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2014-02-08 [長年日記]
_ そういえば「早歩き」と言う言葉はあるけど「遅走り」という言葉は聞いたこと無いな。今朝、一面の雪。詩を作ってみる。
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
はるかなむてき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
すべるくつおと
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
いちめんのゆき
うごかぬからす
いちめんのゆき。
-元ネタは山村暮鳥「風景-純銀もざいく」。高校の時に現国の先生から習ったが、先生の引用は一部で正確でなかったように記憶している。今読み返してみると、これはウォーホールのキャンベルスープやライヒの「六台のピアノ」のような反復の芸術の一つだとわかる。一行が定数であるという機械的な定型文を連続する体言止めという、声に出せばそこには何か強いメッセージがあるのではと思わせる"最小限の"表現を組み合わせているところに「風景」のユニークさがあると思う。体言止めのメッセージ性がちょっとわかりにくいだろうか。終止形は体言止めよりもより発信する側の主張が直接的であるという見方は多いようだ。でも一概にそうとは言えない。
「生ゴミは火曜日の朝に出してください」
よりも
「生ゴミは火曜日の朝」
のほうが俺には強い命令のように感じるがどうだろう?このように、守るべき規律に結び付いた体言止めは、有無を言わせない迫力を持っている。「生ごみは火曜日(何度言わせるのだ)」「生ごみは火曜日(守らない者は町から出ていけ)」「生ごみは火曜日(後始末するもののみにもなれ)」。
だが、そのような効果は受け手の感性に依存している。終止形まで言い切らないうちはゴミを捨てろとも捨てるなとも言ってないのだからこちらの好きに捨てさせてもらうという感性の持ち主には体言止めの迫力はおそらく一切伝わらないことだろう。現代国語を画一的に教育しようとする場合の困難はこんなところにも見えている。作者の意図を先回りして答えさせようとする教育法は正しくない。相手の気持ちを邪推して挙句過剰反応に苦しむコミュニケーションの不得手な人間が増えるばかりだ。
_ そういう訳で外に出たくないので、youtubeでベリーズ工房のももちの動画とか見てヘラヘラしてたら、芸能人が人狼ゲームをやっている動画が出て来て面白くてここ2時間近く見てる。もとは戦前にすでに成立していた伝統的なゲームということだが、現在ではカードゲームやチャットの機能を利用したオンラインゲームとして普及している。個人的なことを言うと、この手のゲームに参加して勝利することは俺にとっては全く苦手なのだが、ゲーム理論で扱うにふさわしい面白そうな題材として興味がある。ただし、登場する人数が最低でも5人は必要であること、登場する役割が市民と人狼(夜は狼となって一人の市民を殺す)のほかに占い師(一夜に一人だけその正体を知ることができる)・騎士(人狼の攻撃から市民を一夜に一人だけ守れる)など多いため、囚人のジレンマやモンティ・ホール問題ほどには論理的に最適な行動を決めることが簡単ではなさそうだ。しかも最初の一日目は参加者の受け答えだけから一人を投票で追放するというところから始まる。ここで役割を持った者が排除されると、その後の展開は大きく変わることになる。このようなゲームをシミュレーションするにはどうすればいいのだろうか。ルール上可能な各参加者の選択を逐一試行して、そのうち意味のある選択だけを残してあとは取り去るという計算の仕方は可能だが、おそらくそこから期待値を算出しても実際の人間行動を反映していない。どのように計算したらいいんだろうか??
