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けいりう堂日記

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2008-01-01 熊野街道1日目:布施屋から伊太祁曽まで。 [長年日記]

_ [熊野街道] あけましておめでとうございます。

恒例になった新春行脚一日目は、熊野街道。大阪側から紀ノ川を渡ってすぐの和歌山県・布施屋からのスタートになる。が、その前に、和歌山で途中下車して、昨年登れなかった和歌山城天守閣へ。越し方と行く末を眺めたあとで布施屋に向かうと昼過ぎ。世界遺産・熊野古道に続く道とあって、案内板が充実している。吐前王子・川端王子の跡などをたずね、伊太祁曽(いだきそ)神社に出た。

本日の歩きは8km程度。伊太祁曽神社を訪ねるとさすがに人が多い。道中の安全など祈願して伊太祁曽駅から電車に乗って和歌山に出て、今日の宿・海南へ向かう。貴志川線の電車には普通の車両のほかに「いちご電車」と「おもちゃ電車」というちょっと恥ずかしくなるような車両がある。この日は「おもちゃ電車」に乗った。車内にフィギュアが飾ってあり、ガチャポンなんかも置いてある。貴志川線の貴志駅長は「たま」という猫だそうだ。なんか「鉄子の旅」みたいに沢山電車に乗った一日。明日は二つほど峠を越えることになる。 続く。

2008-01-02 熊野街道2日目:伊太祁曽から紀伊宮原まで。 [長年日記]

_ [熊野街道] 伊太祁曾から紀伊宮原まで。

海南の宿を朝5時に出て、電車を乗り継いで伊太祁曽に戻る。この日の貴志川線は真っ赤な「いちご電車」。6時ではまだまだ暗いが、6時半ごろになるとうっすらと明るくなる。 8時半頃、汐見峠に到着。昔津波のあったときにこの峠まで村人を呼び寄せて難を逃れさせたと言う「呼び上げ地蔵」のところにおあつらえ向きのベンチがあったので、ここで一服。エスビットストーブで湯を沸かしてカモミールティーを淹れて飲む。近所の人が地蔵の掃除をしにやってきて、「ごゆっくり」と声を掛けていく。この峠は大阪側からやってきて最初に海の見える峠だったそうだが、今は見えない。

藤代王子社・有馬皇子の墓を詣でてから藤代峠を目指す。途中、徳本上人の名号碑を掃除していた女性に声をかけ、登っていく。紀伊水道が見渡せる良い場所に出たのでお昼のおにぎりと味噌汁・コーヒー。それに、無人販売の100円のキウイフルーツをデザートにして持参のプルーンも食べた。良い景色が最高のおかずとなる贅沢この上ない食事。遥かに淡路島も見える。いずれはそこを訪れることもあるのだろうか。 コーヒーを飲んでいると徳本上人碑のところにいた女性が後から登ってきてしばし話をする。この山道もサルとか鹿とかアライグマが出るのだそうだが、他では聞かない「イノブタ」も出るのだそうだ。だから暗くならないうちに越えるのが良いと言う。

夕刻、紀伊宮原に到る下りの長くくねった道を歩く。夕日が山の肌を照らすと、まだ沢山なっているみかんが燃えるように輝く。海側の空は晴れているが、内陸の山側は曇っている。夕日に照らされた山肌はふしぎなコントラストを見せている。

駅で電車を待つうちに日が暮れた。この日の宿は御坊。40000歩以上歩いた。宿が駅から離れているのでタクシーを使うしかなかった。明日の朝も早い。

2008-01-03 熊野街道3日目:紀伊宮原から道成寺、そして御坊の宿まで。 [長年日記]

