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2014-10-28 [長年日記]
_ [読書] 「自省録」マルクス・アウレリウス(つづき)
寝床で読んでるうちに当然のごとく寝落ち。ここ数日レポートのネタを仕込むのに悩んでるところ。書きはじめる前にともかく(授業ではすべて読まなかったので)一通り読んでしまわないと取り掛かることができないという因業な性格だ。だが、単位取得に汲々としていた"最初の"大学時代と違って、駄目なら駄目であまり高額ではない授業料が少々無駄になるばかりだと思えば、やはり納得いくように学習したいと思う訳で、そういうわけだから俺の学生生活は活発ではないが充実している。11巻の最初まで読み通したのでだいたい論旨とすべきものが見えてきたように思う。
実は、たかだか1単位の授業のために、参考書を4冊ほど買っている。塩野七海「ローマ人の物語」、岩波新書「一神教と多神教」、ちくま文庫・ギボン「ローマ帝国衰亡史」、中公新書「ローマ帝国の神々」である。興味は、若い頃は神職にあったというマルクス・アウレリウスが、どんな神にどのように仕えていたのかに対する興味。「自省録」のあちこちで神、あるいは神々、そしてほぼ同格と思われる自然に対する言及があるのだが、この神がどのような神なのかを理解するのはマルクス・アウレリウスの思想を理解するのに有用と思われたからである。だが、もちろん、このことを付け焼刃で深耕するわけにはいかない。いまだローマにとっては異教であるキリスト教に関する言及すら「自省録」には現われるし、神だったり神々だったり唯一神なのか八百万の神なのかも良くわからず、ギリシャの神々もオリエントの神々も信仰されていたらしい。一方で神祇官のような職もちゃんとあって、確固たる祭祀も行われていたようである。古代ギリシャの信仰の影響という点でいえば、プラトンが唱えたデルウミゴスデミウルゴス(←FF6に出てきた奴適当に覚えてしまっていた。ハズカシー)のような創造主という存在ももしかするとマルクス・アウレリウスの思想には多少の影響を与えていたかもしれない。という訳で手に余るから、レポートとは切り離して楽しもうと思う。楽しめないとしたら、これらに費やした数千円の投資に対してレポートを提出して得られる1単位の獲得というのはおそらく割に合わないのだ。だから、これは授業をきっかけにして自らの興味が招いた自主的な消費行動なのだ。そう考える以外に救いがあるというのか?投資対効果の計算にはこの消費行動による俺の幸福度向上という項が含まれねばならないのである。つづく。