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2016-12-12 [長年日記]
_ [音楽] 「オルフェオ」モンテヴェルディ。
今期の放送大学は「西洋音楽史」を受講しており、参考書の代わりになるべく授業で触れた音楽に実際に接しようとしている。その中の一つがモンテヴェルディで、彼はオペラの開祖のような存在とされている16−17世紀の音楽家である。私自身はオペラと言うものをあまり見たことが無いのだが、この作品は良く知られたオルフェウスの冥府下りを題材としており、ストーリー自体もその良く知られた内容に素直に沿っていると言える。初めにミューズが登場してひとくさり音楽の恩恵などを述べてからオルフェオ(オルフェウス)とエウリディーチェの婚礼から始まり、その後エウリディーチェが毒蛇に噛まれて死に、オルフェオは冥府に下りカロンを音楽の力で説得し、彼岸へと進む。すでにそのことを聞きつけた冥府を司るハデスと妻ペルセポネは、帰途決して振り向かないことを条件に、オルフェオが妻エウリディーチェを連れ帰るのをあっさり承諾している。これは時間の節約だろうか。そして、劇は我々の良く知る結末に至り、嘆くオルフェオを慰めるためにその父アポロンが降臨する。古楽器の合奏が実に落ち着き、劇中に物悲しさと穏やかさを漂わせる。ルネサンスの文学や芸術には全く疎いのだが、冒頭にミューズがあらわれるというのはローマの文学にあらわれる慣習を踏襲しているのだろうと思う。そちらのこともそれほど知らないのだが、たとえばルクレティウスの「物の本質について」などは、冒頭、その著作(詩)が成功裏に完結するようにとミューズに祈りを捧げるのである。そういえば日本の物語にも、記紀はその性質から当然ではあるとしても、その記述がどれほど作品の内容に関係してるのかわからないような古い歴史や縁起を持ち出してくるものが多いが、それはその物語の内容が正統なものであることの担保となることを狙っているのではないだろうか。それもまた、その物語が成功裏に完結する祈りのようなものだと思う。そんなわけで、ギリシアの神々の話に興味が戻っている。チタノマキア、ギガントマキアと新旧の神々が世界の覇権を争う戦いがあるが、最終的にはそれは人間と神々の戦いに至るわけではないのだろうか。ギリシア神話はカオスからガイアが誕生することにより始まるのだが、何を持って完結とするのだろうか。あるいは現在もまだ宇宙はオリュンポスの神の支配下にあるということになるのか。人とオリンポスの神々の戦いはこれから、ということになるのだろうか。ギガントマキアにおいてはオリュンポスの神々は人間の助けが無いと勝利できないことになっていた。この先、人間による壮大な父殺しが行なわれるとすると、それは何の助けによって成就するのだろうか。