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2021-05-01 [長年日記]
_ どよーび。放送大学「死生学のフィールド」第6回を聴講。死産・流産といった胎児の死に感じる悲嘆の、時代による変化など。講師は民俗学者であるらしい。番組においても本文においても気になったのは、事実として語られることがらの数々には、それらがどこからの引用であるのかがほとんど明示されていない、というところ。少なくとも、そのままウィキペディアに載せると「誰によって?」とか「要出典」とかたくさん書かれてしまうような文章に見える。ウィキペディアの記事の方が大学の教材よりも文献としての体を成している場合がある、という訳だ。まあ講義の趣旨は概ね分かったのだが、大変な問題がある。まず男性である自分には母親の気持ちがわからない。さらに子はいないから(厳密に言うと、自分の預かり知らないところで存在しているのかもしれないがその可能性はほぼゼロと看做して良いと思う)子を失う母の喪失感に寄り添うことは難しい。加えて、死産・流産の経験も自分には無いため、そのような特別な状況がどのような悲嘆を産むのかはほとんど想像ができないのだ。これはしかし意外に問題としては大きいのかもしれない。なぜなら、知人からの妊娠や出産の知らせにある種無邪気にあるいは慣例に従って自動的に喜びを表わすその影に、このような自分には想像の付かない悲嘆に暮れる人々がいるのは間違いないからだ。この疑問は「死生学のフィールド」の埒外に向けられたもので、一般的とか平均的といった言葉で括られる集合に属していないマイノリティに対する視点というべきなのかもしれない。良い学生ならば参考資料を紐解いて自分で考えるべきなのだ。とりあえず先述の「自動的な寿ぎ」に関してはそれを逆説的に肯定することで自分を納得させることにしよう。つまり、その先に続くはずの子育ての苦労に対してのささやかな援助、という意味で僅かな祝儀を寄せるのである、と。
_ 結局その後更に二コマほど受講して今日の勉強はおしまいでござる。これで全講義の半分まで来たのでもう休み中はやらなくても良さそうなもんだけど、できれば全15回の効果は聴講終えて参考文献たくさん読みたい。水子供養って1970年台から始まったらしいのでその辺りの参考書とか。口から食事を取れなくなったらどういう生き方を選択できるか(その頃に自分の意思が確認できない状況になってしまっている可能性も含めて)に対するヒントも欲しいところだ。今までの人生、振り返るとあっという間だったのだから、そんな状況が生じるまでの時間もきっとあっという間だ。親が元気なうちに、延命治療を望まないという意思を示しておいてくれたのはありがたいことだった。親の介護に心を悩ませていた頃に比べると自分の問題を考えることは今のところは気楽だ。が、一寸先は闇とも言う。あらゆるリスクを想定しておきたいが、備えられるとも限るまい。世の中どうにもならないことはある。死にたく無いと泣きわめく老醜の自分という未来もあり得る。不思議なことに、自分のそういう境遇を考えることは心を乱すことはない。少なくとも今は。それはそれとして雷雨の中を2時間強、久し振りに長い散歩。傘も持ってたが歩くのには邪魔になるので濡れて歩いた。ゴアテックスのキャップは雨が滲みなくて頭皮は雨の被害を受けなかった。さすがゴアテックスだ、何とも無いぜ!って感じ。
_ そのウォーキングの途中、スーパーに寄る。最近「りんご娘」という青森のアイドルユニットが気になっていて、先週のタモリ倶楽部に出てた王林ちゃんがちょっと気に入ったので王林買う。青いヤツだ。レジに持って行くとレジ打ちのお兄さんが何か言う。にわかにわからず聞き返すと「青リンゴでよろしかったでしょうか?」と言うのです。質問の意図がわからない。青いの選んで買ったから良いに決まってるじゃん、と思った。そんなに青いリンゴ買うの珍しい?もしかして、青いリンゴは熟してないと思ってるのかな?それとも、たまたま赤いのを買うつもりで青いのを間違って買ってしまった客が以前いて、店側にクレームでもつけたのかな。まだ食べてないが、何だかとても酸っぱいリンゴなのでは無いかと思うようになった。味の答えは多分明日わかる。確か王林って甘い方だと思ったんだけどな。因みに私は「王林」じゃなくて「玉林」だと思ってました。「玉林」って、中国の地名だった。間違いに気づかせてくれたりんご娘には感謝しか無い。