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2018-05-19 [長年日記]
_ [テレビ・ラジオ][下田街道] 「ブラタモリ」
天城越えの後編。旧天城トンネルは北側の方が南側よりも立派な造りとなっている。南側は古い地層を作っている凝灰岩で作られている。現地で調達されており、脆く所々欠けている。北側は当地には無い硬い玄武岩で作られており、特別な誂えと見られる。これは、このトンネルが南伊豆の人々にとっての北伊豆、ひいては中央への玄関であり玄関である故に立派なつくりとしたのだ、と番組では解釈していた。この解釈には違和感を覚える。北への入口、と言うならばむしろ南側の入口こそそれに相応しいのではないのか。南から来た人にとって北側の入口は、振り向かなければ目に入らないからである。南から北へ出る人の心理として、振り向かねば目に入らない方の入口を殊更立派に仕立てるということが自然であると考えた理由がわからない。だからこれは連続番組のノルマをこなすための性急な、一応の結論ではないかと思ったのだった。
ところで、ここらへんの地層が非常に古いということは実際に隧道の道に迫る崖を見ただけでも良く分かるのだが、あえて二本杉峠を越えた人ならさらに切実に理解できるものと思う。私がこの峠を越える旅をした時のことは、日記の以下のページに掲載しているので、ちょっと振り返ってみるのも良いかもしれないと思ってリンク載せました:
_ このあと伊豆・下田街道へ行ったのは2008/12のよう。この頃は熊野街道と奥州街道と米沢街道と下田街道を掛け持ちしていたようで、その他にも「かながわのハイキングコース」に載っているところをあちこち歩いたり野宿したりしてたのだった。
_ HPに挙げてない画像も少しあげとこうね。
_ 2007年9月17-18日
天城トンネル行って見たくなりました!入口の件私の解釈は、南に帰る時の入口が自分の家の玄関ということになるからかなって思ったんだ(^^;; けいさんはどこらへんで遭難したのかなって思って見てました
番組で随行してた先生が、3つのルートがあると言ってましたけど、その一番東側、ハリス一行が通ったという江戸時代の峠越えの道です。馬では越せないというのは本当のことで、先生も番組の中ではそこを通らなくて良かったですね、と言ってましたね。実際あちこち崩落しいて、古い地層なのだなあというのは実感できます。トンネルのある道との間の古峠を越える道はそれに輪をかけて本当に急坂なのでちょっとむりちゃづけですね。
なんか東と西を完全に間違えてましたね。一番西でした。マップのリンク本文に貼りました。