおおむねVHSで作られており、入手困難とは言わないまでも、重要な作品は1作につき4000円程度かそれ以上であることが痛い。たとえば、いまこの時代に改めてみる豊丸の作品群、という切り口を実践したいと思ってもこれにかけられるだけの潤沢な資金が無いし、入手困難な作品も多いのである。
_ ちなみに先の立花里子と風間ゆみの共演作の正確なタイトルはこうだ:「巨乳淫乱わがまま変態マゾ奥様と、召抱えられた丁寧淫語で性感御奉仕サディストメイド」敏感な人ならタイトル読んだだけで、ふぅ… というところだな。
2013-03-24 [長年日記]
_ [特撮] 「獣電戦隊キョウリュウジャー」
第1回から俺は気付いていた。ピンクのアミイはクソビッチであるということに。だいたい太ももにホルスターをつけてるのが何よりの証拠。これからも楽しみにしてるぞ。ああ、戦隊メンバーの一人になってクソビッチなピンクに翻弄されたい…。もう、朝からこれだよ。
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
なんでわざわざこの時間にスカイツリーの受信テストをやるのだ。画面が一瞬乱れたではないか。まあ問題の無いことは良く分かった。それにつけてもライダーどもは今回もおちんちんのところをまさぐりまくってる。これは子供が真似して遺憾ことになる。そういうクレームがたくさん出てきてもおかしくはあるまい。今回改めてわかったことがある。変身するのに変身ポーズは必ずしも必要が無い、ということである。そのことを示す例はおそらく昭和のシリーズから丹念に見ていくことによって例証されるであろう。
_ 東京ガスの方から来ました。
電話口でそう言ったわけではないが、太陽光発電の見積もりをさせてほしいから都合を教えろという慇懃丁寧な口調の電話がライフだかパルだか言うところから来る。初期費用と回収にかかる期間など概算でイメージできないと検討する気にならないというと、そうですかと切られる。本当に商売する気があるとは見えない。まあ導入となればうちの場合は屋根の葺き替えが必要なんじゃないかと思うよ。それにつけても、固定電話って応対するだけ損することが多いよね。ナンバーディスプレイがタダになったり電話としてのサービスの工夫が出てこないと、そのうち固定電話はやめてしまいそうな気がするの。
_ 午後3時頃自転車で買い物に出かけると、狭い道でクロネコの車とすれ違いかけた。今日届く予定の注文をアマゾンに出していたのでちょっと気になって運転手と目が合う。向こうもこちらを認識して、届けものがあるのだがと声をかけてきた。荷物は小さい。なので路上で受け取ることにした。それが仕事とは思っても俺だって何度も配達に来てもらうことには気が引けているのだ。
果物とアイスと米五キロを買いでかいリュックに詰めて帰宅。何度か書いているがうちの周りは坂が多く、帰宅の時には結構急坂を自転車で登ることになる。息を切らしつつ家に着くと、お隣さんがうちの庭の手入れをしてくれている真っ最中だった。田舎からの荷物の中にもみ殻が入っていたのでうちの庭にも埋め込んでくれてたのだった。恐縮しながらこちらもスコップを手にして作業に加わる。先日うちのうめちゃんを病院に連れて行ったとき、偶然お隣も喧嘩でけがをした猫を連れて同じ病院にいた。お金がかかるので猫はうちの中で飼うことにしたのだというが、今まで放し飼いだったのでちょうど話の最中にも二階の窓から外に出たがっていた。お隣が猫好きなのは私にはラッキーなことである。
そんなことが一通り終わるとちょうどうちの固定電話に電話が来た。昼ごろちょっと嫌な思いをしてたので多少ぶっきらぼうに電話に出ると、某国営放送局が、5月からスカイツリーからの放映になるのでその受信状況の事前テストが今月末にあるのだという。日程を確認してとりあえず試験放送の時間の番組を録画予約した。そう云う感じでいくつかの用事を数珠つなぎにこなすということになった。夕飯は秋刀魚。2匹買って一方を夕飯に、他方は糠漬けにした。これから生モノが腐る季節になると思うと憂鬱だが、発酵食品は比較的鮮度を気にせずに済むからいい。それでも発酵させ過ぎてしまうことも多々ある。
2013-03-25 [長年日記]
