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けいりう堂日記

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2016-07-02 [長年日記]

_ [放送大学] ドイツ語。

ドイツ語の学習には使命感がありながらそのために試験対策をすることが厭わしいので、通常試験の無い面接授業で少しずつ、そして楽しく学習しているのだが、そんな履修の仕方がこれでもう3度目になった。放送大学の面接授業には、第九を楽しむというシリーズの企画があり、今日はその発音を学ぶといいう授業に出てきた。実を言うと第九にもベートーベンにもあまりこだわりはなかったが、これを機会にそれらに親しむのも良いかと言う気持ちもあった。
 それでその発音なのだが、良く難しいと言われるrの発音は、私はわりと得意なんだ。フランス語ならった時に、のどちんこ震わせるrの発音練習したので今でもよく震える。が、日本語のアクセントが音の高低でつける「高低アクセント」であるのに対してドイツ語は「強弱アクセント」なので、発声のための力の入れどころが違う。なので、眠くならずにはすんだが結構疲れてしまったのだった。けど、第九の一部だけでも歌ってみることができるようになるのは楽しい。ドイツ語は(フランス語もそうだけど)ほぼつづりで発声が決まってしまうから、初見でも読めるというのが良いところの一つ。ただし逆にルールは細かい。で、今日教えられてびっくりしたのは、「日本語の『かぞえる』の『ぞ』の発音の時には舌が上の歯(茎)の裏に付かないが、『ぞうさん』の『ぞ』の時はくっついている」と言う事実。言われてみて確かに、両者の発声の仕方をひっくり返すとなんかちょっと変だ。ちょっとだけど。まるで、日本語を習ってまだ数年しかたってない外国人みたいだ。面白い!こういうの研究するのはどういう分野なんだろう?そして、仮に人類の舌の先が二つに分かれていたり、唇がヤツメウナギの口みたいな形だったなら、その人類の扱う言語は驚くほど不思議なやり方で発音されるものとなっていただろうな、と思った。ちょうど、旧石器時代の人類が体の構造的に土器のような精巧な器具を造りえなかったように、それによって営まれる文化活動はかなり異質なものとなるのだろう。原理的には、言語や文化の変化には人類の肉体の変化に付随するものもあり得るというという訳だ。 
 授業ではやはり、合唱のプログラムに参加している方が多く、私が隣になった方もそのおひとりだった。3月に発表会があるんだそうだ。合唱は第四楽章なのだが、それまでの1−3楽章もずっと待っていなくてはならないらしい。まだいい。ドヴォルザークの「新世界」はシンバルの演奏がたった一か所あってタイミング外す、みたいな話がある。フランキー堺が「ああ新世界」と言うドラマでやってたのを良く覚えている。フランキー堺演ずるシンバル奏者みたいにそのシーンをずっと待ってたわけではなかったが。というわけで、合唱部分の楽譜を注文したのだ。それが面白かったら、バッハのマタイ受難曲も楽譜取り寄せてみようかな?だいぶ分厚いだろうけど。


2016-07-03 [長年日記]

_ 今日も暑かった。身の回りのことやってたらなかなか受験勉強が捗らない。買い物して来週の食事の下ごしらえしてからお昼食べてヒトこまだけラテン語聴講して夕食作り食べつつ真田丸見てるところ。瓜売り。 山田芳裕の「へうげもの」とちょっとかぶってしまう。なんか最近気になってた松岡茉優が大谷吉継の娘として登場。「モーニング娘。」愛の激しさがyoutubeに上がっており、その熱苦しさといいい苗字と言いこれはどう考えても松岡修造の血縁だろうと思ってしまったり。今回は戦や陰謀とは関係の無いところで人がが生まれたり死んだり。そうこうしてるうちに「第九」の譜面届く。読んでるうちにちょっと口ずさんだりして。覚えると楽しかろう。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

_ きだ [ふろいでしぇーねるげってるふんけんとひてるあうすえりーじうむ 昔はスペルや意味もちゃんと覚えたんですけどねー 年..]

_ けい [rの音をどう発音するかでちょっと揉めてました。結局指揮者に依ると。きだの歌い方は古い発音の方に近そうですね。]

_ きだ [おお、うちの独語の教授は古い発音だったのですねん。 そもそもがだいぶ古い話なのですが、指揮者によって発音が違うとは..]

_ けい [「指揮者による」言い過ぎかもです。現代のドイツ人が普通に歌う時は「エァ」に近い発音だけど合唱のプログラムではノドチン..]


2016-07-04 [長年日記]

_ なんて暑い日になったのだ!だが、夕方どしゃ降りになって夜は涼しかった。今日の夜ヨガはチャトランガ特集。ダメ、二の腕の筋肉がなってない。でも気持ち良かった。体が悲鳴を上げると気持ちいい。MだなーMだなーとは自覚してたが、このままでは真性マゾになってしまう。それもまあいいかも。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ うにゃ [いいかも。]

_ けい [もしかしたらずっと前からそうだったかも。]


2016-07-05 [長年日記]

_ またしてもの「時かけ」(←と書くと一般的な略じゃなく原田知世版を特に意味するような気もするけどまあいいや)ドラマ化。土曜日の実験室〜!仲里依紗版見なきゃと思い続けてもう何年経ったんだ。今回のヒロイン、「花燃ゆ」で高杉晋作の妻を演じた子。芳山和子、では無いんだな。同じ筒井さんの七瀬とはちょっと違って、「時かけ」ヒロインは必ずしも同一人物ではなかったりする。タイムトラベラーはアイデンティティを失うものなのかもしれない。そう言えば筒井さんの新作も寝床で積読になってるな。


2016-07-07 [長年日記]

_ [特撮]アナザーストーリー。

「アナザーストーリー」でウルトラセブンを取り上げている。真木よう子は発声練習ちゃんとやった方が良いんじゃないの。滑舌悪すぎる。番組ではセブンのいいところがいっぱい出てきて、グッと来てしまう。初登場の不思議な青年、モロボシ・ダン。ノンマルトを倒して苦悩するセブン、そして「海底も我々人間の物だ」と勝ち誇る嫌なキリヤマ隊長、最終回でアンヌに正体を告げるダン。実際に巨大なヒーローがこの世界で活躍していて、しかもそれが近しい人間の変化したものであると知った時の衝撃がリアルに感じられる。良い作品だった。それをリアルタイムで見られたことは稀有な体験だっただろう。


2016-07-08 [長年日記]

_ 暑くなってきたので虫を飼うことにした。マツムシ幼虫。ゆうパックで届いた。昨年は成虫をつがいで買ったのだが子供を作る前に無くなってしまった。11匹ほど送られてきた。オスメスそれなりに入ってると良いな、見分けがつかないけど。これでうちの中で見かける虫がゴキブリとハエトリグモと米に付く蛾、小さいハエと大きいハエに加えてもう一種増えたという訳。