_ [熊野街道] 紀伊宮原から道成寺、そして御坊の宿まで。

御坊のホテルを5時15分に出て、6時40分くらいに紀伊宮原に着く。

みかん畑の間を上っていって鹿ヶ瀬峠で昼食。今日は試しにサトウのご飯を温めてカレーをかけて食べることにした。が、ご飯はなかなか温まらない。あまり熱くならないうちにカレーをかけて食べる。スプーンを忘れたので手近に落ちていた木の枝をナイフで削って匙のようにして使ってみた。匙と言うよりもへら。硬い飯でも使いにくい匙でも、外で食べるカレーが美味しいのはなぜなの?王さん。(←昔のボンカレーのCMです)

あと4キロほどで道成寺というところ、高家(たいえ)王子神社で湯沸かし神事をやっており、地元の人が何人か集まっていた。クガダチでもするのかと聞いたらそんな野蛮なことはしないと言う。お神酒をちょっともらって、小さなみかんを山ほどもらってしまった。とても旅の最中に食べきることはできないほど。それを担いでなんとか道成寺に午後4時過ぎに到着。するとこの日最後の「絵解き説法」が今から始まるというところだった。ラッキー。放送大学の「中世日本の物語と絵画」で見て、面白そうなのでぜひ見聞したいと思っていたのだった。実際を見てみると、番組に出ていた坊さんがほとんど番組で話していたのと同様の台詞で面白おかしく安珍・清姫の話を物語る。年に3000回以上もやっている計算なのだそうだ。

その後、寺の下にある店で道成寺まんじゅうとせんべいをお土産に買って、宿に向かってなんとなくずっと歩いてしまう。途中焼肉を食べたが、おせちに飽きた人々で混雑していた。 この日とうとう五万歩以上歩いてしまう。が、まだまだ大丈夫。

2008-01-04 熊野街道4日目:道成寺から切目まで。 [長年日記]

_ [熊野街道] 熊野街道4日目:道成寺から切目まで。

この日は6:30に宿を出てタクシーで道成寺そばの蛇塚に行く。そこから田中八幡神社に登り、8:30ころ岩内一号古墳に到着。ここは有馬皇子の墓ではないかと言われるところ。ここで例によってコーヒータイムとした。すっかり旅の空の下で飲むコーヒーが板についてきてしまった。今回は風除けを持参してきているので燃焼効率が良い。

その後、塩屋の美人王子神社を訪ねる。神社には雌雄のナギの木が生えていた。ちょっと思うところがあって、落ちていた葉を拾う。 11時頃、塩屋の浜に出る。砂浜で海を眺めながら昼食。炊事する手が冷たくないので昨日よりは暖かいと知れる。小さな貝殻なども少し拾う。昨日もらったみかんとおととい買ったキウイも食べた。

この辺りは山道を歩いていると、ふっと見晴らしの良いところに出て、紀伊水道がきらきらと光る。こういう眺めを楽しめると言うのは紀州ならではなのではないだろうか。それに出会うために来たのだなあと思う。

切目に着くと午後4時。1時間ほどでこの先の峠を越えることはできそうだったが、その先の駅まではもう少し時間が掛かるようだったので、今日はここまでとした。電車を待つ間、駅前の雑貨屋を覗いてみると、そこの女性がコーヒーを勧めてくれたのでお邪魔した。店の中にはウツボを開いたのが干してある。戻して鍋にしたりから揚げにしたりするのだという。切目と言うのは夕日が綺麗なところだと言うので、帰りの電車で車窓からたっぷり眺めた。この日の宿は紀伊田辺。本当はそこまで歩く予定だったのだが、どうしたわけか切目まで20kmほどあるのを5km程度だと勘違いしていた。
というわけで最終日もそんだけ歩くことになる。これは今年も「みんぱく」訪問は無理かなあ、なんて思いつつ。

田辺で、宿の主人が勧める店に行ってクエ鍋を食べてみた。2500円。普通に食べると6000円以上するようだ。身は淡白な味だが、エラのそばの肉はコラーゲンを多く含んでいるようにぷりっとしている。

しかし明日もまた早起きせざるを得ないとは。。。

2008-01-05 熊野街道5日目:切目から紀伊田辺まで。 [長年日記]