_ 昨日「もっとまじめに走れメロス」と書いたら、全く同じタイトルのエッセイを見つけた。いつ書かれたかは知れないのだが、この文章は走ることの検証だけでなく、「勇者はひどく赤面した」にいたる”オチ”(メロスはゴールした時全裸になっていた)にも言及している。俺は先日のバフェット氏の発言「裸で泳いでいたのは誰か、潮が引いて初めてわかる」のことを思い出した。太宰先生は、この最後のオチに至るための伏線を、メロスが市の灯楼の見えるあたりまで帰ってきた辺りに張っている。読みたくなったら青空文庫で読んでみたらいい。そこから先、セリヌンティウスの弟子と会話を交わし『ついて来い!フィロトラトス!』というカッコイイセリフを吐いた時もマッパだし、『セリヌンティウス、私を殴れ!』とカッコイイセリフを吐いた時もマッパだし、セリヌンティウスと抱き合った時も少なくともメロスの方はマッパだ。俺が中学のときにここに感じた違和感は、しかし、古代ギリシアの彫刻の人は多くマッパなのだから、もしかすると太宰先生はそういう考証の上でメロスの裸をあまり異常なこととして取り上げてはいないのだろうと解釈していた。でも確かに、最後の最後にそこを取り上げて笑いをとるような言葉で〆めとするのはちょっと卑怯な気もする。「走れメロス」自体は、内在する誘惑に打ち勝つ英雄的な行為をテーマにしているに違いない。しかしその背景の設定が甘いがゆえに、リアル中二よりもさらに中二病的であると言わざるを得ないのである。
…と、ここまで書いて、青空文庫版「走れメロス」の最後に気になる一行を見つけてしまった。「古伝説と、シルレルの詩から」。シルレルというのはシラーのことだろう。ちなみにゲーテのことはギョエテと呼ばれていたと思う。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という古諺(?)がある。さてこうなると、本当の中二病は太宰かシルレルか、という問題が起こる。シラーの詩なんて読んだこと無い。ただただストルム・ウント・ドランクとか言って赤フンで夜な夜な舞っていた(←学生生活におけるストームと混淆している)人という印象しかない。古伝説の方は英語版Wikipwdiaにあった。この検討は続くのか?不知。
_ [コンピュータ] VisIt
仕事の関係でVisItという3Dヴューワーを紹介してもらったのだがウィンドウズ版の実行ファイルは2/11までダウンロードできない見込みでちょっと残念。TecPlotやXDMFなどさまざまなフォーマットに対応していてフリーだが動きが良いようなので大変期待している。
_ 雪は降り続いている。今朝がたは近所の誰かが雪かきしてくれたらしかった。15:00頃玄関先に出てみたらまだ降り積もっていたので今度は俺が雪かきしてきた。意外に重たい雪だが道は狭いので大した量ではない。だがこちらの武器は平スコップだけで、軽いジョンバーとかは無い。そういうわけでちょっとの作業だけど少々動悸が上がる。
_ [コンピュータ][統計学] RAFの良いところ。
今日いじってて気づいた。フォルダの中に使うデータファイルやpptを置いておけば、ダブルクリックでRAFから起動できる。ワークフロー管理としてもなかなか優れてる。コピペしてはいけないデータを貼り付けようとするといきなり落ちる。ムカつく。そこは良くない。でもRAFはすごくいい。RAFの画面の右ウィンドウから直接スクリーンショットをコピーできたらもっと捗る。
_ 夕食は藤原製麺の袋麺と、宇都宮餃子館のスタミナ健太餃子&肉餃子(16個)。ペロンと食べたらすげえ満腹。たべながら「SAKUSAKU」の録画見てる。今週はチャンMIWAがゲストだったんだよな。新曲はFaith。信用とか信頼とか言う意味。チャンMIWAのメッセージがストレートで良い。俺みたいな薄汚れたレトリックなんか必要ないんだよなあ。宇都宮餃子久しぶりで旨し。チャンMIWAのしゃべりの声が結構ハスキー。ときどき曽我町子さんみたいになる。俺の声もまだデスボイスで、ちょっと曽我町子さんみたい。「ねえねえ正ちゃん!」(←アニメ『オバケのQ太郎』の声やってたんだよ。わかんねえだろうけどさ)
ももち好きなの? 意外だな!(◎_◎;) 人狼ゲーム今度みんなでやろ!
ももちの折れないハートが面白いじゃない。 <br>ゲーム負けるからやだって言ってんだろ。それに人集まんねえし。友達いねえし。どうせ負けるし。変態だし。糞虫だし。
エロスじゃなくてメロスのエッセイ、更新履歴によると約3年前の11.02.23だそうです。 <br>これを最後に更新途絶えてますが、突如(私の中で)話題沸騰。 <br>よいネタありがとうございます。来週昼礼スピーチ当番でして。 <br>青空文庫で「デイモンとピシアス」も読んできました。
鈴木三重吉さんの方が年代は早いようで、太宰先生はこの翻訳を赤い鳥で読んだのでしょうかね。暴君ディオニシアスのパーソナリティは複雑で興味深いです。