_ 帰りの電車で音楽聞きながらふと見覚えのないアプリを触ったら急にBLUETOOTHが切れてiPhoneのスピーカーからそれなりの音量で曲が流れて大いに焦った。現実には3−4秒と言うところだったとは思う。たぶん半径1m位には聞こえただろう。そしてそれを聞いた人の何人かの脳裏には同じ言葉がよぎったはずだ:”『アトムの子』””『アトムの子』”…。そう、山下達郎「アルチザン」を聞いてたのだ。これが石川浩司の歌う『学校に間に合わない』とか楳図かずおの歌う『へび少女』とかつボイノリおの『極め付けお万の方』とかじゃなくて本当に良かった。実際そんな類の曲が山ほど入ってるのだ、私のiPhoneには。


2016-07-09 [長年日記]

_ [放送大学] 第九を楽しむ、発音編。

第二回目。無事終了したので1単位取得できる予定だ。つい語の最初のZを英語風に発音してしまう。最後に、合唱のプログラムをやってる人たち中心にちょっと歌う。さすがに合唱の人たちは楽譜に忠実に歌うことを知っている。だが私もこの時のために合唱部分の楽譜は入手してあったのだ。ほんのちょっとでも楽しいね。ちゃんと合唱に参加すると良いんだろうけどそういうの苦手なんで。


_ [特撮] 祝ウルトラマン50乱入LIVE!怪獣大感謝祭

生放送始まる。こないだもビートルズで似たような企画やってたのであまり期待してなかったんだが見てるとやはりいろいろジンとくるものがある。参加してる視聴者の割合がなんだかシルバー民主主義を反映してるみたいで、シリーズ通じての人気の回や怪獣の上位の中には平成ウルトラマンが一切入ってないんである。昭和縛りなんだろうか?それにつけても、子供の頃弟の人その1がたくさん買ってもらってたソフビ、取っとけばよかったのにな。弟の人その1は幼稚園行かなかった代わりに「たの幼」とかソフビ人形とかたくさん買ってもらってた記憶がある。なぜ幼稚園行かなかったかと言えば、私が入園して途中から行かなくなってしまったから。彼と一緒に「たの幼」の付録作るのは実を言うと密かに楽しみにしてたと思う。
 今キングジョーが出てきたところ。確かにかっこいい、というか印象的なフォルムだ。プレゼンの時間ちゃんと守ってるのはライガーだけだな。練習大事だ。
 私も実は隊員登録して番組に参加してたんだが、途中、登録した録画機で別のチャネルの録画が入って視聴できなくなって別のチューナーで見てた為にしばらく参加できなかった。ピグモン対ゼットンのテレビ紙相撲には参加する。ピグモン押す。
ガーン!ピグモン負けた。さすが死ぬために出てきた怪獣w ゴモラのお腹って松ぼっくりみたい。
 そうこうするうちに終了。あんまり中身なかったなあ。歴代のヒーローさんたちも3時間は結構長丁場だったろうになあ。ご苦労様でした。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ うにゃ [第九合唱誘われてますが、毎週行ける自信がなくスルー予定w けいさんに聞いてもらうために頑張れば良かったかな〜 ]

_ けい [悪く無いです。ノドチンコ震わせる練習できればもっといいですけど。ほら、もっと喉の奥使って!]


2016-07-10 [長年日記]

_ ネットで曲を探していて寝るの遅くなった。小学校の時に、教師の一人が高学年を率いて器楽合奏を行なっていた。私が高学年となった時にはもう何年かは続いていたようだった。一年上の先輩たちの演奏を見て、転校してきた私はその見事さに感動を覚えていた。誰がどの楽器を演奏するかと言うのにも大いに興味があった。片田舎の小学校だったから先生があちこちで不要の楽器を集めてきたりしてできあがった、おそらくはだいぶ不規則な編成だったのだろう。覚えているのはバイオリンが4つ、アコーディオンも4つか5つ、フルート、チェロ、コントラバス、ピアノ、マリンバ、ビブラホン、バスドラム・スネアドラム、ボンゴもあった。生徒が手持ちの楽器を持ってくることもあった。テナーサックスを手に入れた友達がそれだけでチェロからテナーにパート替え、などというのもあって、この友達はもしかしたらチェロが嫌いだったのかな、などとも思ったりした。こんな感じの編成で、生徒だってピアノを習ったことのある子がたまにいたりする程度でほぼ全員素人だったのだ。
 もちろん私も素人の一人で、そんな中バイオリンに割り当てられた。奏法はその楽器を担当していた先輩から後輩に引き継がれる。私を教えてくれたのは少々性格のキツイ女性で、結構厳しく躾けられた。大体わかると思うが1本の弦だけをクリアに鳴らすのはそう簡単ではないのだが、他の弦に弓がふれると「なんてお前は器用なの」的な言葉責めをこの女性の先輩から頂戴するのである。この体験が今の私の性癖を形成している、と言ったらフロイトが喜びそうだがそこは良くわからない。たぶんうぶな小学生の私は素朴に苦痛を感じていたんだと思うのだが、そのうちそれなりに弾けるようになるともちろん演奏は楽しいものになった。
 先輩たちが担当してた年には先生がエレキギターで参加して「ベサメ・ムーチョ」なんかやっていた。私の年は小学校の開校70周年記念の年にもあたっていたので、そのための演奏会なんかもありずいぶん先生も腐心したことだろう。大先輩たちがやってくるというのもあり、昔の唱歌や軍歌、懐メロなんかも織り交ぜたメドレーを呼び物とすることにしたのだった。先生自ら作曲した序曲に続いて「めだかの学校」「兵隊さん」「鎌倉」「児島高徳」「戦友」「国境の街」など、全て先生が出来合いの編成に合わせて編曲したものを、休日を返上して練習した。後世の性癖への影響はともかく、今の私の音楽の趣味がこんな体験に基礎をおいていることは間違いない。私のインデックスには書生節だの昭和のメロディだのがプログレやトラッドやシャンソンや印象派なんかと平気で混在している。バイオリンはその時の2年間程度でその後ほぼ触る機会が無くなった。会社に入ってから1年ほど習っていたが、その頃は今よりも仕事熱心だったので忙しくなった時期に止めてしまって今に至っている。リタイア後にやることの候補の一つになっているのだが、私たちの老後がそういう習い事を悠々やれないほどに貧しくなっている可能性は高い。
 そんな思い出の強い器楽合奏の演目の中に「ソナタ ハ短調」と楽譜に書かれていた曲があった。バッハの作曲と言うことだったのでそう覚えていたのだが、後年その曲を探そうとしてもハ短調のソナタにそれらしき旋律を持つものが見当たらない。だが今日の未明にそれらしきものが見つかった。BWV1020。ところがそれはソナタではあってもト短調であり、チェンバロとフルート(或いはバイオリン)のためのソナタの第一楽章だった。調性が異なっていること以上に驚くべきことに、この曲はBWV1020という Bach-Werke-Verzeichnis(バッハ作品主題目録番号)が与えられているが今では偽作とされているものだったのである。いろいろ驚くことはあるが、私のならったのがハ短調だったことは、当時使っていた楽譜に変化記号(記憶ではシャープだったがたぶんフラット)が三つついていた記憶、市の催しに参加したときの演目が「ソナタハ短調」で楽譜にも”C Moll”と書いてあったような記憶を併せるとかなり確度が高い。演奏用の編曲が後世なされたのか、あるいは同じモチーフで異なる曲があるのかは私には今のところわからない。ただネットで聞いたBWV1020は、いくつかのところで私たちのあの時習ったものとは異なっているように思われる。そのこともどちらの仮説がより正しいかの決め手とはならない。まあそのうちまた何かがわかるかもしれないのだ。今の問題は、このBWV1020を含む作品集のCDを買い求めるかどうかと言う金銭的な問題にただ尽きる。