_ うめちゃんのその後はかなり食欲が出てきたようで毛並みにも艶の如きが認められる。そろそろまた検査に連れていくかな、でもまた必死に暴れるんだろうな。こういうときは本気で憎まれる。野生の王国だ。きゃつらが虎やライオンと同種であることをつくづくと思い知らされる時である。これは誇張ではない。
2013-03-27 [長年日記]
_ このHPもまたかなり同僚あるいは元同僚の知るところとなったので、そろそろ世界に向けて彼らをこき下ろす記事でも書き始めることにしようかと思う。思うのは勝手だと思うけどたぶんよほどのことが無ければそういうことは書かないだろうと思う。
今日はちょっと気分が不安定で今なぜか機嫌が良い。こういうときはちょっと控え目にすることが肝要だと気付き始めている。こんな日記から何かのヒントを得ようとする人は気をつけた方がいい。学校の宿題の答えみたいなのを求めちゃいけない。ランジュバン関数は自分で展開した方がいい。そんなわけでまた混乱するようなことを書きます。
_ 情報の非対称性、という言葉が経済学的な分野で良く使われる。それは市場の失敗をもたらすと言われ、これを扱うサーチ理論と言うのがノーベル経済学賞を取ったのは記憶に新しい。特に就職市場が典型例とされて、そこへの理論の適用がなされたと記憶している。つうかウィキペディアに書いてあった。
_ 情報と関係が深くてちょっと似ている概念に、「信頼」という概念がある。人や企業の評判と言う情報が自分に利益を与える確率や自分を害しない確率を高めていく場合には、"信頼の尺度"(これをなにとするべきなのか調べてないのでわからないが)は増していくであろう。「信頼」は当然何らかの関係を有するペアの間において問題にされることだから、情報と同様に流れととらえることができる。つまり"向き"をもっているわけである。そして何らかの尺度でその大きさが定義できるのであれば、当然の帰結として「信頼の非対称性」ということが問題として扱えることになる。情報の非対称性が労働市場で典型的に問題視されるのであれば、信頼の非対称性は恋愛事件において典型的に問題視されるものであろう。こういうのを扱うのは社会学なのかと思うが、社会学者を多く知らなくて、有名なジンメルも「断想」の作者としてしか知らないし、他は最近の「ユリイカ」に出てくるほんのりと香ばしい若手の対談での発言くらいしか知らない。あとは「心狸学・社怪学」という本は高校の頃に学んだが大して役には立たなかった。それは当然だからいいんだけど、信頼の非対称性は市場の失敗に匹敵する悲劇を生むから、精力的に研究されてしかるべきことだと思う。しかし残念ながらノーベル賞に経済学賞はあっても社会学賞は無い。したがって、この分野でノーベル賞を取るつもりなら、その研究の成果によってノーベル平和賞を狙う他無い。
_ 信頼の尺度をどうとるか、ということだけでもひと仕事と自分には思われるが、幸福度というものがアンケート調査によって定量化されて経済学の中で扱われているのであるから、そこからの類推で定量化ができると思われる。たとえば行動の分析。心理テストみたいなのをざっと50題くらい用意すれば定量性が出るのではないだろうか。自分は回答したくないが、学生向けのアルバイトにでもすればそれなりの量的データにはなるはずだ。って、きっともうあるんだよな、そういうのって。
_ そういえば製品の品質として信頼性をテストするときのような方法もあり得るな。対象を過酷な状況において、それでも挙動がゆるぎないものであるかどうか。積極的にそういう試験をするのは人道的には許されないかもしれないが、幸いなことにさまざまな信頼関係に関連するテキストが存在している。ただそれらの多くがフィクションの形で記述されていることが問題だ。フィクションの中から普遍的なものを取り出すことがもしできるならば、過酷な状況の事例などは山ほどあることだろう。そういうわけで、あまたある小説と言うビッグデータから普遍的な人間行動と人間関係に関する部分を抽出する技術が確立すれば、信頼の非対称性に関する研究が進む。文学が量的データとして人類に貢献する可能性があるということだがちょっと気の長い話の様な気もする。しかし、さまざまなレトリックやシチュエーションで描かれた物語の中から人間の普遍的な問題を取りだす、という技術はまさしく文学者にゆだねられる使命ではないのだろうか。そういうことを量でこなすことができるようになったなら、文学はテクノロジーの一分野となる。文学としてはテクノロジーに堕したと言いたいところかもしれないが。
