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2015-05-01 [長年日記]
_ 札幌にいる。11時に羽田を出て15:00頃親の家に。その後たっぷり時間をかけてウォーキング。円山から中央卸売市場とか北海道大学を経由して北の穴場・茂で茂みそラーメンチャーシュー入り+餃子。そのあとさらに東区に入って美香保公園、札幌駅北口と経由して円山へ。途中気付いたこと。学ぶことに喜びを覚える日々だが、仮に命がさらに100年永らえたとして、その時自分は何をしているだろうか。もしもそのとき体も頭もしっかりしているなら、やはり学ぶことを続けているだろう。だが、それは今もやっていることだ。100年永らえた時にやっていることは今まさにやっていることであるとしたなら、今を生きていることと100年後を生きていることに変わりはない。つまり、未来においてもしていたいことを今すでにやっているなら、それは永遠の命を与えられてそのことを行っていることと違いがない。これが永久に生きるということの本当の意味なのではないのか。すでに俺たちは永遠を生きているということなのではないのか。なんかそういうこと。