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2011-02-17 「お、俺もう我慢の限界だよ!」−古諺− [長年日記]
_ [読書][経済学] 須賀毅『数理経済学』東京図書、2006。
限界費用と限界利益、という時の「限界」という言葉は、微分と同義と思っているのだが、ただしこのときの引数(←今やヒキスウと読むことが多いだろうが、たぶん本来はインスウと読む。マスターのとき講座の先生に注意されたことがある。『貴殿はこれを"ヒキスウ"と読むのか?』いにしえの栄光の理化学研究所におられたことのある先生だ)は量子化されているので、微分と言うよりは差分と言うべきだし、そもそも「限界」という訳語(英語では"marginal")にもそれなりの意味があるのだろう。ともかく、参考書をと思って須賀毅先生の『数理経済学』なる本を購入してきて、モーティベーションを高めるべく新しいA4ルーズリーフノートも買ってきた。筋トレを続けているのでモーティベーションを高めることを最近は大事にしている。モーティベーションを高めるためだったら多少の「やる気」は犠牲にしても良い。なにかもちがってますか。1400円とは安い本だ。しかしあえて「数理」とついているところには心意気の如きを感じる。「これまでの経済学書は一定の仮定の下での定性分析、すなわち言葉によって表現された分析方法が主流…」。英語のタイトルを直訳すると「数学的方法を使った経済の分析法」ということになるだろう。経済学の基礎知識を有している読者を前提としてると言うので、林先生の入門講座程度で大丈夫かどうかは疑わしい。価格は安いが読みやすくは無いように見える。
_ 古諺。
「こげん」と読むのは改めて知った次第で。高校の頃はポオの小説をよく読んでいたのだが、ポオの物語にはその冒頭に大抵引用がちょこっと書かれている。しかし時々、良い引用が思いつかなかったのだろうか、たとえばこんな"引用"で始まる物語があった。
「何時かしら?」−古諺−
たしか「鐘楼の悪魔」という話だったと思う。こう書いてやっとわかったのだが、この日記のタイトルを何かの引用で統一しようとしていたのは紛れも無くこのポオのスタイルだったのだ。しみ込んでたのだなあ、骨の髄まで。