_ 追記:書いたのを読み返してて気づいたが、旋律に違いがあるのは、もしかすると、小学生が演奏しえないために先生が即興で書き直した可能性がある。偽作とはいえ演目には良く取り上げられる名曲であるが、小学生が正確に弾けることは期待できないからである。記憶の旋律と探し当てたBWV1020のそれを比較するとそのことがわかるのかもしれないが、それを確認するためにはピアノの双方の知識が要ることだろう。



2016-07-11 [長年日記]

_ 1年前にアップした母屋のトップページが一年回って丁度良くなってしまった。
そういうわけで、永六輔さんとザ・ピーナッツの片方(伊藤エミさん)の訃報。昭和のテレビを彩った人達も一人また一人といなくなっていく喪失感。


2016-07-12 [長年日記]

_ だいぶ夏っぽくなってきてしまった。頼みにしていた送風服は、音が気になるしそれなりに重たくて暑いので正直使えない。炎天下で作業するような人には良いかもしれない。今年はいろいろと暑さ対策を工夫する。服の上からスプレーする冷却剤、たたくと冷えるヒエロン(30分しか持たないので日常的連続的に使用するのには不便)、でも一番いいのはやはり100均で手に入るような保冷剤を凍らせて手ぬぐいで包んで皮膚に充てることのようだ。これも比熱の違いでもつ物ともたない物とある。この年になって実感するのだが、寒い方が暮らしやすい、と思う。コーヒーもおいしく飲めるしな。さ、ヌルい風呂に入って寝るかな。


2016-07-13 [長年日記]

_ 「ここ、ここよ〜ん。ここに俺がいることを忘れないで欲しいのよ〜ん」←資料なし

_ 正解:「ここ!これ・・・・・・・・・・ここよここ!ここにちゃんとおれがいるのを見おとさないでほしいのよぉ〜〜〜ん」結構違ってたな…。


2016-07-14 [長年日記]

_ 人を信じない、ということがかえって信頼関係を作る、ということ。これは私にとっては大きな発見なのだが、ヒトはすでにそのことを良く知っていて十分にそのことを活用しているのかもしれない。これに気付く前の自分は、ゆがんだ理念に支配されていた。性善説に立つことが正しく、どんなに不利益を被ろうと人を信じるべきだ、と。すべての人と仲良くすることが正しいのだ、と。中途半端な形で(と言うのは、それを教えるに足る教師がほぼいない・いなかった、ということだが)導入された道徳教育のせいなのか、父祖より続いた教えのせいなのか。あるいはさまざまなメディア、とりわけテレビとマンガによって安直に作られたドラマの影響なのか。これはある時点までは社会規範として有効だったことかもしれず、まさに社会学はこれに応えるべくして在ると思う。
 かかる信頼の在り方は、”かくありたい”という理想としては良いかもしれないが、厳しい現実の中でもがき試行錯誤していて、重い肉体をまとい本能やホルモンの分泌に支配されている実在のヒトという生物の不完全さを全く無視した盲信と言える。別に進んでいがみ合えばいいと言うのではなく、その人についてほとんど何も知らないのにその人に全幅の信頼を寄せるというのは理にかなった行為ではないということだ。そんな風な一方的な信頼を押し付けられる方だって迷惑なことだろう。そして押し付けられた信頼に反した行為をしようものなら「あなたのことを信じていたのに」とか「そんな人だとは思わなかった」と、まるでその信頼を押し付けられた側に非があるような物言いをされるのだったら「信頼される人」とはなんと哀れな存在なのか。
 ヒトの本性はもしかしたら善であるかもしれないが、その善を完全に体現できるほど賢明であるとは限らないということは前提としていい。ヒトを信頼しようと思ったなら、彼を良く観察して、彼が何を好み何を嫌うのか、彼には何ができて何ができないのか、彼の言動はどれほど一致しているのか、などを理解するべきだ。そうすれば彼のどこが信頼できてどこが信頼できないのかを見極められるだろう。そして信頼に足る面においてのみ彼と関われば良い。もしもそういう点が全く見いだせないならば、不採算事業から撤退するように関わりを断ち切ることもできるし、あるいは覚悟を決めて彼の成長を促す重い責任を果たす道を選ぶこともできる。この点で野良猫との距離を縮めるためのやり方と全く変わるところが無い。うかつに手を出すと洒落にならないほど痛い目に合うことを知っていたなら、たとえ引っ掻かれたところで「信頼を裏切られた」とは思わずに済むというものだ。もっともすべての”猫好きを自称するヒト”がそんな覚悟を持っているとは限らないが。
 裏切られることを前提として、その上でどこで協調することができるかという均衡点を探りながら他人に囲まれて生きて行くこと。これは無縁社会と言われる現在にあってはほとんど唯一で確実な「絆」の在り方と思える。身内や友人を大切にするあまりそれに属さない他者への迷惑を思わないことを「絆」と”呼んでみる”ことよりはよほどデモクラティックで実害が少ない。もしかすると、そうやっているうちに互いの距離が次第に近づいていくのかもしれないが、甘い期待はしないことだ。信頼関係は血縁や住まいの近さや接触時間によって形成されるのではなく、それらは、その人の信頼すべき面と信頼できない面とに関する知識が増えていくのに有利な条件であるに過ぎない。ヒトは基本的に裏切る動物である。この世界が苦に満ちているという仏教の前提と同様に私を安心させるもう一つの重要な前提だ。


2016-07-15 [長年日記]