_ [熊野街道] 熊野街道5日目:切目から紀伊田辺まで。

例によって早起きして電車で切目に戻る。駅前の雑貨屋もまだ商売を始めていない午前7時少し前。低い峠に登ると山中王子。水洗トイレがあるので感動。峠を越えると出始めた太陽が紀伊水道を照らす。豊穣の海という言葉が思い浮かぶ。この日はほとんど海岸線に沿って歩くので、海辺の暮らしと午前の陽に照らされた海面を眺めつつ歩くことになった。つくづく贅沢な旅だと思う。

さすがに5日間の行脚、連日早朝スタートと言うこともあって、この日はペースが遅かったが、3時過ぎに田辺に到着。帰りの新幹線は指定席は満席と言うことで、最終から一本だけ早いやつで帰ることになる。田辺で弁慶ゆかりの闘鶏神社をたずねてから、無事到着の祝杯を少々あげて帰る。

来年はいよいよ田辺から文化遺産の道・中辺路を通って熊野大社本宮に向かうことができる。

2008-01-06 疲れを癒す日。 [長年日記]

_ 疲れを癒す日。

奇跡的に、旅の間中の録画はすべて成功していた。幾つかを見ては眠ることを繰り返す。 寝ているときにまで、わたしはどこかを旅していた。これは静岡の岩淵の辺りだろうか。そんな地名が浮かんでいたが、実際に歩いた岩淵の富士川沿いの道とはずい分印象が違っていた。民家のごく傍を通る細道を控えめに歩いていると、高速の高架の下を通る道に出た。道標のように背の高い地蔵が立っている。1/25000地形図を眺めて、ここから先は新しい道だ、と思った。以前通った道を再び歩いていたようだ。そういう夢。
金沢道を年末に歩き終えて、されど奥州の道は雪に閉ざされ、下田の山道には何となく恐れを抱いている。もう少し安全な道を歩きたいと言うことなのかもしれない。
さて、次はどこに行こうかな。。。しかし今日は休養。
ファミリー劇場のウルトラマンネクサスが最終回。録画しているうちにレコーダーのエラーが出て録画に失敗。来週土曜に再放送があるけど。

2008-01-07 本屋とカレー。 [長年日記]

_ [漫画・アニメ] 本屋とカレー。

カレー食べに夕方関内に行く。カレー屋開店まで20分ほどあったので近くの有隣堂に行き、「岳(ガク)」という山岳救助をテーマにしたマンガを購入。主人公の三歩はどんな登山者も否定せず、生還したものにもできなかったものにも「良く頑張った」と声を掛ける。生還したものには「またおいで」と声を掛ける。なんか良い話だと思う。

帰宅して、懸案の、PCのHDD増設をやっと行なう。まめにバックアップやろうという今年の誓い。。。

2008-01-08 日々の断章 [長年日記]

先の見えないときこそ原理に忠実であることが光を見出す。それを信じてきたつもりだ。
が、そう考えない人も大勢いる。
原理に忠実であること。愚直に、最も確からしいところまでさかのぼって改めてアプローチすること。それを大切だと思っている私が成功を手にすることができないゆえに、そのことが無意味であると言うことの論拠になってしまっていることがどうやらあるようだ。これは私の罪だ。人は存在しているだけで大きな影響を他の人に及ぼしてしまう。仕方の無いことかもしれない。
原理に忠実であること。その姿勢を貫き通すことだけで十分だと思っていた。が、それが成果を生まないと言うことにも大きな罪があるのではないかと疑っている。
どうすればいいのか。


もうすぐ栗山千明ちゃんの新しいドラマが始まっちゃうよー。うふふふふ。。。

_ [栗山千明] 今朝方見た、はずかすい夢。

自爆ネタです。 今朝方見た夢で、僕は栗山千明ちゃんと腕を組んでどこかのかなり大きな神社(神社ってとこがオレならではって感じで幾分トホホ)の境内の中を歩いていた。 いくら好きだって、こんなにベタな夢を見たのは初めてだ。 はずかしうれし。 まあ、しかし、今年は幸先も良いな、うはは。


