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2012-06-08 [長年日記]
_ ある意図があって映画のいろんなシーンを見かえしていた。70-90年代のSF的な映画。そのころの技術から見て未来的と思われた事柄、たとえば3次元像を動画として記録・再生する技術は、今も実現されているとは言い難いことと思う。「ブレードランナー」を見ていて思ったのは、レプリカントの技術は、クローンや再生医療の技術の倫理的側面が問題にならないのなら、実現の可能性の大きいもののひとつのように思われる。一方、同じ映画に出てきた、写真の細部を再構成するコンピューター技術はどうだろう。デッカードはピアノの上の1枚の写真を、ブラウン管ディスプレイのあるコンピューターに読み込む。画面はいくつかの区画に分けられ、デッカードはコンピュータと会話をするがごとくコンピュータプログラムを操作して、写真の微細な一部にある、追っているレプリカントの寝顔に行きつく。このユーザーインターフェースのことを考えるのも面白いのだが、この操作の過程で、画像は明らかに、撮像した方向からは決して得られることのないであろう方向から見た画像を再生するのである。また、おそらくもとの画像を100倍以上は拡大していると思われるのに、拡大した画像はほとんど劣化していない。つまり、ピアノの上に無造作に置かれていた1枚の写真は、その古くさく何の変哲も無さそうな外見に反して、画素数にしてざっと20億ピクセル以上の超ハイビジョン画像ということになる。現在のハイビジョン画像でも200万画素くらいとなるから、そのさらに1000倍というのは尋常ではない。しかも立体情報を有しているらしくも思われるのだから、深さ方向の情報もこの写真には含まれているのである。この方向の分解能は少し悪くて水平方向の1/10くらいとしても、少なく見積もって10テラ個くらいの画素数に相当する。今1テラバイトのハードディスクがあったとすると、そこにはアルファベットが1テラ個(=1兆個)しか記録できないんである。一方、画像データの1ピクセルはやはり1バイトは使うことが普通(1バイトあれば256色を表現できる)なので、結局先ほどの写真1枚の持つ情報量は、実にDVDレコーダーに搭載されているハードディスク10台よりも豊富な情報量を有しているという計算になってしまうようだ。それを1枚の紙(のようなもの)の上に記録することは、私には、レプリカントを作成する技術に匹敵するくらいむずかしいことなのではないかとも思えるのだ。