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2021-04-27 [長年日記]
_ もうすぐGWだから、なのだろう。集中できない。その割に夜遅くなったりして。明日もできることは限られている。普遍的に価値のあることがその中にどれほどあるか。夜ヨーガしに行けたらそれはその稀有なことの一つになるだろう。いやいや。朝ちゃんと起きて夜ちゃんと寝ることだってそうだ。3食まともに食べることだって。志低くたっていいやい。フンフングシュングシュン。ゆうや〜けこやけえの〜あかあかとんぼ〜。マカロニほうれん荘読みたくなった。声を詰まらせながらトシちゃん二十五歳(若いなー)の歌ってるこの部分は秀逸だと昔から思ってる。
_ 『人新世の『資本論』』という本のことを、今ラジオ深夜便で放送している。著者の斉藤幸平さんが持論を展開しているところ。マルクスには未だ触れたことがなかったから、いずれは触れてみたいと思っていた。が、この本が入門となるわけでは恐らくない(ちなみに著作集の第1巻だけ持っている。マルクスの博士論文はエピクロスに関わりがあるためだ)。とは言え予言めいたことも伝わってきて、またしても私にはあの問いかけが聞こえてくる。「お前はあの貧しい生活に戻ることができるのか?」と。恐らくそうなったなら私は生活を今ほど楽しめないのではないかと恐れるのだ。あるいはもっと恐ろしい言葉も聞こえてくる。「お前だけが貧しく他は富んでいる。そんな世界にお前は住みたいと思うのか?」正直に言えば真っ平御免だ。そんなに偉くは出来ていない。大して富んでもおらず豪奢を尽くしているわけでもないが、人の不幸を見て我が身の安堵を覚える者には、人新世はますます住みにくいものに見える。それでも生き続けることを選ぶのなら、遅かれ早かれ今の価値観をガラリと転換するより無い。これは酒やタバコを止めるようには(似ているとは思うけど)行かないのではないか。思うがままの物欲に促されてかき集めたものたちを捨て去らざるを得ない日はそう遠くないのかも知れない。オタクにとっての裁きの日、ということだろう。なお、上記の私の心胆を寒からしめる言葉は斉藤さんの言葉ではないので念のため。