_ 世界が苦痛に満ち溢れているとはどういうことなのだろうか?苦痛を感じるということは、それが肉体的にであれ、精神的にであれ、望ましくない状態に置かれているということだ。私が”世界は苦痛に満ち溢れている”と考えたとき、今ここで暮らす世界とは別の、理想とすべきAnother worldがあると信じたがっていることになる。
 これは矛盾だ。なぜなら、世界がもともと苦痛に満ちているという性格のものであるなら、そこに生まれてそこに生きている私は、なぜそこに適応するように生まれてこなかったのだろうか。
 本当のところは知れないが、二通りの考え方が可能だ。一つは、Another Worldが実在すること。もう一つは、ヒトはそもそも世界に適合するように造られはしない、ということ。前者は、それが過去には存在していて失われてしまったのではないかと言う数々の伝承と整合的だ。だがもしもかつて実在したことが無かったとしても理想的な世界をイメージできるのだとしたら、それは重大なことだ。なぜならそれは実体と異なる・あるいは実体と併存する・あるいは実体への反論として、イデアがあるということを示唆しているからだ。いや、ある、と思わされているだけなのか。
 自分がこの世界に適合していないというのは極めて信憑性が高い。だがこの世界に生きることに苦痛を感じているのはどうやら自分だけではないようだから、そして「誰にでも悩みはある」という紋切り型で時として私を傷つける慰めの言葉がもしも真実であるならば、誰もこの世界に適応しているものはいないということになる。何故なのだ?
 思うに、それが遺伝子の企みなのだ。なぜなら世界の状況は常に変わる。今のこの世界に十分適合したものにとっては、変化した”次の世界”は望ましい世界とはならないだろう。だから絶えず変わる世界にあってそれでも生存し続けるためには、常に十分適応できていない状態のまま次に備え続ける必要があるという訳だ。十分適応できていない状態を続けていくことは確かに苦痛に満ちた生き方だろう。仕方の無いことだ。私の祖先は遠い昔にコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹から前者を選んでしまったのだ。発芽して成長して花を咲かせて散ることを苦汁を飲み込みつつ続けていく他はない。苦痛に身悶えした挙句に咲かせる花はさぞかし凄惨な色合いで薫り高く咲き誇ることだろう。確かに一つの見物だ。


2016-07-16 [長年日記]

_ SoundHoundに向かって鼻歌を歌うと探していた曲が見つかる。それがうまくいくと大変うれしい。探し物に巡り合えた喜びと、自分の鼻歌が”通じた”という喜び。音声データを検索する技術はどうすればもっと使いやすいものになるのだろう???
 そんなわけで今朝見つけたのはGrover Washington Jr.の”Just the two of us”。もっとも歌ってるのはBill Withersと言う人。ちょっと歌詞を聞いた感じだと、良くあるアメリカのラブソング。改めて読んでみると、全くその感じ通りで、この時代の安穏さを良く表している。きらめく雨粒がどうしたとか空に城を作るとかいうたわごとの後に、泣いてる時間はないとか二人だけでもやればできるさとかいささか恫喝めいた口説き文句が続く。つまりどうでもいい歌詞。良い歌の中で歌われる歌詞はつまらないものが多いということの良い例証の一つだ。曲の邪魔にならないという意味で良い歌詞と言えるのかもしれない。邦題:「クリスタルの恋人たち」…”クリスタル”と言う言葉がすでに安っぽいものになってしまっているせいで安っぽさがさらに倍増している。そういうのが喜ばれた時代だったんだっけ、1981年の曲。田中康夫氏のそれは1980年。私は読んでないんだけど蛭子能収さんがそれをバカにした漫画描いてた。突然町にクリスタルの人があふれ出して、(と書くとバラードの「結晶世界」みたいだがだいぶ違う)というのがあった。あの頃のガロ好きだった。蛭子さんは描く漫画と実物の感じがものすごいギャップだった。「なんとなくピンピン」というのもあったが今アマゾンで買おうとすると6000円。やめてよw


_ 今朝は涼しくてホットコーヒーが旨い。札幌で買ってきた可否茶館のフレンチロースト。いろいろ新しい店も出てきてるが結局ここのこれが今一番好きだ。これに比べると神田伯剌西爾の仏蘭西ぶれんども少し霞む。どっちも通販で買える。私は今朝可否茶館のフレンチ200g注文した。私の自宅から出かけるとするなら、可否茶館は当然だが神保町の神田伯剌西爾も、交通費より送料500円の方が安くつくし、店が休みになってることはほとんどないのだが豆が切れてたり来店しても満席だったりと言うことは結構あるので、本見たりカレー食べたりするついでが無い時は通販で頼むことが多くなった。小宮山書店の仲通側、のれんをくぐって地階に降りる神田伯剌西爾に行ったならば、一度は囲炉裏を囲む席に座って来客の残したノートの書付を眺めてみると良い。ただそちらのエリアは喫煙コーナーでもある。奥の方の禁煙ルームはちょっと席が少ない。モンブランとセットで頼むのは好きなパタン。


_ [特撮][テレビ] ニッポン特撮遺産。

始まってしまった。19:30−21:00。また小島瑠璃子が出てる。うーん、悪いけど見飽きたから。お、ケロニアが木端微塵になった。スペクトルマン見たいなあ。今、爆破効果の変遷やってる。仮面ライダーの炎を上げる爆破シーンはガソリン。だが現在のスタッフの再現性がいまいちだ。V3の爆破シーンやってた人がそのシーン見ていて「火薬の量が半端ない。今では考えられない」とか言ってる。これはセメント爆破と言う効果で、土を飛ばすのでは分子が(粒子が、ということだろう)大きくて煙が旨く上がらない。そこではったい粉を使うと風に流れて宜しくない。そこでセメントの粉を使ったのである。爆薬の上にセメントの袋を置いてうまく踏み固めると、「角(つの)」と呼ばれる鋭角上の煙が立ち上る。おお、やはりレジェンドがやるとすごくかっこいい煙ができるもんだな!こういうのを知ってから昔の特撮見るのは良いと思う。続く。
 続き。読売の記者・鈴木美潮さん登場。こういう人がいたのか。「飛びの佐川」さん登場。0.25ミリのワイヤを3点吊りでクレーンで吊ってワイヤを操る、実に13年ぶりに再現される「操演」である。ピアノ線には空の色の絵の具を塗る。スモーク炊いて雲作ったりするのも凄い。宙返りはカメラも機体も90°回して撮る。ルーカスのチームは操演を真似できなくてモーションコントロールカメラを開発したんだとか。そしてスペクトルマン登場。音楽なつかっしい!つづく。
 藤岡さん登場。藤岡さんが怪我して佐々木さんに代わったのは有名な話なんだが、バイクに乗って風を受けて変身する原理なのに佐々木さんはバイクに乗れなかったために変身ポーズが編み出されたのである。復帰した藤岡さんは変身ポーズやるのに照れちゃったとか。ライダースナックのライダーカードの話はやっぱり出ちゃうんだな。「絶対にあきらめないという強い心、覚悟が…」わー藤岡さん語りだしたw ミラーマン、アイアンキングなどとなめるように進んでこないだのウルトラマンの特番でも出てきたスぺシウム光線の特撮。飯塚さんたちの手描きです。ヒーローの光線は直線、悪役の光線はゆがんだ光線。新橋駅のおじさんたちはスぺシウム光線と言ってみんなワイドショットの手の形をやるのが俺には不満だ。フィルムは1秒24コマだが、ビデオの場合は1秒30コマになっているのだそうだ。
 機電、という言葉は初めて聞いた。キグルミなどで部分を動かしたり光らせたりするのがそれ。口の開閉などもそれにあたる。シーボーズの口の動きに哀愁を漂わせるのもこの技術による。バルタン星人の目が回るのは、ランプそのものを回すのではなくて、複眼を模して光る複数の光が眼の中で位置を変えていくのだ。なんて細やかなんだ!キャイーンビーム、すごく良かった。終わり。


