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2012-10-05 [長年日記]
_ この記事書いてるのは実は10/09なのだが、身延道へ出かける前の気持ちをちょっと思い出して書いとく。
はじめて身延道を歩いたのは2003年で、東海道・中山道と日本の第一主成分方向に歩いたので次は第二主成分方向に歩こうと思ってフォッサマグナ西端に相当するこの道を選んだのだった。しかし当時、道を確定する手段、特に「歴史の道調査報告書」の存在を知らず、参考にしたのはなぜか静岡県静岡土木事務所のHPの解説(現在は削除されてしまったようだ)と、江戸時代初期の日蓮宗僧侶でまた当時を代表する文人の元政上人の書いた「みのぶの道の記」であり、前者には大まかな道筋だけがあり後者には地名だけが書かれていた。それを頼りにあとは地形図を眺めてそれらしい道筋を推定して歩いたのだった。おおむね富士川沿いで、岩淵筋とも呼ばれるルートだった。その後、当時の清水市の図書館に広報用のVTRがあることを知って空テープを送りつけて無理を言ってダビングしていただいたのを見たり、歴史の道調査報告書の存在を知ったりして、もうひとつの代表的なルートである興津筋をずっと歩きたいと思っていたのだった。静岡は私の住む神奈川の隣の県であるから近いと言えば近い。すでに該当する地形図はすべて持っていた。そういうことで、身延道・興津筋を万沢辺りまで行こうと決めたのだった。そういうことで10/7の日記に続く。こういう書き方はこの日記を順を追って読んでる人(そんなのいるのか?)を混乱させることだろう。