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2016-05-26 [長年日記]
_ 昨日日陰と日向ということを書いたら、今日の日経の電子版には「AIというゴールドラッシュ」との言葉が出ていた。しかし、AIを提供する企業は、その実AIがどんなことに役立ってどんなふうに利益を作るのかを良くわかっていない。だからさまざまなケースを試してみたいのだ。顧客となりそうなパートナーに次々と話を持ちかけて、どこに儲けどころがあるのかを探している。そしてパートナーと目した会社からはきわめて多くの情報データを得ようとするのだ。その中にはきっと、情報のオーナーでさえ思いもよらないような金鉱が眠っている、と信じているのだ。この黄金狂時代を体験することは良い機会なのかもしれないが、食いはぐれて茹でた靴くらいしか味わうものが残っていない、そんな状況を誰かが映画にしていたような気がする。そういえばその映画人は、たしか機械に働かされる人間の姿も描いていたし、不景気によって台頭したナショナリズムの犠牲となることに激しい怒りを表わしてもいた。あれは遠い昔のことではない。今その数々の作品をもし再び味わってみるなら、ただ一つの違和感を除いてそれらが皆現代の問題をテーマとしていると知れるのではないだろうか。その違和感:「なぜそれらの映画には今どき色が付いていないのか?」。
_ 久し振りにNHK第2ラジオを聴きながら夕食。「教養としてのドン・キホーテ」。そういえば岩波版の文庫を持っていながら第二巻のはじめくらいまでしか読んでないので、私のこの作品へのイメージはいまだに「ラ・マンチャの男」の勇ましくポジティブなものとなっている。だがこの作は実は当時大量に読まれていた騎士道物語への批判だったのだ。そうそう、「ドルアーガの塔」に出てくるミラー・ナイトもこの作品にちなんでるんだったっけ。そういうわけでもう全然基本の教養が無い。