_ [テレビ・ラジオ][交通史] 「美しい日本に出会う旅」
早く帰ってくると、こういう番組を見ることができる。今日は三浦半島縦断の旅。鎌倉がスタートとなっている。鎌倉の海岸沿いを歩くとつい口ずさんでしまう歌はやはり:
七里ガ浜の磯づたい 稲村ケ崎名将の 剣投ぜし古戦場
これだな。
_ 鎌倉宮を創建したのは明治帝なのだそうだ。素徳院の御霊を京に帰還させたもうたのも明治帝だった。明治帝は帝たるにふさわしい行ないを尽くしたのだろうと思う。
相模湾でアカザエビとかタカアシガニが取れるとは知らなかった。たぶん高すぎて、あるいは鮮度がもたなくて、うらみてえなオーク風情の口には一生はいらねえだあよ。それにしてもやはり三浦は良いなあ。地層がいい。海がいい。また野宿しに行きたい。熊も出ないし。ああ、良い。
2013-03-28 [長年日記]
_ なんかさらにまた同僚の方たちにこのページのこととそのマスターが自分であることが拡散してしまった。まあいい。ここを見つけた以上はナイスなハンドルネームでゲストブックに足跡を残さなくてはならないことを肝に銘じるように。たとえそれが私の上司であろうと、長年共に仕事をしているなじみの方であろうと、なのである。そして私もあえて唱えよう。「メガンテ」と。いや、もう「パルプンテ」になってるかもしれない。すみません、FFⅧ以降RPGらしいRPGやってないんです。
_ それにしてもだ。このページは素の私を知ってる人にはとっても見つけやすくて困る。以前は「東海道」と「栗山千明」で検索すると引っ掛かったし、今は「ランジュバン関数」と「キョウリュウジャー」で一発だよ。確かに組み合わせの斬新さではあまり人に引けを取ったことは無いような気もする。
_ 期末の追い込み的な仕事をやっている最中にずっと気になってたことがある。それは技術の特異点が近づいているということだ。人の能力を越えたAI的なマシンが誕生した時、そこから以降はもう知識をつかさどる主体はヒトにはない。そういう世界でヒトと言う動物はどのように生き延びていくのだろうか。知能で彼らを凌駕することがもしもできないのだとしたら、スピリチュアルな方法で対抗すべきなのだろうか?だがそれらがやはりうすうすそう思っているヒトもたくさんいるように、結局はまやかしだったとしたら?そう、そういうもののベールがはがされてしまうのが、技術の特異点以降の世界の、もしかしたらうすら寒い風景につながっていくのかもしれない。だがそれは多くの迷信が消え去るということでもある。我々は多くの迷信を過去において、そして現在もすでに失ってきたし失いつつある。だがそのことによって、我々の世界は貧しくなっただろうか?決してそんなことは無いと思う。今寺田寅彦が生きていたら、やはり言うだろう。「君、不思議だとは思いませんか」と。だが、もしも寺田先生が技術の特異点以降に生きていたら同じことを言うだろうか?
_ 技術の特異点に触れた古い例として、ウィキペディアにはフレドリック・ブラウンの「回答」というショートSFを挙げていた。こういうのを書いてしまうのはいわゆるネタばれなのだが、どうせすでに出版されて広く読まれている文章だ。昔創元推理文庫で読んだ大筋をここで紹介してしまうことにする。宇宙全体のコンピューターを接続するという大事業がなされたときにこのコンピューターネットワークに対して問いかけられたのは…やっぱやめた。創元推理文庫で今も入手できる「天使と宇宙船」読んでください。ブラウンはすごいですよ、ほんと。今朝剃ってきたばかりなのにってくらいで。
2013-03-29 [長年日記]
_ BANDICAM使って見た。
無料版はロゴが入るみたいだけど、パソコンで操作してるところをキャプチャーして動画にすることができるソフト。なので、ソフトの簡単なチュートリアルを作ったり、PCゲームで一機失う瞬間を動画にして共有することができるので多少捗るかもしれない。
_ 横浜はまさに今が桜の盛りで、血迷った西行法師と梶井基次郎が一緒になって迷い出てきそうな勢いである。ああ桜、桜、お兄ちゃんはねえ…。画像は、近所の坂の途中に生えている老桜である。なんとなく公園に生えているように見えるのは気のせいで、そういう階段のある建物がバックにあるだけだ。もう無くなってしまったが、この坂には以前「つぼ八」があったので、この季節だと店の中から花見ができた。花見の季節なんて寒いから外で飲むのは好きじゃなかった。
