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2008-01-17 夢の話。 [長年日記]
_ これは夢の話だから、現れる人も物も、すべて何かの象徴であると考えなくてはならない。
まずわたしには、余りにも有名な演歌歌手の訃報が届く。ああ、その前にわたしは、またしても歩いていたのだった、地図を持って。しかし時間は遅く、夜がおとづれはじめている。カメラのバッテリーもとうとう切れた。そこで、今日は野洲までと決めた。そこまでなら良く知った道だから、撮影の必要もないと思ったのだろう。ということは、わたしは京都から中山道を歩いていたことになるが、この良く知った道は新宿のような都心に向かう街中の広い道へといつか変貌しており、本当のルートを一本それて歩いているうち、次第に本来の道から遠ざかっていく。
場面は変わる。わたしに、余りにも有名な演歌歌手の訃報が届く。そう感じることが当然だったのでわたしは大変悲しくなり、打ちのめされそうになった。彼もまた北海道出身者。わたしと同郷と言える。彼が良く身を寄せていた鮨屋に行った。飲みかけの枡酒を持ったまま店に行く。カウンターの向こうに主人がいる。その場を支配する男だ。厳しい性格と男性的な風貌。客が何人か来ていて、話しかけにくい。この店に集まる客はみんな死んだ歌手を慕うものばかりのはずだから、彼の死を知っているはずなのに悲しんでいる様子が無いのが不審である。わたしはカウンター越しに主人に声を掛ける。シャイなわたしでもそれはしなくてはならないことだったからだ。
「あの、○○さんが(亡くなったそうで)」
それだけで主人は、わたしが何のためにここに来たかを理解した。わたしが大変に打ちひしがれていることも。そこで、旨い寿司を3・4個わたしに差し出す。太刀魚のように美しく銀色に光るネタは、しめ鯖のように酢で締めてある。そして鯖よりも上品な味わいだ。これを食べたわたしは心から主人のことを敬愛する。しかし飲みかけの枡酒が空になったから、酒の追加を注文する。それも空になる頃に、実家から出てきてこの店で働いているわたしの母が、追加の酒とメニューをわたしに尋ねた。品書きの小さな黒板から200円のおでんを選び、酒の追加をもらう。
母が言ったのか、主人が言ったのか。日本酒を六万杯飲んだら死ぬと決まっているのだそうだ。わたしにはあと何杯残されているのだろう、と思った。
母と連れ立ってわたしの家に帰宅する途中、庭の花のための支柱を二本買った。ちょっとくらいの強風ではびくともしないだろう。それを、もっていた母から受け取り、家の庭にすでに咲いていた朝顔のそばの地面に刺そうとする。母は「△△さんも来たから一緒に」と言う。
はっとして目を上げると、高校の終わりから大学の始めにかけて恋愛して、そして手痛い失恋をしたその相手が立っていた。清楚で健康そうな格好をしていて、あの頃のように綺麗なままの彼女だ。有名な演歌歌手の訃報でも泣かなかったわたしも、このときにはさすがに涙がこぼれそうになる。このときをずっと待ちわびていたからだ。現実には人の妻で人の母になったとしても、あの頃の恋愛の物語の主人公だったわたしたちは最終的には結ばれる。今日がその終章なのだった。母もいる。庭には花も咲き始めた。彼女は、あのときの恋愛の終わりを境に(わたしの方から)離れていった当時の友人たちとの媒介でもある。わたしたちの再会は、当時の友人たちとの絆が復活することを意味していた。
目覚めて、母も昔の恋人も若く美しいままだったことに怒りを感じた。
おそらく現在のわたしの状況は惨めなのだろう、そのことをわたしに気づかせるためにこの夢が降りたのだろうと思う。この夢は何かの前兆-心の動きに関することであり、超科学的なことではない-だ。だからこのことから何らかの指針が導かれねばならなず、忘れないようにここに記録したのだった。