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2016-06-04 [長年日記]
_ この子の名前はハナマルユキ。
_ というわけで、お泊り学習1日目は終了。スベスベマンジュウガニ生まれて初めて見た。意外に地味でちいさい。けど食べると大人一人死ぬほど凶悪。明日に続く。雨降りませんように。。。
床に付いたが寝られず、高橋久仁子氏の「食べ物神話の落とし穴」というフードファディズムに関する本を読んでる。何年振りだろう、大勢の居る部屋で寝るのは。学生の頃か、親類の葬儀の時以来だ。現在三人ほどが高いびきをかいているのだが、眠れないのはそのせいではなく、いつもと違う環境と今日の興味深い体験、そして寝しなのコーヒーのせいだ。自分でも驚くほど不思議なのだが、いびきには全く腹が立たない。まあ時々の大音声にビクッとするが、こんなこともあろうかと思って用意しておいた耳栓が役に立っている。これで足りなければスマホでせせらぎの音を聞くが、その必要はなさそうだ。私を悩ませる音は、今や意味を持つ音、とりわけその内容の稚拙さにも関わらず声高に聴かせられる話し声だ。両者の決定的な違いは、いびきは私を傷つけない、ということだ。稚拙で声高な話し声ほど私を傷つけるものは無い。なぜならそれは、私が理想として及ばずながらも目指すことがらになどまるで意味が無い、と言っているのと同義だからなのだ。そんなことに傷つく人間がいると想像したことはあるだろうか?いびきは鳥のさえずりと同じだ。あのくだらない会話もそのように聞きなせたらどんなに良いだろう。クサンチッペの雑言を聞き流すことのできたソクラテスは、さすがに彼以上はいないと言われるだけある最高の知恵者であったのだ。