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2008-01-19 「センス・オブ・ワンダー」 [長年日記]
_ ストレスがたまってくると浪費してしまうというのはよくある話だが、わたしは良く本を買ってしまう。たぶん何かのヒントや答えを求めているのだろう。
ストレスの原因の一つは、来週の放送大学の試験。とりあえず「倫理思想の源流」だけはテキストを読み終えた。今回はテキスト読み終えるだけで精一杯かもしれない。テキストの中にカーソンの「センス・オブ・ワンダー」の一節が載っていたので、買ってみた。「沈黙の春」で著名なこの著者の、死ぬ間際の作であるらしく、内容は途絶していると言って良いだろう。たぶんこの人から読み取るべき"世界の見方"はもっと沢山あったのだろうと少し残念な気になる。
嗅覚というものは他の感覚よりも記憶をよびさます力がすぐれている、と書かれている。袖の香とか橘の香とかいう形で日本の古典にもそれを肯定するような表現が残っている。そんな知識もまた放送大学で学んだものだった。現実にはそんな匂いはしないのに、日常のなかでふいに昔かいだことのある香の記憶がよみがえることがときどきある。それは何の匂いだったのだろうといくら考えても思い出せない。香だけが記憶されているのだ。そんなときにはたまらなく懐かしい気持ちになる。なんだかわからなくても、遥かな昔の思い出に必ずその香は結びついているのだろうと思う。
あとがきに書かれていた、レイチェルから友人への手紙はこうだ。
「もし、私が、私を知らない多くの人々の心のなかに生きつづけることができ、美しく愛すべきものを見たときに思いだしてもらえるとしたら、それはとてもうれしいことです」
これはどんな表現者にも共通する野望だ。どこまでも控えめで、およそ人として望みうる最大の、そしておそらくは善であることと矛盾しないほとんど唯一の、野望と思う。この野望をわたしも求めてみようか。