2008-01-09 休暇とる。 [長年日記]

_ 昨晩不調を感じて、大事無いとは思いながら会社に申し出て休暇にする。

単なる風邪なのだろうが、メンタリティにもいささかの不調を感じている。

ヘタレな自分への嫌悪感は隠すすべも無いが、こういうときというのも多分大事な気づきの機会なのだ、と思うことにした。元気ハツラツでガンガン行ってるときには気づかないことを気づかせてくれる重要な機会なのだと。

自分は全く取るに足らない存在なのだ。 それでも、人の心に残る何かを残したい。

落ち込み気味の気分を晴らしてくれたのは酒でなくギリシャの哲人たちに関する書物だ。

明日からはまた。。。


2008-01-10 通信課題帰ってきた。 [長年日記]

三科目は厳しいのかなあ、やっぱり。そう思ってしまう。

「古代地中海世界の歴史」…先生のコメントには○○に留意してください、ということが書いてある。解答に対しての良し悪しを計りかねてしまう。まああまり良い出来ではなかったと言うことだと思っておこう。

「倫理思想の源流」…良い評価のようだ。ただ、一番褒められたと思しき段落には誤字が二つ。いかにも時間が足りなかったと言う感じで恥じ入ってしまう。

以上二科目は、試験を受けられるのかどうかが明示的には示されていないので不安。

「日本の古典-古代編」…選択式。全問正解だった!受験可、とはっきり書いてある。

さて、問題なことに、これら3科目すべて期末受けられるとして、3科目とも初日の土曜日に集中してしまっているんである。うう…どうしよう。

しかし思い出すのだ!今回の通信課題だってギリギリまで粘って一応受理されたようじゃないか。つらい思いは多々あるけど、やはりオープンマインドであきらめないのがいいんだ。その方が悪い結果になってもあきらめがつく。変な言い方だけど。


2008-01-11 School of Lock!聞いてる。 [長年日記]

_ オリンパス・ラジオサーバーは今日も栗山千明ちんのGirls Lock Fridayを録音するのに活躍中です。

今日は先日第一回の放映された「あしたの、喜多善男」のことを話してます。松田龍平君とエバンゲリオンの話でちょっと盛り上がったとか云々。
確かに「あしたの、喜多善男」で見た龍平君はなかなか良かった。「ハゲタカ」のときもなかなかキャラが立ってるなあって思った。

オレ、相手が龍平くんならちいのことあきらめてもいいかもしれない。ちょっとそう思った。

2008-01-12 公開講座聞いてきた。 [長年日記]

_ 3日ほど前に試験日程を確認しようとして放送大学のHPを見たら、今日の午後に伊勢物語の頃からの東海道の文化史に関する講演があるというので、今朝申し込んで聴講した。

講師は歴博の山本光正先生。近世の交通史が専門と言うことなので、亡くなった児玉幸多先生と同じ分野ということになる。どこかでその文に接したこともあったのかもしれない。

話は面白かった。この先生は街道の調査で当地をおとづれた際にスケッチをしたりするそうで、その絵も10枚ほど紹介されていた。やはり当地でのスケッチと言うのは文字通り絵になる。なかなかいい。僕もやりたいと思う。

すでに読んだことのある「伊勢物語」「更級日記」「海道記」「東関紀行」「十六夜日記」に加えて、「平家物語」や「太平記」の一部にも当時の東海道に関する記述があるということだったので、ソフィア文庫で平家物語を買って帰った。太平記はこれから調べてみようか。


2008-01-14 阿蘭陀びと と遊んできた。 [長年日記]