_ 西行の 泣いて喜ぶ 桜かな けいりう堂
_ 能「西行桜」をみたいと思ったのだが映像作品としては入手が難しそう。
_ 坂口良子さんお亡くなりに。
グッバイ、ママ。
2013-03-30 [長年日記]
_ ちょっと気になって加藤鷹のことをWikipediaで調べると、1962年生まれとあった。同期だったか。以下引用:「加藤が出演するAVの撮影現場には、加藤に癒されたい寂しい女性の幽霊が出現するとの噂がある。カラミの際、AV女優の緊張をほぐすのに手を握る加藤であるが、ある時クンニの最中に手を握ったところ、女優の手は頭の上にあり、誰のかわからない手を掴んでいたという話が、関係者により証言されている」これはすごい。性を生業とするものの聖性に関してはどこかで語られなくてはならない。
_ [テレビ・ラジオ] スカイツリーからの試験放送。
28日の夜に試験放送を録画しておいて確認してなかった。今見たところ問題無い。少なくともNHKは。明日の夜20:00からもある。他のチャネルも見てみるかな。
_ アマゾンさんからの荷物が届いてないと思って宅配会社のHP見ると配送済みとなっていたのでサービスセンタに電話。メール便ではないというので受け取った記憶はないというと「判取り」してくれるとのこと。こちらの受け取りの判やサインをファクスで送ってくれるということを指すらしい。でもそのあとまたちょっと調べると、同日同時間に別の荷物を同じ宅配業者から受け取っていたことが分かる。みると、その荷の中に問題のものも含まれていたのだった。注文を別々にしたから別荷でくるはずという先入観があったのだった。訂正の電話かけてあやまっといた。以前別宅に届けられて開封された件があったのでちょっとここの業者には不信感が残ってしまっている。
_ [テレビ・ラジオ] 「ロケみつ」DVD.
次はバラエティの映像を鑑賞するのだ、と先日書いて、やっと見始めたよ、ロケみつ関西縦断ブログ旅の最初。潮岬からスタートした時はブログ件数1件で所持金1円からのスタート。なんかこのホームページはじめて作ってカウンタを設置した時のこととか思い出したわwパンもらって感激して泣きながらお礼に「あんたバカァ?」の芸を披露する早希ちゃん。ういういしいねえ。早希ちゃんって結構背高いよね。
_ 西行桜
そういうわけで視聴覚資料を探してたがDVDは見当たらない。やっとこんなのを見つけた→観世流 声の百番集 全79冊 プレーヤー付。このプレーヤーというのはMPEGプレーヤーとかいう意味じゃなくて、ソノシートを再生するレコードプレーヤーという意味だと思う。ソノシートか…。懐かしいなあ。これでも古本で買うと5万円するんだよ。どーする?一応うちにはUSBレコードプレーヤーがあるけどねえ。なぜにEテレあたりでは能狂言を定期的に放映しないのだ。落語番組を見習うべきだろう。しかしまあ敷居が高いということはあるからなあ。伝統芸能が優れたものとして存続する在り方も、未来に向かっては問い直されるべきものであろうと思う。既得権益はこのときにも大きな障害になっているのではないかとも想像される。芸能の世界にあっても"民主化"に似た動きがあらわれる日は遠くは無いだろうと思われるが、そのときに現在のクオリティを保っていられるのかどうか。さらには先日書いた「技術的特異点」以降、人間の芸術はどのように存在していくのだろう。
2013-03-31 [長年日記]
_ [特撮] 獣電戦隊キョウリュウジャー。
ピンクは惜しげなく太もも露出してるのにそこがコンプレックスだったことが今朝判明。きっと"見られてきれいになる"作戦だ。来週はノッサン(←こんな呼ばれ方する戦隊ヒーローってw)大活躍。オヤジギャグ炸裂で笑い死にさせられたい。
_ フリーライダーを憎む、ということは何度か日記には書いてきている。そういう性格がいつ作られたのかわからないが、子供の頃にはすでにあったようで、自分が自分なりに考えたり調べたりしたことを惜しげもなく人に分け与えるような子供ではなかったように思う。考える能力が無い人のことが理解できなかったのだろうか、彼らは知識にただ乗りしようとしているように思えて仕方が無かった。今もそうだ。これはそんなに簡単な問題ではない。知識を与える立場にある場合に、その知識に関してどのくらいの価値を賦与しているかはなかなか妥当性を問うことができない。その知識はより高い知性から与えられたものである場合も多いからだ。
