RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2011-05-14 ムクロジ拾った。 [長年日記]

_ 「ケータイ刑事 銭形愛」の第1回だけ見た。
少し前に放送してたやつの録画。全部見たい気がするが今である必要もないかな、と。オダイバドットコムの翌年くらいの作品。宮崎あおいの魅力は笑ったり泣いたりするとチンクシャになるところだ、と思う。
_ 「エマニエル夫人」からの引用。
いまさらだけど。
・『一月三日三時五十七分、牛飼座と天秤座と乙女座を結ぶ三角形の中心点に、白い星がひとつ現れるだろう』自然を憎むマリオの引用した詩。映画に出たマリオと小説のマリオは、性の知識にたけたホモであることを除いて共通点が無いように見える。映画では初老の紳士、小説ではもっと若い設定。
・ムリア族の男女が愛の術を修業するための施設、ゴツウール。ゴトゥルと表記される方が一般的のようだ。リンク先に書かれた金塚貞文『オナニスムの秩序』は懐かしい本。つうか今も持ってる。
・「さて、ここで、あなたはいよいよエロチシズムの第二番目の法則に出会うことになるのですよ。すなわち、エロチシズムは『不均衡』を必要とするということです」本書の提言の最たる部分ではないかと思う。二人で抱き合っているときには、相手以外のもう一人のことを思い浮かべなさい。機会が許すならばもう一人を実際に介在させなさい、といったことが勧められている。中学の時に-当然童貞時代であるが-こんな性哲学を叩きこまれた者が正常に育つはずもない。せめて普通に経験した後に知るべきことだった。。。もちろん、二人で抱き合っているときにそのどちらもが相手以外を思い浮かべるというのもこの法則には反することになる。
・「もう一度ぼくは、科学的な図式にたよって、いわせてもらいたいですね-エロチシズムとは、すべての生命の出現に必要なものと同じ条件が集められることを要求されます。生きた細胞の創造には、大きな蛋白質の分子が存在することが必要だと、あなたは学んだはずです。ところで、この分子の特殊性はその構造、つまりその構成分子の配列が高度に不均衡であることなのです。」マリオの偏った知識の披露は本書の後半部のほとんどを占めている。この部分を最近読み返して、作者エマニエル・アルサンことタイ人女優マラヤット・アンドリアンがフランスの文化を学んでいること(夫がフランス外交官である点はこの小説のヒロインと同じ境遇である)をうなずかせる。酒石酸に鏡像対称な二つの異性体があることを見出したルイ・パスツールの国の文化の香りを感じる。パスツールの発見は後年エマニエル夫人(に至る性愛のアート)をフランスで生みだしたのだ、ということになる。
・「さて、エントロピー、すなわち消耗というかエネルギーの衰退というかまあ大体そういう意味のものですが、宇宙全体と同様にエロチシズムをも見張っているのです。そして、エロチシズムに固有のエントロピーの形体というのは、社会の慣れよりも感覚の堪能なのです」もしかすると、私の人生における「エントロピー」なる語の初見はこの書だったのかもしれない。そう思うとなんか感動する。でも多分そのことを意識せずに過ごしてきたようだ。さもなければ「エントロピー」という言葉を聞く度に勃起するような変態さんになっていたことだろう。尤も、別種の変態さんにはなってしまったかもしれない。
・「ぼくたち男性にとって、女の手ほどぼくたちを男にしてくれるものもまたとありません。ぼくたちは牝鹿や雌ライオンと交わることができるし、その動物の乳房を愛撫したり、その柔らかい舌の下で快感に慄えることもできる。しかし、指でぼくたちを射精させてくれるのは、ただ人間の女だけなのです」手による性愛だけが獣性に貶められることの無い性愛の形である、と言っているのかもしれない。ただ、人間の女という限定にはマリオの性癖も含めて違和感を覚える。『慄える』=ふるえる、と読むのだろうか。普通はおそれる、とかおののく、とか読むようだ。
・「つまりエロチシズムは数を必要とする。一人の女性にとって、恋人の数を数えるほどの快感はまたとないのです」ちなみに、AIDSの最初の症例が発見されたのは1981年ロサンゼルスとされているようである。"エロチシズム"がこの脅威に曝されるまでには10年ほどの猶予期間があったというわけである。