オランダのとある会社から仕事でやってきたお方と会う約束になっていたので、午前中喫茶店でシューハートの本の第1章を読んでいて、午後から会って、ベイエリアから隅田川をのぼって浅草散策、それからアキバをちょっと歩いて横浜で夕食。
ヨーロッパって良いなって思った。日本国内を旅する感覚でヨーロッパ各地の旅ができてしまう。オランダからスペインまで一日で着いてしまうんだそうだ。もしかしたら、各国の言語の違いも日本国内の方言の違い程度の認識なのかもしれない。
まあそういうことに思い至ればこそ、日本国内の旅もまた得がたい機会だったのだと思い知らされたりもする。

今日のミーティングで、急遽明日、英語のプレゼンをすることになってしまったというオマケつき。


2008-01-15 阿蘭陀びとと会議。 [長年日記]

昨日は浅草、今日は会社。会議やった。計測の不確かさを話し合うと言う、わたしの仕事の上ではなんぼでも話題の出てくる会議。英語には苦労する。
まあしかし良く考えると、日本語とは系統がまったく違う言語なわけだし、それが流暢に話せないことにコンプレクスを感じ続けていたわれわれの先輩の世代がわれわれに幾分ゆがんだ英語教育を押し付けたしわ寄せと言うのも無いわけじゃないだろう。。。

責任の押し付けは見苦しいな。

日本の言語や文化はあまりにも個性的で、他のどことも似ていないのだということに今日改めて気づいた。そのことに誇りを持てなくなったことは先の大戦の後遺症なのだろうか。だから誇りを持ちたい。日本のあちこちを訪ねてみて、どこに行っても豊かな歴史や営みのあることを見てきたわたしには、多分その義務がある。
しかしそれも多様性を認めたうえでのこと。同様の豊かさは地球上のどこにもあるのだろう。人の住まない環境にさえ。海外、ほとんど行ったことないけど。

これまでは「サムライイングリッシュ」と呼んで卑下していた怪しい英語を、「ハートフルイングリッシュ」と呼びかえることにした。なぜハートフルなのかというと、ボキャブラリも文法もめちゃくちゃだから、表情と身振り手振りで伝えるしかなくなるためで、こうなると最早ハートフルにならざるを得ない。そういうこと。でもちょっとは精進しないとな。間違ったことを伝えるリスクはなるべく減らしたい。


2008-01-16 合コン。 [長年日記]

合コンと言っては見たけど、単に会社のうら若き女性たちと飲みに行っただけ。場所は大人の街・野毛。野毛で飲むのも久しぶりだと思うが、馬鹿鍋の浜幸(あの浜幸とは関係ありません:お店の注意書き)というのも久しぶりだ。うら若き女性たちには若干不似合いの場所とも思えたが、多分楽しんでもらえたんだろうと思う。 話題は女性たちの恋バナに。結婚も無いし恋人と呼べる人も長くいたためしの無いわたしには、彼女たちのこれからに対して言うことは大して無い。

これらに関して言えそうなことは、たとえばこんなことだ。

恋は路傍の花。 そう言ったのは吉川英治「三国志」の中の、若き劉備玄徳だった。花をめでる気持ちは大事だが、その劉備は花を育てる人ではなかったらしい。まして花と共にいつまでもそこに留まることなど。

それから、淀川長治が「何かを行なうためには何かをあきらめなくてはなりませんね。わたしは映画の仕事をするために結婚をあきらめました」というようなことを、中学くらいの頃にラジオで聞いたことがある。その言葉は今のわたしのスタイルにそれなりに大きな影響を与えていると思う。
のちに彼はホモセクシュアルであることをカミングアウトした、というオチはあるわけだが。

しかし、何やっても内省的になるんだな、わたし。


2008-01-17 夢の話。 [長年日記]

