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けいりう堂日記

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2016-06-25 [長年日記]

_ 英会話。当然のように昨日のUKの選択を批判的に議論する話題を、そしてなぜか「斑猫(ハンミョウ)」のことを語り合う。先回のクラスでクジャクグモの話をしていたら、私の教師であるテリー先生(仮名)が、甲虫にも(蜘蛛と同様な)プレデターがいる。Tiger Beetleなぞはその類だと言ったので、Tiger Beetleとは何かと調べたら、これが斑猫のことだったという訳だ。確かに、昆虫の中には多くのプレデターがいると気付いた。カマキリもそうだし、他の虫の幼虫を噛み砕いて肉団子を作るハチの類もいたと思う。Tiger Beetleは日本ではSpotted Cat(斑のある猫)と呼んでいる。またの名をナビゲーター(ミチオシエ)とも言い、人間が近づくと少しの距離を飛んで着地し、さらにまた人間が近づくと同じように少し飛んで着地するのが、まるでその人間に道を教えているような仕草だからだ。そんなことを語った。
 実は今月のこの回でこの教室とはしばしのお別れ、と言うことにしたのだった。何かを選ぶ時は何かを諦める必要がある。どちらも選べるという幸運な場合も時にはあるのだろうが、人生においてはほとんどは択一なのではないか。選択が深刻なものでありどちらを選ぶかで行く末が大きく変わってしまうときほど、どちらも選ぶわけにはいかないようだ。そのことはまるで数論における定理のように自明だがなぜそうなるのかを証明することが難しい。まあ今回の選択はUKの選択以上に愚かなことではないと思っているし、意志と健全な肉体さえあればいずれまたリカバーできるほどの軽微なものであり、これが英会話を諦めたことにはならないのは自分がそう納得しているから証明としては十分だ。だが、割合長期間相手してもらったテリー先生(仮名)には別れの言葉を言い出せなかったのであり、わが心も石ではなかったと思い知る。俺は泣かなかった。だがもう少しで泣きそうだった、という訳でもなかった。


_ ビートルつながりではないのだがBSではザ・ビートルズフェスという特番をやっている。感心したのは、森高千里の歌う"Hello Goodbye”が、まるで彼女のための歌のように彼女らしく歌っていたことだった。決して賞賛しているのではなく、何を歌ってもそうなってしまう平板のような様をそう言っているに過ぎない。それ以上に森高千里を語る材料は私には無いが、このような個性の出し方もあるのだということに感心した次第。
 そのあとの平原綾香なんだが、彼女は私の先入観ほどには声量も音域も持っていないのでは、と感じた。酔った勢いで恥を忘れて声帯も裂けよと高音域を力押しして歌うオジサンのカラオケに似ている。もう少し風雅にけなすなら「その心あまりて言葉足らず しぼめる花の色なくしてにほひ残れるが如し」といったところだ。意味わからなくても構わないが、頭の中のセルフイメージほどには表現力がおぼついていない、という意味で言った。 ともかくもこの番組はビートルズ縛りのカラオケ大会に似ている。それはビートルズのカバーと言うも愚かなほど、ビートル・ソングがポピュラーなものとなっているせいでもあるのだろうが、せめてカラオケ大会であるにせよミュージシャンのカラオケ大会ならばもう少し聞く方を唸らせて欲しいと思ったのだ。受信料も安く無い。そのことを出演者は自覚する必要がある。出演者それぞれのビートルズ愛の強さと我勝ちな有様が、たとえば無駄な声の張りとしてあらわれているのだろうか。ダイアモンド☆ユカイもアドリブがしっくりきていない。
 財津和夫さんの”Yesterday”はもう少し聞けるものかと思ったが、さほどでもなく、タイガースの再結成コンサードで車いすに載って出てきて同曲を歌った岸部シローの方が、よりつたないとはいえより聞かせる。だが、ラブ・サイケデリコのカバーは悪くなかった。最後の”Come Together”くらいちゃんとハモれば良いのに、ミュージシャン達。
 なんか無理して辛辣なこと書いてしまっているのは、私自身ビートルズに愛憎ともいうべき複雑で強い思いを抱いているせいなのだろう。特に”Yesterday”は、自覚なく聞き覚えていた”Let It Be”とどちらが古い記憶かわからないが,、私にとっては歌うことを意識して歌詞を覚えた初めてのビートル・ソングだ。初めてのことが重なるが、初めて聞いたのは、初めて買ってもらったアイワのラジカセに付属していたデモテープに収録されていた2つの曲の一つとしてだった(もう一つは”マルタ島の砂”)。誰が演奏していたのかしれないインストルメンタル曲で、ボーカルの代わりにむせび泣けと言わんばかりのムーディなテナーサックスが使われていた。これがビートル・ソングの一つだということはずいぶん後になって知った。もう一つの思い出は、自宅浪人をしていた時代にペースメーカーとして聞いていた旺文社のラジオ講座の「英語総合学習室」と言うプログラムで、カーペンターズ、ビートルズ、S&G、ビリー・ジョエル、ボブ・ディランなどの代表曲が教材に使われていた。このプログラムは今にして、私の洋楽の趣味に大きな影響を与えたものだったのだな、と思う。ここまでは愛憎の「愛」の部分だが、「憎」の部分は、中学の時ににわかに周囲の友人の間で起きたビートルズ・ブームに対する反感の思い出に関係している。
 思い出ある歌は大事に歌うべきだ。自らの思い出を冒涜しないためにも。「トットてれび」で「男はつらいよ」を歌った中村獅童や「知床旅情」を歌った…あの役者は誰?(→吉田鋼太郎)、彼らの歌った歌のように、歌詞の意味を一つ一つかみしめて丁寧に音律に載せるのである。昔鼻をツンとさせながら歌った唱歌のように。装飾的な音でごまかすことなく。


_ UKの誤った選択は、単に民族間の問題のみならず、世代間の確執を生んでいるようだ。この問題は国境にジェリコの壁を築くような愚かな発想では避けることができない。私も時には、自分の世代が団塊の世代の犠牲になっているのでは、と疑念をいだくことがある。父母の世代や伯父伯母の世代に憎しみを抱きながら生きるなんて、そんな浅ましい生き地獄があって良いものだろうか。骨肉の争いは酸鼻を極めるものと昔から決まっている。
 今日の日経の「春秋」には、ナチスドイツが巧妙に国民投票を利用した故事を書いていた。もっとも投票はナチスによる厳重な監視など、不正にまみれていたらしいが。心ある人は皆、デモクラシーに絶望することになるかもしれない。民主主義に師ソクラテスを殺されたと見なしていたプラトンのようにだ。


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