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2017-06-02 [長年日記]
_ ぐっすりと寝て起きたら11時台。今日はなぜか休日なのだ。久しぶりの玄米のおかゆ、焼き魚(小ぶりの金目鯛に見えたが98円だった)、たらこ、昨晩作った餃子巾着、引き割り納豆の赤だし味噌汁。巾着の鍋を開けたら汁の液面が真っ白で、一晩で早くも腐ったかとおののいたが、これは餃子の具の豚油が冷えて固まったものだった。
やはり和食の朝食が良いが、平日は調理にも食べるのにも時間が掛かるのでやらなくなってしまった。イワシやサンマなんかを圧力鍋で煮ておけば骨ごと食べられて良いのだが作り置きは腐る季節だ。何よりもご飯が旨すぎて糖質を摂りすぎることを恐れているのだが、この考えは見直す必要があるかもしれない。
ここしばらく毎日のように体重計に乗っている。昨年の一頃から比べると2kg内外減っていて、折れ線グラフはガタガタしながら緩やかな減少傾向にあると見える。一回の食事が馬並みに多いということだろうか、計測値は一日の中でも軽く±0.5kgは変動する。体脂肪率も±1%は軽くばらつく。体重計を置いている家の床が歪んでいることが原因かもしれない。体脂肪率の計測値は足裏の濡れ方なんかにも影響されるのではないかと思うが、ともかくばらつく。だから、瞬間的に体重が1kg減ったとか体脂肪率が1%減ったとか言って喜ぶのはあまり科学的な態度ではないのではないか、と思う。ちなみに家で計測するときはスッポンポンで測っているからばらつきの要因は衣服には無いはずだ。正直冬はつらいw
_ [漫画] 「BOX〜箱の中に何かいる」2、諸星大二郎、講談社、2017.
たぶん4月の末頃買って即読んだ。各話の扉がパズルになっていて、いちいち解くのはちょっと面倒だが面白い趣向ではある。連載するだけでも大変なのに、と感心する。新趣向だったのは2枚の絵の中で、一致するところだけを見つける「間違ってない探し」。
もはや漫画の筋とは関係ないことなのだが、新聞のクロスワードパズルや機内誌の間違いさがしは必ず解く。パズルを解くのは人間にとってはレクリエーションなのだが、今やもう機械が解いた方が正解に至る時間は短いだろうと思う。あるいは、写真から肉筆で模写する行為も、作業と考えるならペンや鉛筆のタッチを再現した表現まで含めて数々の画像処理で行なう方が圧倒的に速いだろう。AIが発達したことによって、改めて、人間らしい行為とは何かを考えさせられる。正解が一つである問題を、機械に解かせるのと人間が時間をかけて解くこととの大きな違いとはなんだろうか?もしも後者に前者には無い価値があるのだとしたらそれは何だろうか?一つの考え方は、それは筋トレのようなものだ、ということだろう。たとえば60kgの荷重を1m持ち上げるという行為をその結果だけでとらえるならば筋肉より機械を使えば良い。もちろん機械を使った場合作業者の筋肉は鍛えられないが、そのことに意味を感じないならそれはどうでもいいことだ。肉筆で絵を描くことも、筆算をすることも、同じようなもので、そのことによる自身の能力の維持や向上に価値を見出さないのなら無駄なことなのだ。それでもそれを続けていってあと20年も経ったなら、ヒトのしていることの多くは、まるで見かけは機械のすることの模倣に見えているかもしれない。オリジナルはどちらだったのか。同じ結果が異なる意義を持つ、ということは何も機械とヒトの間にあらわれるとは限らない。同じ作業で同じ結果を出したときであっても、彼と我とではその意義は同じではない、ということだ。この価値を比べることすらおこめいている。そういうことをいつも信じていられれば自信を失ったり他者に苛立ちを感じずにすむようになれるかもしれないな…
漫画の内容にちょっと戻ると、諸星さんの小説「キョウコのキョウは恐怖の恐」のヒロイン・キョウコさんが「興子」として登場。閉じ込められた「箱」の中で状況と共にたやすく変容する登場人物たちは諸星さんの作品世界においては見慣れた人々と映る。つづく。