知識にせよ物質的な充足にせよ、それらを持ち自由にできるということは全能感をもたらす。特撮番組の大好きな自分にはその全能感がどんな感情をもたらすのか良く分かっているつもりだ。大人になってもそんな感情を楽しむ機会は多々あるものだ。自らのパフォーマンスが旨く行ったとき、ゲームにのめり込んでその世界のルール上の勝利を勝ち取った時、セックスで相手を満足させるとき、旨い食事を提供するとき、そしてエウレカと叫ぶ瞬間。。。何も持たないことを勧めるある種の思想は、その全能感の危ういことを警告しているのだと思う。また、警告などはなから目に入っていないものもたくさんいる。全能感のなすがままに行なって失敗することの少ない人というのは確かに存在している。自分はそういうのではなくて、かならずあとに後悔が続く。そんな苦い経験を積み重ねて、自分の才能に懐疑的になるということもまた危うい。才能を測るには数多くの軸がありながら、それぞれの軸上の位置はちゃんと定義できるものだと思う。その軸のどこに自分がいるのか、そこだけをわきまえて精進していきたいものだと思う。そんなときに障害になるのは、軸上の位置関係を"相対化"する者の存在だ。自分のいる位置を平均的な位置であるかのように言った上で「あなたの言うことはわかりにくい」と言われれば、どこまで付き合ってやれば満足するのかと絶望的になることがある。だがこの絶望感がまた一つの全能感の裏返しで無いと言えようか。どんなに苦労して得た知識であってもヒトは共有しあうべきなのだろうか?情報の非対称性の弊害を語るものが情報の共有を惜しんではならないのだろうか?情報の世界にも"民主化"の波が広がるのであれば、その際かならずあらわれる"フリーライダー"を制するにはどのような刑罰がふさわしいというのだろうか?ことこの件に関しては誰もが多かれ少なかれフリーライダーであり、その軽重だけを問題にすることには意味があるのだろうか?知識を持ちながら与えようとしないことは罪だろうか。ネットの世界も良く見ればそんな生存戦略でいっぱいだ。もし自分が今学生だったなら(実は学生だけど)、ネットを使わずに宿題をこなすことはできないだろうと思う。インターネットは本当に大きな発明だ。頭を外科的な手段で直接ネットにつないでる人もすでにいるのではないかと思う。そうするとその人は全人類の知識を有するという全能感に打ちふるえているだろうか?誰かがそうしはじめたら、きっと誰もが争って同じことをするだろう。そういう世界における唯一の美徳は、こんな弁解じみた駄文ではなくてもっと良質なコンテンツをネットにアップロードする行為なのだろうと思う。いや、神になるとかいうことじゃなくて。
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
おもわずタイトルを「仮面ライダービースト」と書きかけてしまった。ビーストは今回、内なるキマイラと対話する。以前ウィザードが内なるドラゴンと対話したときにも思ったことだが、こういう内省的な描写は好きなんだよね、自分が内省的だから。自分の中にドラゴンがいたりキマイラがいたりすると考えてみると、人生の理不尽さや自らの愚かな行為に得心がいく。人生上の不可避なイベントに何故を問うことに対する「神話的回答」というべきものだ。特撮ヒーローの作品には神話的構造で見ることのできるものが多い。一方全く異なる視点があり、「腐女子的回答」というべきものもまた存在する。畏るべし…。
_ なんかうちの屋根裏か軒下のあたりでゴソゴソしてる奴がいる。きっとスズメだ。うちに近づいたらビーストの餌食になるというのに。スズメにはネコの匂いがわからないのだろうか。そんなことだからある日襲われてドクロとなってまうのだ。朝起きたら枕元にスズメのドクロ…ああそれにしてもゴソゴソとうるさい。
