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2021-03-13 [長年日記]
_ 今日も日付変わってからの書き込み。皆さんは、「玉ぶりぶり」をご存知だろうか。毬杖(ぎっちょう)などとも呼ばれて、球を棒で叩いて遊ぶもののようだ。この言葉は、高校時代に谷村新司の深夜放送セイヤングで知った言葉で、その後日古語辞典で調べると、何やら男の子が六角柱状の棒に、紐で繋いだ球をぶつけながら遊んでいるような挿絵が描かれていた。それを知って、さらに後日、当時まだ同好会だったアニメーション部のミーティングでたまたま話題にしたら、しばらく私は「玉ぶりぶり」と呼ばれるようになったのであった。玉ぶりぶりの本質もわきまえず(今だってわからない。何しろ平安の頃の子供の遊びだ)、でもその挿絵が面白かった。当時、買って読んだ文庫本には購入何冊目かを示すナンバーリングを示すシールを貼っていた。初めはカバーに直接貼っていたが、それだと当然カバーが痛むので、トレーシングペーパーでさらにカバーをしてその上にナンバリングのシールを貼るという手の込んだことをしていた。そのシールに、自分を示すアイコンとして玉ぶりぶりを描き込んでいたのだった。そのシールを貼っていた文庫本が今宵たまたま目についた。ナンバーは037。E.E.スミスのレンズマンシリーズ第一巻『銀河パトロール隊』だ。ドギツイカラーリングと単純な線で描かれた真鍋博さんのカバー絵・口絵は衝撃だった。今見ても新鮮だ。画集買おうかな。E.E.スミスは「ドク・スミス」などとも呼ばれていた。何のドクターかと今ウィキペディアで調べてみたら化学工学で、D論は食品工学に関するものだったらしい。そんな高校時代の私は何となく「ドク」と呼ばれることに仄かな憧れを抱いたはずだった。そして後年その憧れは現実のものとなる。奇遇にも、博士論文のモチーフには食材として広く用いられているゼラチンが使われている。ゼラチンに関する思い出もなかなかのものがあるが、この符合をしみじみと想っている夜。
追記。前日悩んでいた計算には一転して明るい見通しがついた。計算の途中で散歩に出かけたらその途中で解法の道筋らしきものを思いついたのだった。帰宅して鈍い頭で計算を続けてみたら、散歩中に予想したよりも遥かなシンプルな結果になった。寝て起きた後にもう一度確認してみよう。何しろ最近、計算過程をたどり直す度に必ず一つは間違いを見つける有様。散歩中にアイディアが湧くことはよくある。逍遥学派は今も生きている。