_ これは夢の話だから、現れる人も物も、すべて何かの象徴であると考えなくてはならない。



まずわたしには、余りにも有名な演歌歌手の訃報が届く。ああ、その前にわたしは、またしても歩いていたのだった、地図を持って。しかし時間は遅く、夜がおとづれはじめている。カメラのバッテリーもとうとう切れた。そこで、今日は野洲までと決めた。そこまでなら良く知った道だから、撮影の必要もないと思ったのだろう。ということは、わたしは京都から中山道を歩いていたことになるが、この良く知った道は新宿のような都心に向かう街中の広い道へといつか変貌しており、本当のルートを一本それて歩いているうち、次第に本来の道から遠ざかっていく。

場面は変わる。わたしに、余りにも有名な演歌歌手の訃報が届く。そう感じることが当然だったのでわたしは大変悲しくなり、打ちのめされそうになった。彼もまた北海道出身者。わたしと同郷と言える。彼が良く身を寄せていた鮨屋に行った。飲みかけの枡酒を持ったまま店に行く。カウンターの向こうに主人がいる。その場を支配する男だ。厳しい性格と男性的な風貌。客が何人か来ていて、話しかけにくい。この店に集まる客はみんな死んだ歌手を慕うものばかりのはずだから、彼の死を知っているはずなのに悲しんでいる様子が無いのが不審である。わたしはカウンター越しに主人に声を掛ける。シャイなわたしでもそれはしなくてはならないことだったからだ。

「あの、○○さんが(亡くなったそうで)」

それだけで主人は、わたしが何のためにここに来たかを理解した。わたしが大変に打ちひしがれていることも。そこで、旨い寿司を3・4個わたしに差し出す。太刀魚のように美しく銀色に光るネタは、しめ鯖のように酢で締めてある。そして鯖よりも上品な味わいだ。これを食べたわたしは心から主人のことを敬愛する。しかし飲みかけの枡酒が空になったから、酒の追加を注文する。それも空になる頃に、実家から出てきてこの店で働いているわたしの母が、追加の酒とメニューをわたしに尋ねた。品書きの小さな黒板から200円のおでんを選び、酒の追加をもらう。

母が言ったのか、主人が言ったのか。日本酒を六万杯飲んだら死ぬと決まっているのだそうだ。わたしにはあと何杯残されているのだろう、と思った。

母と連れ立ってわたしの家に帰宅する途中、庭の花のための支柱を二本買った。ちょっとくらいの強風ではびくともしないだろう。それを、もっていた母から受け取り、家の庭にすでに咲いていた朝顔のそばの地面に刺そうとする。母は「△△さんも来たから一緒に」と言う。

はっとして目を上げると、高校の終わりから大学の始めにかけて恋愛して、そして手痛い失恋をしたその相手が立っていた。清楚で健康そうな格好をしていて、あの頃のように綺麗なままの彼女だ。有名な演歌歌手の訃報でも泣かなかったわたしも、このときにはさすがに涙がこぼれそうになる。このときをずっと待ちわびていたからだ。現実には人の妻で人の母になったとしても、あの頃の恋愛の物語の主人公だったわたしたちは最終的には結ばれる。今日がその終章なのだった。母もいる。庭には花も咲き始めた。彼女は、あのときの恋愛の終わりを境に(わたしの方から)離れていった当時の友人たちとの媒介でもある。わたしたちの再会は、当時の友人たちとの絆が復活することを意味していた。

目覚めて、母も昔の恋人も若く美しいままだったことに怒りを感じた。

おそらく現在のわたしの状況は惨めなのだろう、そのことをわたしに気づかせるためにこの夢が降りたのだろうと思う。この夢は何かの前兆-心の動きに関することであり、超科学的なことではない-だ。だからこのことから何らかの指針が導かれねばならなず、忘れないようにここに記録したのだった。


2008-01-18 新年会&&新人歓迎会 [長年日記]

_ 正月気分が抜けねーよなー。



楽しかった。普段一緒に仕事してる人たちと、仕事以外のことで共感できた。
そして、ごく近くで仕事してた人が、『創世のアクエリオン』が好きだとわたしに告げた。この作品は相当良くできたものなのに、放映時間のせいか知名度は低い。自分が愛好しているものを同じく愛好する人との出会いは幸福だ。二次会のカラオケでしっかりテーマソングを歌ったわけで。

