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2005-10-27 [長年日記]
_ [交通史] 近世の交通史
「街道」の初見を探したあとは、どうしても「五街道」の初見、ということになるだろう。幕府の管轄になる五街道は日光・奥州・甲州各道中と、東海道・中山道。この呼称は江戸期の間確定的ではなかったが、享保元年に新井白石の意見を取り入れて、公的にはこのように呼ばれるようになったと言う。このときの御触書は『御触書寛保集成』なる本に入っているらしいが、今日図書館で見たのは『日本交通史料集成 第三巻』に収録される『駅肝録』にある「五街道文字之事」という正徳六年四月と記載された御触書である。
「一、東海道 海端を通り候に付海道と可申候 一、中山道 只今迄ハ仙之字書候得とも向後山之字書可申事 一、奥州道中 是ハ海端を通り不申候間海道とハ申間敷候(残り二つも同様)」とある。享保元年=正徳六年でいいのかどうか、自信が無い。