2016-07-17 [長年日記]

_ [特撮] 動物戦隊ジュウオウジャー

久し振りに見る気がする。アムの穿いてるのって”ちょうちんブルマ”だな。可愛いけど”俺”はそれが嫌いだ、ちょうちんブルマ。キュロットスカートもそうだが、一瞬ミニスカートかと思った直後に裏切られたような気分になるから。男ってなんでそこに執着してしまうんでしょ。上野千鶴子さんの本にはそういうことが書いてあるんだろうか。このことはちょっと真面目に語られるべきことだと思いはじめている。地位も名誉も知名度もある者がいともたやすくこの小空間にホイホイと引き寄せられてきわめて多くの物を失ってしまうことの異常さは何なのだろうか。それがちょうちんブルマは許せないがミニスカートは大歓迎、という”俺”の暗い情熱とは強く関連しているはずだからだ。社会学はその行為の社会的意味を考察するであろうが、それよりももっと生物学的な立場、たとえば動物行動学や内分泌と心理の関連と言った方面からの説明が試みられるべきと思うのである。そして私がそう想像できるからにはすでにそのようなアプローチが誰かによって為されている可能性が高いはずなのである。なんか全然特撮の話してないな。”世界の王者”(←大きく出たな!)ジュウオウワールドこと門藤操がかなり面倒くさい奴なのだが、”密林の王者”ジュウオウエレファントことタスクと急速にカップリング形成するという腐女子号泣の回。。。ロケ地はたぶん三浦半島の毘沙門洞窟あたり。仲間についキツくあたってしまうのを後悔しているのになかなか直せないタスクとそれを気づかせてくれるセラのやり取りなど、このシリーズが変わらず子供へのメッセージを発し続けていることは嬉しく思われる。


_ [特撮] 仮面ライダーゴースト

女子高生とその父親(井田國彦という俳優が演じている)とガンマイザー(説明面倒だがショッカーでいえば怪人に相当すると思っていい)との心が入れ替わって娘の心→父の体 父の心→ガンマイザーの体 ガンマイザーの心(?)→娘の体、と言う状態でスタート。先週から興味深く見てたのはこの娘の心を持った父の体(いちいちめんどくさいな)を演じる井田國彦さんが表情から走り方までいちいち女子高生になりきってたところ。で、ドラマ後半元に戻ったらなんかすごく滑舌が悪くて、これが本来の状態とはとても思えなかった。実はまだ入れ替わったままだったんじゃないのかと。


_ [テレビ] BSアンテナ調整。

[テレビ]のカテゴリで書くのはちょっと変だけどここに書いた。以前から、健やかに成長するムクロジの葉影で受信が邪魔されることは書いてたが、ついに屋根の上に新しいのを設置した。この作業のためにチューナーを入手しておいた。屋根の上からテレビを覗くと妖怪しょうけらみたいになっちゃうからな。で少し調整してたら突然受信状態がわからなくなってしまう。チューナーがもう壊れたのかさすがに安物だったとがっかりしたが、諦めきれずに確認を繰り返す。屋根に上るにはベランダを経由するのだが、詳細な事情は割愛するがベランダに出るためには外から梯子をかけて登らねばならない状況になっている。その上下を何度か繰り返すから汗だくだ。虫よけスプレーは多少効いているようで、1か所しか刺されてない。うちにやっと大事な事実に気付いた。戸建に棲んでいるにも関わらず、アンテナに電源を供給する設定になっていなかったのだ。これで今までなぜ受信できてたかわからないのだが、作業続ける。チューナーのおかげでアンテナの向きの調整は非常に簡単だった。まあそういうことで、さしあたりムクロジが屋根より高く成長しない限りは枝刈りしなくて済む。あとは現在更地になっている南側に家よりも高い建物が建たないことを望むばかりだ。ああ疲れた。汗かいた。今日はもう極力動かないで過ごす。


2016-07-18 [長年日記]

_ 日付変わりッツひと箱あれば。来週から放送大学は試験期間に入る。案の定だけど番組の視聴がまだ半分近く残っている。3連休なのはありがたい。ラテン語がチンプンカンプンだ。試験受けるの来期にしちゃおうかななんてちょっと弱気になったりして。まあ諦めるのは直前でいい。それまではあきらめないことにしよう。いつものことだ。あきらめるときが来たらすっぱりとあきらめられるように、今はあきらめない。プレミアムシアターで男がパンツ一丁で歌歌ってテーブルの上でセックスしようとしている。NHK-BSはもはやNHKじゃないな。ヘンデルの「アグリッピーナ」、舞台を現代に置き換えるとこうなるのか。本来の演出も視て比較しなきゃいけないってことなのか?そんな暇あるのだろうか、この先の人生においても。しばらく消えてたがまた出てきたパンツ男。動きによっては穿いてないように見えるときがあるから安心できない。
 休みになると途端に新聞を読まなくなるのは問題だ。朝食食べたらまず新聞読むかな。でもなんか時間が勿体無い気がするんだよな、家で新聞読んでると。手を動かしてやるべきことがたくさんあるせいだと思う。録画の整理とか洗濯とかアイロンがけとか。そうだ、このあいだヤフオクで1000円で古いナショナルのスチームアイロンを入手した。ずっしりと重たくて滑りが悪いのだが、少し厚手のチノパンなんかがピチッとかかるので気持ちいい。昔のアイロンってこうだったなあ。かけにくいなあ、なんて思いながらかける。アイロンがけは結構好きな仕事だ。もっともうもうと湯気があがればいいのに。
 「アグリッピナ」ってなんか聞き覚えあると思ったら、ちょっと前の時間に聞いてた「攻略!英語リスニング」の題材に出てきたんだった。ネロ帝の母。