そういうわけで、アニソンカラオケの参加者がどんどん増えていく。


2008-01-19 「センス・オブ・ワンダー」 [長年日記]

_ ストレスがたまってくると浪費してしまうというのはよくある話だが、わたしは良く本を買ってしまう。たぶん何かのヒントや答えを求めているのだろう。



ストレスの原因の一つは、来週の放送大学の試験。とりあえず「倫理思想の源流」だけはテキストを読み終えた。今回はテキスト読み終えるだけで精一杯かもしれない。テキストの中にカーソンの「センス・オブ・ワンダー」の一節が載っていたので、買ってみた。「沈黙の春」で著名なこの著者の、死ぬ間際の作であるらしく、内容は途絶していると言って良いだろう。たぶんこの人から読み取るべき"世界の見方"はもっと沢山あったのだろうと少し残念な気になる。

嗅覚というものは他の感覚よりも記憶をよびさます力がすぐれている、と書かれている。袖の香とか橘の香とかいう形で日本の古典にもそれを肯定するような表現が残っている。そんな知識もまた放送大学で学んだものだった。現実にはそんな匂いはしないのに、日常のなかでふいに昔かいだことのある香の記憶がよみがえることがときどきある。それは何の匂いだったのだろうといくら考えても思い出せない。香だけが記憶されているのだ。そんなときにはたまらなく懐かしい気持ちになる。なんだかわからなくても、遥かな昔の思い出に必ずその香は結びついているのだろうと思う。

あとがきに書かれていた、レイチェルから友人への手紙はこうだ。

「もし、私が、私を知らない多くの人々の心のなかに生きつづけることができ、美しく愛すべきものを見たときに思いだしてもらえるとしたら、それはとてもうれしいことです」

これはどんな表現者にも共通する野望だ。どこまでも控えめで、およそ人として望みうる最大の、そしておそらくは善であることと矛盾しないほとんど唯一の、野望と思う。この野望をわたしも求めてみようか。


2008-01-20 栞と紙魚子のドラマが始まってたんですね。 [長年日記]

_ 栞と紙魚子は、敬愛する諸星大二郎先生のホラー漫画なわけですが、これが日テレ深夜のドラマになっていたのを同僚から聞いた。ネット配信していたのでこれを見る。

若いねー栞も紙魚子も。紙魚子が原作とは違ってまったくしっかりしてないヘタレなメガネっ子になってたのも悪くない。井上順の段先生もなかなかしっくり来ているように思う。問題は、クトゥルーちゃんが登場するかどうか。これだ。 そんなわけでこの日曜は緊迫感の無い一日となってしまう。

2008-01-21 キルケゴールの本2冊、届く。 [長年日記]

_ 放送大学の試験を今週末に控えて、読めるかどうかもわからない参考書を日本の古本屋で買ってしまっていたのだった。キルケゴール「反復」「おそれとおののき他」。

実は高校の頃だろうか、キルケゴールには一度挫折していたのだった。中公文庫の「不安の概念」に書かれてることが全くわからなくて。日本語の意味は解読できるけど、それが何を意味しているのかが全くわからなかったのだった。たぶん、倫理社会にでてきて興味を持ったのだろう。しかし、彼の言っていることを理解するためには、聖書の知識がなくてはならなかったらしい。

年を経て。とりあえず新約聖書の主な部分にはある程度目を通して、旧約聖書も若干読んだ私に、彼の思うことを共感することはできるのだろうか。試験前に読めるかどうかはともかくとして。


2008-01-23 訳あってメールからアップ [長年日記]

_ なんつーかさ、理不尽に感じることはあるのですが、長くなるので携帯からだと打つのに疲れるので後日。コメントのレスもちゃんとできないかもで、読んでくれてるかた、しばし申し訳ありません。

