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2011-04-21 「陽子さん、わたし、怨むわ。」−NHK連続ドラマ「おひさま」− [長年日記]
_ 近頃会社では昼休みの直後に3分間スピーチというのを順番にやっている。3分にこだわることも無いようなのだが、70年代くらいにはさかんに3分間スピーチの本が出ていたようだ。私はこう見えても(どう見えるの)あがり症であり、緊張のあまり言わなくても良いことを幾らでも言い続けてしまったり、妙に尊大なしゃべり方をしてしまう癖があるようなので、自分が話す番になると全く心中穏やかではない。
3分間で報告をする習慣と言うのは仕事のツールとしてはオーソドックスなものであった時代があった。今はむしろメールの文面にこそ簡潔さが要求される時代であるかもしれない。
私のスピーチの内容は10数年前、このHPを立ち上げるにいたったきっかけの話である。この話を頭の中でまとめるために、その10数年前のことを随分と思い出す機会となった。私は覚えたてのネットの楽しさにはまっていた。それが原因で家の中で骨折した。どういうことかはどこかに書いたような気もする。インターネットはまだ普及し始めて間もないころだった。こんなにも人の人生と密接に関わるものになったと改めて思う。ネットの匿名性も、やはりネットの世界は現実の世界の一部であると知られるにつれて、次第に薄れてきた。画像や動画を検索することは当たり前であり、ネットと繋がっていること、膨大な人類全体の知識を、スキルさえあれば共有できるという世界が実現したことなど振り返れば、これは人類の画期であると本当にそう思える。
だが、こういう状況であればこそ、個という在り方を突きつめることも価値のあることではないかとも思える。ガスが止まっても適当なファイヤースターターを探して火が起こせたり、安全に山肌を這いのぼることができ、自然物から自分の居る位置を特定して次の行動を間違えることなく起こすことができたり、どんな植物が食べられるのか、どこを探せば水を手に入れられるのか、またそれは本当に飲める水なのかどうかをどう判断するのか、公式を忘れた時はどのようにそれを導出すればいいのか、道端に残されたサインは何を意味しているのか、対峙する相手は次にどのような行動を起こす可能性が高いのか、病気でもないはずなのに体の節々が痛むのは何故なのか…そういうことをインターネットが無くともわかるようになれたら良いと思う。
_ 「おひさま」
いいなづけがいるのにヒロイン・陽子の兄に恋してしまった悲哀を訴えて泣く令嬢。陽子さんが悪いんじゃない、そのことはわかっているはずと言って泣くモガ志望(ああ、モガが死語であることはよくわかっています)の元アンドロイド。そしてごめんなさいごめんなさいと言って泣くヒロイン・陽子。このドラマの主眼は、女の子たちが限りなく純情であった頃に注がれている。あまりにも新鮮で思わずわたくしも3人の中に混ざって一緒に泣きたくなってしまいましたわ。だってわたくしも年頃なのですもの。年頃=49なのですが。そしてわたくし=良い年したむくつけき大和男児ですが。
_ 余震。
あいかわらず続いてる。22:35頃に今日は起きた。このもうすぐ寝ようかと言う頃に長い余震が起こるのが一番応える。震度3強と言うところだろうか。今22:40。パジャマに着替えてフランスパンの予熱してる間に膝にお灸をすえてたところにぐらぐらぐらっと来た。この状況で避難するのはあまりにも心的抵抗が強い。おお、でもDVDの山が今回は崩れなかったな。とりあえず今回も無事だった。。。