_ 夜中3時ころ目覚めてトイレに立ち、なんとなくラジオをつけて寝た。ラジオ深夜便の3時台はいつも少し古い日本の曲を流している。夢うつつで聞いていたそれは岡林信康であり、「山野ブルース」が流れているときに私は夢の中でその岡林信康さんが、どこか木造の民家が散在している北国の片田舎で歌っているのを見た。雪の降り積もるに任せてヒゲ面が真っ白だった。私がフォークソングと出会った頃は拓郎も陽水ももうすっかり人気者で、岡林さんはすでに「フォークの神様」と呼ばれていた。あの頃、ボブ・ディランが神格化されていたように、日本のフォークシンガーの中にもそういうカリスマを見出そうという指向性のようなものがあったように思う。その指向が向いた先が岡林さんだったり斎藤哲夫さんだったりしたのだろう。実際、夜のトランジスタ・ラジオから流れてくる「グッドタイムミュージック」や「悩み多き者よ」は静かな説得力を持って耳に届いてきた。その頃の北海道で育った私には被差別部落問題の存在など全く知ることもなかったから、FMで聞いた岡林さんの「手紙」は、ドラマにありがちないわば”薄められた悲劇”の一つにすぎないと漠然と感じていただけで、単純に良い歌だと思って覚え、時には何の邪気も無く周りを気にすることも無く口ずさんでいたことさえあったかもしれない。そのような問題の存在を知らされたのは大学に入って本州から来た人々との交流があってからのことで、よりはっきりと意識したのは入社時の導入教育で篠田三郎と日色ともゑの出ていた「故郷の空」という映画を見たときだった。カムイ伝を読んだのも入社して間もない頃と思うので、この分野に対する私の意識は今に至るまでいささか低いままであると思う。「故郷の空」は「遠い落日」「ハチ公物語」などの神山征二郎監督の手になる1988年の作品で、企画は東京都と都の教育委員会とのこと。DVDなどは作られていないらしく、これを観ようと思うと、たとえばどこかの教育委員会に申請してさらに16mm映写機を調達する必要があるように思われる。小学校の頃に学校の教材として見た映画なんかそんなの多いだろうな、と思って、一つ覚えている作品を探してみた。「ボクは五才」というのがそれで、1970年の作品だ。15年くらい前にテレビで放映していたような記憶もあるがあてにはならない。これは父親を訪ねて高知から大阪まで、自分の記憶と以前一度訪ねたときに自ら描いたスケッチブックを頼りに(!)無銭旅行するというものだ。驚くべきことにこの作品は今年の8月に角川からDVDが出る。なぜ?私のような懐古趣味のユーザーを狙っているのか。見たいな。左卜全とかミヤコ蝶々とか出てくる。うわ、すげえ見たくなってきた。
 結局眠りの浅いまま6時台に床を離れる。NHKラジオの番組は「まいあさラジオ」に替わっている。いつもは5時台を聞くか聞かないかで出勤となるのだが、この時間に聞いてみると新鮮だったりもする。この番組はリスナーからの投稿を受け付けているのだが、早朝聞いていると、淋しい(と自覚している)リスナーが個人的な悲しみを、抑え気味の文体で、しかし切々と訴えてくるものがたびたびあってハッとする。投稿は必ずしも独居の老人からとは限らず、たとえば10代のリスナーが「今日空手の昇段の試験なのでプレッシャーあるけど応援の言葉があれば頑張れそう」なんていう投稿や、「柿が実をつけたが一本の木に100個もなっててどうしたらいい?」のような相談が寄せられる。そしてそれに対して別のリスナーが、少し遅い時間帯にまた投稿をするのだ。これもまた無縁社会にあっての新しい絆を考えるヒントになるのではないかと思う。深く分析してないがSNSやネットの投稿とは違う機能を持っているのだろう。公共の電波を私的な問題で占有している、という厳しい見方もありうるが、番組で取り上げられるということは内容の是非に関わらずそれが一つの意見として認められたという満足感につながる、ということもあるだろう。そしてネット上で見られるコミュニティと大きく違うのは、そこに参加する人々の年齢・性別・職業・居住地域という属性のきわめて多様であることだ。特に多様な年齢層が同じ意見に対してそれぞれの感想を持つきっかけになってその応答がある程度リアルタイムであるということはこの種の番組の大きな特徴となっている。ただこれも昨今の情報通信技術の進展に依存することで、それ以前は別のリスナーからの反応は次回の放送まで待つ他なかった。投稿に対しては共感を表わすことも無視することも反対を述べることも自由だ。不適切な表現は番組スタッフによっておそらくは注意深く除かれているという保障の仕組みも備わっている。またネットからの投稿が可能なので投稿に対するバリアは(ハガキ職人をやることに比べれば格段に)低い。一度に取り上げられる数は必然的に少ないが、このようなつながりは絶えることが無いのではないか。


_ [音楽] BWV1020(偽作)。

先日、J.S.バッハの作品ではどうやらなさそうと判明したバッハのソナタ。フルートソナタとして演奏されることが多いようなのだが、比較的新しい記憶として、バイオリンの演奏を覚えていた。どうやらその記憶は捏造されたものでなく、少なくとも一時期、もしかすると現在も、アルテュール・グルミオーの演奏になるCDを持っていた、あるいは持っている。ただ、現存していたとしてもわが魔窟の奥深くに眠っているようなので、DECCAの安いCDを改めて求めたらいつの間にか郵便受けに入ってた。早速聞いてみると確かに聞き覚えがある。同梱のライナーノートにはこの作品が偽作であるという疑いを示す言葉は何一つないが、帯には「真作かどうか疑問視されている…」と書かれている。おそらく真の作者についての研究は今も途上にあるのだろう。たとえば10年後、このCDがまだ増版されていたなら、その時の帯には何が書かれているのかには少し興味がある。もちろん、作品の良し悪しと真作か偽作かということとには今は関係が無く、この曲が好きだ。フルートの技法を用いてこそ真価が発揮できるような書き方をされているとのことだが、グリュミオーの演奏を聴いている限り、その説の真偽こそまずは吟味されるべきではないかとも思えてくる。


_ [新聞を読んで] 日経・私見卓見

もうすぐお昼。今日の横浜は曇りがちで蒸し暑いようだ。録画の整理しながら新聞読んでる。やっと経済教室のページまで来たが、最近このページには「私見卓見」という記事が書かれていて、「投稿や寄稿を通じて読者の参考になる意見を紹介」とある。たまにはいいこと書いてあるなあと思う記事もあるが、大抵は「私見」に偏りすぎていて「卓見」と見えるものがあまりに少ない。ただのつぶやきなのか、私見だが是非聞いてほしいことがあるというのか、誰に向かってどんな意図で書かれているのかが読み取れない。これを含めて「経済教室」というページを構成するのは適切なのだろうか?確かに小学校の教室なら、理に合わないことを声高にわめいて学級を崩壊させるような意見もあり得るだろうが、このページがそんな教室で会って良いはずはない。新聞代は高いのだ。少し前に「領空侵犯」とかそんな名前で専門外のことについての意見を紹介するという趣旨の記事が載っていたこともあった。それも自分にはあまり肯定的に感じられなかったが、そのうち終わってしまった。私見は別の欄でやってほしい。たとえば日曜版の素人川柳なんかの載ってるページと同列で十分なのではないか。


_ 部屋が冷えない。ラテン語の講義さらに1つ受講してから祝日特別メニューのヨガに行き、帰宅してさらに2つ受講。あと2コマで一応全講義を聞いたという事実だけはできることになる。が、ちょっと覚えることがありすぎて大変だ。どうしようかな…。眠い目こすりつつ机に向かっててアイスコーヒーを盛大にこぼした。幸いキーボードは被災しなかったがマウスが濡れてちょっと怪しい動きをしてる。寝るかな。暑いわ。


2016-07-19 [長年日記]

_ エマーソン、レイク、パーマー。エマーソンはキース。レイクはグレッグ。じゃあパーマーは?アーノルド。違う、カールだ。彼の名だけ全く記憶してなかった。何故だ?


