トップ «前の日記(2011-03-17) 最新 次の日記(2011-03-19)» 編集

けいりう堂日記

   RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf


2011-03-18 [長年日記]

_ この日記最近会社から帰ってきて割とすぐに書いてることが多い。夕刻になると少し気分障害を感じるので、記事の内容も少しメランコリックになっているかもしれない。

さて、バタバタしてるうちに3連休になろうとしている。遠出をする気にはならない。余震の影響の無さそうなところに逃げたとしても家が心配で楽しめないだろう。思えば昨年は東北地方にセンチメンタル・ジャーニーへと出かけたのだった。福島、桑折、金田一温泉、三戸、浅虫、青森。彼岸団子を始めて食べたっけ。そう、もうすぐ私の誕生日だ。今までにいろいろな思いで誕生日を迎えたが、今年は一層思いで深いものになりそうだ。

昨日庚申様に詣でてその後考えた。メンタルクリニックでもらっている処方箋は「生活リズムを崩さないこと」と「今できることに集中すること」である。規律正しい生活は大抵の宗教では奨励していることだと思う。一方神や仏に祈ることには、不安・動揺・怒り・悲しみ・迷いといった心理的にマイナス要因として働く心の動きを、「一時神仏に預けて」今現在の人生に集中するという効果がある。そのように、心理的なマイナス要因を一時引き受けてくれる存在というものは、それを仮定した時点ですでに実在することと同義になるのではないか、ということだった。迷いが起こりそうになったときには不動や金剛が切り捨ててくれるから、迷うことを恐れずに行動すれば良い。何を言うべきかに困ることを恐れて言葉を発することをためらってはならない。何を言うのが正しいことなのかは、その言葉が必要となるときに与えられる。宗教の機能面だけを強調する私の考えはまさに無神論者のそれだろうとは思うが、おそらくただひたすら理性的に生きようとすることを続けられるなら、それは宗教的生活と矛盾はしないはずだ。違っているのは、崇拝する対象の実在をどのようなレベルで実在であると捉えるか、その点だけだろう。

とりあえず大規模停電は避けられた。身の回りを片付けながら連休と誕生日を迎えると言うのも悪くは無いだろう。スポーツジムが休業になるのは痛い。ヨガやるスペースが今家には無い。

そう言えば、ヨガというのもそうだった。生き方そのものであって神仏の存在を仮定する必要は必ずしも無いにも関わらず、動き方の規律や瞑想・呼吸、時には発声などを用いて、良く生きる方法を目指す。その在り様は限りなく宗教に近く、宗教的生活と矛盾は全く無い。多分ヨガを一種の宗教だと思い込んでいる人も多いくらいだろう。


トップ «前の日記(2011-03-17) 最新 次の日記(2011-03-19)» 編集

Categories | Python | 8801 | あんちゃんの自作ゲーム発見した | かながわのハイキングコースベスト50から | かながわの景勝50選 | アニメ | カムバック!マイ中二時代 | コンピュータ | ゴミレポ | テレビ | テレビ・ラジオ | トレーニング | ドラマ | パズル | プログラミング | ヨガ | ラジオ | 映画 | 英会話 | 奥州街道 | 音楽 | 下田街道 | 科学 | | 街道 | 関東ふれあいの道 | 紀行 | 京街道 | 郷土史 | 金沢道 | 熊野街道 | 栗山千明 | 経済学 | 現代湯治考 | 古新聞を読んで | 語学 | 交通史 | 口グセ | 甲州街道 | 綱島街道 | 香り | 殺害された言葉 | 自転車に乗って | 七十二候 | 食べ物・飲み物 | 食事 | 食品物理学 | 新聞を読んで | 森高千里 | 身延道 | 数学 | 生きもの | 千国街道 | 川越街道 | 銭湯 | 善光寺西街道 | 中原街道 | 超歩行者キュウカイダー | 怒りの日記 | 東海道 | 統計学 | 特撮 | 読書 | 二十四節気・七十二候 | 日光街道 | 猫の額 | | 博物館 | 姫街道 | 物理学 | 文具 | 米沢街道 | 抱腹絶倒オヤジギャグ | 放送大学 | 豊後街道 | 漫画 | 漫画・アニメ | | 夜へ急ぐ人 | 矢倉沢往還 | 愉快なジム仲間 | 料理 | 歴史 |