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2006-10-19 [長年日記]
_ [漫画・アニメ] 009-1
ゆうべ空間点分布のことを調べるのに時間がかかって今日は寝不足だった。が、面白い分野で興味が尽きない。歴史は古いがGISの利用技術などとからんだ展開が最近の動向のひとつというところだろうか。
少し眠って、夜中にアニメを見ている。最近どんなアニメでも流れてさえいれば安心するような。わたしもまた「アトムの子供」ということで。
「009-1」というのがこの秋始まった。石森章太郎「009ノ1」をベースにしているということだが、読んだことが無いので翻案なのか原案なのかわからない。キャラクターが全くあきれるほど石森キャラで、オープニングを見て石森キャラはシルエットで表現しても石森キャラなんだなあなんて感心する。主人公の声を釈由美子が当てているのに違和感を感じていたのだが、今日見ていて、これが雪野五月みたいなプロの声優が当ててたら恥ずかしくてとても見られないものになってただろうな、なんて考えた。一話完結のストーリーは懐かしくもコテコテに戯画化されたスパイアクションで正直照れくさくて真面目に向き合えるようなものではないし、主人公のプロポーションも女性の性的な魅力を歪曲的に誇張したようなもので、これが好きだなんてちょっと昼日中に人には言えないような猥雑さだ。つまり、どこもかしこも、どうにも「マンガ」なんだよな。余りにマンガ臭い。こんなにマンガらしいマンガ、しばらく見なかった。まあマンガをそういうものにしたのが石森章太郎だったわけなんだから当たり前なんだが。だから、釈由美子のマンガ臭の抜けきったような(というか、共感を呼び起こすことができないというか、演技-してるのかもしれないができてないというか、要するに棒読みというか、声優版原節子というか…ああ、またしてもぴったりしたたとえを探しているうちに全然わからない例えになってしまっている!)そういう声をあてていることが作品に絶妙な均衡を与えているように思えるのだった。これが演出意図なんだとしたらスゴイ(皮肉でそう言ってる訳じゃない)。
見てるうちにこの作品は「攻殻機動隊SAC」みたいな作品の正反対の位置にいるんだな、と感じた。原作の設定を単にリソースとして利用してそこから全然違う世界を展開してしかもこっちの方がすごいだろ、みたいな現代的なアニメ作風に対するアンチテーゼなのだな、と。そういうわけで、声が棒だろうが展開がステロタイプだろうが、009-1は現時点では好ましい作品だ。
_ で、エンディングの回し蹴りの狂ったデッサンすら石森テイスト。こういうのを現代風に描きなおさないのがまた好ましいというか潔い。いわば鎌倉武士のような…いや、またヘンに例えるとかえってわかりにくくなる。