_ [放送大学] ラテン語の世界。

今日も何とかひとコマ受講。あとひとコマ。でもホントわかんないわ。どうやって験勉するかな。「験勉してる?」「親指大ね」←小林よしのりの「東大一直線」に出てきたギャグ。験勉=受験勉強。昔検便はマッチ箱に親指大のmerdaを入れて持って行ったことに由来する。もう全然わからない言葉になってるな。
 これまでの受講の記録をちょっと眺めてみたら、面接授業で受講し忘れたりどうしても受けられなかったものなんかが結構あって「否」の数が結構目立つ。なんか勿体無いな、受講料、1単位に付き5000円かかるのに。まあこういうのも含めて教育にはお金がかかるんだと考えるしかない。
 新しいマウス買ってきた。快適だ。最初の「ゴジラ」がNHK-BSで放送されている。河内桃子が若々しい。「カトリック教会がお送りする、太陽のほほえみ!暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう。」どうだ、わからないだろうw 今ウィキペディア(今年も少しだけど醵金したよ。ジミーから感謝のメールが来た)で調べたら桃子さん170cmの長身だった。若い頃の映像もっと見たくなった。


2016-07-20 [長年日記]

_ [放送大学]ラテン語の世界

一応Gradus15を聴講。まだ社会学が残っている。これを土日で完全に終わらせる必要がある。実は今週末から来週頭にかけたまた3連休。それなりに受験勉強の時間はある。


2016-07-21 [長年日記]

_ 謎の芸人・永野はなぜ突如ブレークしたのか

と言う記事が東洋経済On Lineに出てて(読んだのはヤフーニュースだけど)ほくそ笑む。面白かったのは後ろの方。新規な商品を市場で受け入れてもらうためにはイノベーターとアーリー・アダプター併せて全体の16%に加えてアーリー・マジョリティと呼ばれる層を取り込む必要があるが、アーリー・アダプターとアーリー・マジョリティの間にはChasm(溝。と言ってもちょっとやそっとの深さではなくて裂け目とよぶべきものらしい)があってそこをどう越えるかが問題、ということ。私自身は、youtubeでラッセンのネタをやる前から好きだったので、アーリー・アダプターの部類に入っているんだろうと思う。なんか人柄がイイみたいで、ももクロChanのお化け屋敷の回には必ず脅かし役で出てくる(大抵はお猿のマスクかぶってる)のにももクロメンバになつかれてるのをみてにやにやしてたりする。何度か言ってるけど、梨本勝の寝汗を拭くネタと本当のターザンの声のまねが好き。


2016-07-22 [長年日記]

_ 東北名物。

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奥州街道歩いてた時を思い出してつい買ってしまったよ。パパ好み、8袋入りで800円くらいした。結構銘菓だったのだな。


_ 昨日からメイプル超合金のカズレーザーにちょっと注目してる。見てるうちになんか誰かに似てんなー誰かに似てんなーと思ってたんだがやっとわかった。渥美清。異論は認める。ハイ、ブパパブパパブパパー♪

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ うにゃ [似てるかも! ]

_ けい [賛同も認めます。ジークジオン!]


2016-07-23 [長年日記]

_ オホーツク高気圧の影響で気温低め。ちょうど可否茶館のコーヒーが届いたのでフレッシュなのをいただいてるところ。そうこうするうちに昼が近い。


_ [テレビ] 水曜どうでしょう

ついに2013年のアフリカのシリーズを視終わって、ひとまず第1回から視られるだけの分をすべて終えた。この後もあらたなシリーズがあり得るんだろうか。今年の1月にミスターがツィッターでいつとは言わないけど必ずやると書いてたらしい。期待している。一生どうでしょうして欲しい。
 ところで、私はDVDレコーダーを入手して以来膨大な数の映像資料をストックして(しまって)いて、おそらく生きている間に全てを見切ることはできないだろうと思っている。それでいいのだが、その時その時の必要に迫られ(?)たために日々見ていく他に、それらのストックを大まかにいくつかのカテゴリに分けて、そのカテゴリをローテーションで順にまとめて見ていくといういわばシステマティックな(w)視聴の仕方を並行してきている。今日までは、その選ばれたカテゴリが「バラエティ」であったわけだ。バラエティ縛りがいつ始まったかと言うと2015年2月14日だったのである。なんと1年半ほどかかったのだ。
 さて、バラエティの次のカテゴリは何に決めてあるかと言うと、「自然」。前回2012年4月29日にNHK-BS「ワイルドライフ」第1回の録画を見ていたと日記にあった。この番組は現在も放映中で、200回を超えている。私のライブラリには#4、#8など結構欠番が多い。てっきりNHKオンデマンドなどで見られるかと思ったら、どうもそうでもないらしい。どういうことよ。NHKには感服するところもあるが不満なこともいっぱいある。ネットバンクでは口座振替ができないなんて今どきどうなんだ。やむなし、欠番はそのままにしておいて、どうしようかな、20回分くらいは見たいな。「自然」のあとはお待ちかね「特撮」カテゴリとなる。2013年あたりに「仮面ライダー」をぶっ通しで見て以来となる。順番的にはウルトラシリーズかな。50周年と言うこともある訳だし。迷うのでいっそQとマンとキャプテンウルトラ、3シリーズ一気に行こう。キャプテンウルトラをウルトラシリーズに入れるのは多少無理があるのは承知している。何も言うな。


2016-07-24 [長年日記]

_ サイってお肌が敏感なんだって?初めて知った、勉強になる。今日も操はめんどくさい奴だったが、アムとセラにおだてられてすっかり調子に乗りはじめて、なんとデスガリアンのプレーヤー(早い話が怪人)によって爆弾に変えられたビル一棟を釣竿みたいな武器(ジュウオウザガンロッドと言う。武器の名前もめんどくさいやつだ)で一本釣りして遠くにほうり投げちゃうのだ。デスガリアン・プレイヤーが「できるわけない!」と言う(俺もそう思う)と「だがしかし俺ならできる!」と言ってやっちゃうんである。こうやって操をコントロール下においてしまうアム。出てきたときからあざといあざといと思ってたがこんなに”悪い子”だとは思わなかったぞ。嬉しいぞ。それで一度やられてしまうプレイヤーは、デスガリアン・オーナー(早い話が首領)であるジニスの秘書ナリアによって巨大化させられてロボット戦に突入するわけだが、プレイヤーの体には大きなメダル投入口がついていて、そこにこのナリアがコンティニューメダルと呼ばれるものを、「ジニス様の細胞から抽出したエネルギーです。(ここでメダルにキスする)無駄遣いせぬよう励みなさい」と言って挿入する。そのへんの下りには毎回なんかなまめかしきものを感じていたのだが、今回見ていて気付いた。メダル入れた後でナリアは投入口のスリットを指でテロッとなぞるのである。なんと芸がエロ細かいんだ!感動した。そういうわけで敵も味方も女性に支配されながら戦うのである。そういう世の中のからくり的なところも子供の皆さんに教育してしまうんだな。次回、「巨獣ハンター」。原作は安永航一郎だぞ、きっと。ひゅーほほほほほ…。