_ 試験日曜日。

やはり今回は番組の試聴はコンプリートは無理だ。近頃積極的に人付き合いしてたのと飲酒が増えたのとでメンタリティが不安定。会社に行けなくならないようにメンタルクリニックに行って薬貰ってきました。調子少し戻る。全て諦めたくないからね。しかし水曜日くらいまできつそうだな…。


2008-01-27 試験終了…はおあづけ。 [長年日記]

_ 試験受けてきた。

ひとつの科目の設問に、印刷教材と放送教材と云々(これ以上は書いちゃまずいな)と書いてあって、放送授業を全て聞いていなかったことを恥じ入り、ほぼ白紙で提出。再試験で再起を図る。ほかは、まあなんとか。

学習を続けるのは大変なことだと今さらながら気づく。そしてもうすぐ来期の科目申請。性懲りもなく続ける。面接授業を入れてみようかな。


2008-01-28 Librettoはやっぱいいな。 [長年日記]

_ 今までなんとなくアップが飛び飛びだったりメールから更新してた理由を発表します。

最初に言っておく!これはネタではないっ!

ことはまあ私の粗忽から来てるんですけどね。NTTの料金はずっと払い込み用紙で払ってたのですが、ついつい9月分を払わないで10月以降を払って平然としてたわけです。 で、この間の旅のときに自分ちに留守電でも入ってないかなと思って旅先から自分ちにかけてみたら、「この電話番号は使われておりません」と言われた。
ここで私は考えるべきだったのだ。しかし、なんか手違いでもあったんだろうと思って旅から帰っても平然としてたわけです。
するとある日、光のプロバイダから、固定電話の契約が解除になっているのでこっちの契約も解除だよーん、なんていうふざけた(ふざけてるのはわたしですかね)はがきが届いた。で、結局のところ払わずにいた9月分のせいでNTTの契約は解除になっていた。そういう通知も玄関の片隅に転がっていたわけでした。
NTTに事情を話して不在が多かったことなどを訴えると契約解除はなんとか回復してくれたのですが(ただし二度は無い、ということです)、プロバイダのほうは回復できないんだってさ。はっきり言っておく。YahooBBだ。

というわけでいま別のプロバイダとの契約を済ませて工事の日をいまや遅しと待っているわけです。今つないでるのは無料のダイヤルアッププロバイダ。こういうのって、あるんですね。助かりました。 しかし、ダウンロードの遅いこと遅いこと。しかもうっかりつなぎっぱなしにしとくとどんどん電話代がかかる。一気に10年前の環境になってます。

みんなも気をつけようね。固定電話の基本料金、高いよね。これってもう今や単なる小市民のステータスみたいなもんに成り下がってるような気がする。

にしても、昔使ってたリブレットに内蔵モデムがついてて良かった。いまさら外付けモデムなんて買う気しないもんなー。Lib朗!偉いぞ君は。


2008-01-30 フォロー会議はつらし。 [長年日記]

_

今の部長さんは非常にまめな人で、2か月に一人づつ業務フォローをするのですね。

気がつけば何も進んでないことに対して申し開きすると共に挽回策等を提示するわけです。

その資料を用意してると気がめいるよ。

でもこれまでのところは、自分の仕事の難しさを理解してもらっている機会になってたりするから、まあ逃げちゃダメなんだなと思う。

学会近い。


2008-01-31 不可能性の証明は不可能か。 [長年日記]

_ 昨日のフォローをきっかけにして、なんで自分の仕事がうまくいかないのかを分析し始めた。

たぶん、通常の統計的理論(まあ、なんかそんなのに関係した仕事をやってるわけです)を使えるほど理想的な状態からはかなりかけ離れた部分で仕事してるんだろうと思い至ったわけで。全く使えないんじゃないけど、使うと間違う確率が多いという。

なんかそんな切り口で、手法の限界みたいなものが定式化できるのかもしれない、なんて思った。

明日は休み。勇気を試される日なのです。。。


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