_ 午後、図書館へ。予約してた本を受け取ろうとしたら、所蔵館であるにかかわらずまた何日も前に申し込んだにもかかわらずまだ準備ができてないとのこと。調べてもらったら、なんと修繕中ということでしばし待たされる。しかし受け取ろうとするとまだほつれが残っていたため、急きょのり付けしてもらいゴムで固定して「2時間たってから開いてください」という限定付きでやっと借り出すことができた。実はこの本、和書が絶版らしく古書でも状態の良いものを入手するのはちょっと難しい。一方原書のペーパーバックは安価なので、内容を日本語でちょっと読んでみて購入の判断材料にしようとしたのであった。この本は、技術的特異点に関する本、というかそれを言いだしたカーツワイルその人の著作である。
図書館の坂道を下りていき、関内へ、そして中華街へ。久しぶりに歩いた野毛は、なんだか20年ほど前のいかがわしさを取り戻しつつあるように思えた。横浜スタジアムの脇を通って行けば関内駅から目的の中華街の輸入食品店へは結構近いことが分かった。買ったのはまた塩くるみとサンザシ。今日は寒い。風邪引きそう。
_ [テレビ・ラジオ] NHKスペシャル
佐村河内守と書いて"さむらごうちまもる"。"さむらかわちのかみ"ではない。こんな名前が存在することがまず驚きだったが、重低音のノイズが文字通り四六時中鳴り響く中絶対音感だけを頼りに交響曲を書く人。ちょっと別のことをしようとしてたのだがどうもテレビから目が離せない。
_ テレビで思い出したのだが、今日エクセルのアップグレード版を買いにヨドバシカメラに行ったついでに3Dテレビを見てきたのだが、どうも腑に落ちない。値段の高さはともかくとして、まず東芝のグラスレス3Dは、デモ用のコンテンツがよくなかったのかもしれないが、2.3次元くらいにしか見えず、3D化によって情報量が増えた感じがあまりせず、3次元化を補う画像処理(超解像と呼んでいる)の結果が自然画像に対して違和感を生んでいるように見えた。一方、どういうことかLGを大売出ししているらしくそのグラスつき3Dを見てきた。確かに奥行から手前への立体感が強調されていたが、これはどうもリアルな3Dではないな、と思った。パースを意図的に狂わせた「デカスロン」のころの山田芳裕(漫画)を思わせるものだったからだ。なお違和感があるのは、立体なのにそれがテレビの枠にはめられているということだった。いずれの方式にせよ3D像は現実のそれを模するように再構築されているようには見えなかった。やはりこの技術は今のままでは普及しない。コンテンツも何十年か前の飛び出す映画とどれほど違うともつかないように思われるし。見て改めて思ったのは、この技術に私が期待してたのは、もしや計測可能な奥行き方向の情報だったのではないか、ということだった。つまり、私は二次元ディスプレイ上に表現された3D映像を求めてはいなかったようだ。ホログラフィ技術がリアルタイム性を獲得するか、あるいは三次元ディスプレイが実用化されないうちは、3Dテレビに対する消費の心配をする必要はなさそうな気がする。まあしかし技術の進歩は予測もつかないから、もしかしたら…。
_ 6月の横浜能楽堂の舞台は能「熊野(ゆや)」と狂言「酢薑(すはじかみ)」とのこと。「熊野」の故郷である駿河の国・天竜川の東にある池田の宿は、姫街道を歩いた時に通ったことがある。冬だったが、熊野ゆかりの藤の木は見事で、花の季節に一度音連れたいものだと思った様な気がする。6月の予定など今からわからないから予約を入れるのに躊躇しているのだが、能の映像資料は特別な日のNHKの放送を録画する以外にはあまりたやすく入手できるものではなさそうなので、このような催しをちょいちょい見に行くのが最も良いのだと思う。「道成寺」のDVDがたやすく入手できるというのはむしろ特例的なことだったようだ。
_ [テレビ・ラジオ] みうらじゅんと山田五郎の親爺同志
第13回の録画見てたら「親爺苑」というコーナーで「年寄りの冷や水」という格言にみうら・山田風解釈をつけるというのがあった。これは金冷法のことであるという解釈がついた。さすがだ!年寄りの冷や水は、やったほうがいいということだったのである。俺も先日のお彼岸に一つ年を取ったのでお風呂でコ○○ンを握る回数を一つ増やしたばかりだが、これからは水冷式もちょっと試してみる。まあどんなに鍛錬したところで大した用途は無い。ちなみに最近のみうらじゅんさんは政治家の片山さつきさんとよく間違われるって言ってたので片山さつきさんの画像をネットで見てみたらコーヒー吹いた。
_ うにゃ [たんたんめんいいなぁ~ 明日一緒にたべよー ]
_ けい [ニンニクてんこ盛りだぜ?まあいいけど食べるときはズビズバーって音立てるんだぜ。]