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2014-12-20 [長年日記]
_ 粗大ごみの日だったのに、ゴミ出しルールにある期限8:00の7分前に目覚めてあわてて出しに行く。布団一組とウォシュレットと、そして窓置きのエアコン。これが重たい。まあ無事に回収してもらえたので良かった。年末にはあと椅子とベンチがある。どっちもちょっともったいない気もするが、置いといても所詮猫の爪とぎにしかならないのでさよならすることにした。結局家にトレーニングマシンがあってもモーチベーションは保てないのだった。ちょっとは人目があった方がいいということだろう。
_ なわけで羽田。出発10分遅れ。やはり最終でなくて良かった。
_ ところで英会話教室。今日はイントロで何がきっかけだったか、そうそう、俺の両親の健康を祈って''fingers crossed''とやってくれて、そこから迷信の話に。「我が母、いと迷信深きものにて階段にて人とすれ違いし時、あるいは着衣過ちて付けたるは皆わろきことと見たり。かかる時かれ、その場にて三度周りて悪しきをはろうなり。なれ、何の迷信持てる」と聞かれて咄嗟には思いつかなかったのだが、日本の習慣には多くのルールがあると言われて、その多くに迷信の類があることに気づいた。箸渡しは忌みごとであると言うと、師匠は、それは日本の葬儀に関することだろうと言い、骨を拾う作法について大変興味深く聞いていた。何故かほど興味を持っているのかもしばしわからなかったが、そのうちなるほどと得心した。師匠の国では火葬を見ることが無いのである。したがって、人骨を目にする機会もまた少ないため、それはどんな風か、どんな気がすると頻りに興味を寄せたのだった。足から拾って最後にスカルを砕いてvaseに入れるのだと言うと、信じられないと言った。多分初めて火葬に立ち会った際には俺にもそんな驚きが生じていたに違いない。驚きは知を愛すことの誠に大きなきっかけである。性的なことに興味が尽きないのもまたそういう駆動力によるのだろう。何より、好奇心という語に奇という驚きと関連の深い字が用いられていることが、既に自己言及的なのである。驚きをもって我生まれ、驚くが故に我想い、驚きによりて我探究す。かくして驚き故に我生く。そうであればいつまでもグングンと言う音をさせながら成長し続けることができるであろう、H.G.ウェルズがそうであると言われたように。それはもう、永遠に生き続けることと殆ど変わりがないのではないか。かくして、札幌に着いた。
おー、さすがに寒そうですね。四連休でしょうか。気を付けお過ごしください。 <br>年を取るとは、経験値が増えて新しい体験や驚きが減ることだと聞きますが、 <br>お骨上げや葬儀の類いは、いくつになっても慣れません。