_ [特撮] 仮面ライダーゴースト。

なんかそろそろ終わっちゃいそうな感じだな。今第41話。通常あと二月くらいで終わるのだが、なんか間が持たない感じがしてる。今日の大沢ひかるは眼鏡のツルと靴とスカートを赤で揃えてる。御成が最近なりを潜めてるのはなぜなんだ。


_ [音楽][テレビ] 題名のない音楽会、イーハトーブ交響曲

通常スクリーン投影でなされる初音ミクさんの演奏はこの番組ではCGで合成されて行なわれている。アンコールで「リボンの騎士」を歌えばもっと良かった。AIとオーケストラの共演するこの交響曲は、やがて歴史的な取り組みとして語られる日が来るに違いない。そして、おそらく50年とたたない未来においてこの映像を見た人たちは、この種の音楽(それがその時代に何と呼ばれているかわからないが)は初期にはこんなに素朴な方法で表現されていたのだと知り、冷笑めいた笑みを浮かべているのではないか。富田さんは死の間際まで作品を作り続けた。才能は及びようもないが、こんな風に生きられたら幸せだろうと思う。


2016-07-25 [長年日記]

_ 日付変わリサリサと呼ばれているっ!社会学入門、一応受講終了。何を言ってるかは大体理解した。でもそれと試験に通るかどうかとは別だ。試験、今週。単位取れるかどうかが決まらないうちから、次は社会学史のような授業を取りたいな、なんて思ってたりする。


_ 今日は休みだったのだ。放送大学の通信課題と自習問題をやってた。社会学は誰がどんな説を唱えたかの辺りが弱いようだ。これはまあ何とかなるかもしれない。問題はやはりラテン語。ラテン語の変化形のバリエーションは確かに複雑ではあるがそれなりの規則があり、名詞の格や性や数が変われば形容詞のそれらもそれと同様に変化させる。つまり「速い馬の…」と「速い馬たちが…」はそれぞれ格と数が異なり、いわば「”速いたち”が”馬たち”が…」と言ってるような感じになる。だがそのおかげで多少聞き逃しても聞き間違いは少なくなるのかもしれない。でもこんなに複雑な問題、時間内にどうやって解けるようにすればいいんだろうか?とりあえずノート持込は可となっているから、その場で調べるべき事柄をできるだけ参照しやすいようにノート作りをすれば良いんだろうか。そんなに時間はふんだんにはないのだが…。しかしまずは社会学を何とか片づけなくてはならない。
 夜、いつものヨガに行くと、先生が別のジムでいじめの相談を受けたという話をした。生徒さんの中にクラスを実質的に仕切ってる人がいて、特定の生徒さんをクラスから締め出そうとするのだそうだ。人間が集まると、どうしてもその中で利権を得ようとする者が現れてしまう。人間は愚かな行為をするように造られてしまっているのだ。先生はそのことに関連して学校時代にはずいぶんいじめにあったということを言ってた。でも負けなかった。そういう性格だったから、と。それで思い出したわけではないが、私もまた小学校の時にいじめの被害にあっていたのだ、と最近特に自覚している。今更遅いかもしれないが、そのことを思いだせばいまだに辛い。克服したつもりでいたのに、この年になっても嫌な思い出は消えないのだと分かった。それと同時に、私はまた人の気持ちを平気で傷つける無思慮な子供でもあった。そのことに思い至るとそれによってもまた平常心でいられなくなる。このことはそのうちじっくりと書くことになるだろう。今はちゃんと睡眠時間を確保するために寝なくてはいけない。


2016-07-26 [長年日記]

_ 放送大学の試験を控えてるというのに「ジョジョリオン」の新刊と文藝別冊の山上たつひこを買ってきてしまい、なおかつ「馬鹿よあなたは」の動画見続けてしまう。試験前になると逃避行動をとってしまうのは学生の頃から全く変わらない。そうか、その時間も受験勉強の計画に織り込んでおけば良かったのか。しかし今はすでにその余裕が無い。無いはずなのに。


2016-07-27 [長年日記]

_ [放送大学] 試験一つ終了。

平日だったが夏休み兼ねて(?)試験受けに行った。社会学入門(16)。結果的として、通信課題と自習型問題をしっかり復習しておけば大丈夫、という感じで、何度も解答を見直す余裕があった。ただ、社会学という学問自体はそれほどたやすいものではないのだと思う。あまり日ごろの勉強に時間を割くことができなかったので、研究者の人名と彼らが提唱した学説などを深耕する時間は無く、最後は単語カードを使って頭に詰め込んだりしたのだが、こういうやりかたは本当の学習ではないと感じる。もっと時間をかけて学習するだけの意義はあるのだ。
 さて、次はいよいよ「ラテン語の世界」。今週日曜。それなりに学習する時間はあるのだが、学ぶべきことは山ほどある。たかが期に2科目の試験でおたおたしてるのは情けないという気がしなくもないが、これ以上は今の自分にはちょっと無理。


_ クモ!(かなりでかい)

階段を下りていく途中、何かがサササッと天井伝いに逃げていく。見ると足の長いクモ。足から足までで手の甲ほどの大きさがある。アシダカグモ 近ごろ外来の毒蜘蛛なんかが話題になるのでこれもそうじゃないだろうなと調べてみたら、アシダカグモというゴキブリの天敵。これがいるということは。はい。うちには結構多くのゴキブリが出ます。隙間が多いので外から結構入ってくるようです(玄関から入ってく奴見かけたこともある)。良かった、アシダカ君駆除しなくて。これからもよろしく頼む。エサに不自由はしないだろう。ただうちの猫には気をつけてくれたまへ。

_ Navarまとめにも記事出てた。ファンの間ではアシダカ軍曹と呼ばれている。掛け時計の裏から足が覗いてる画像見て震えながら笑った。


2016-07-28 [長年日記]

_ ラテン語さらにさらに続き。韻律がもう絶望的にわからない。先生の発音聞いてもどこが長音でどこが短音か全くわからない。詰んだかも。


2016-07-29 [長年日記]

_ こんばんは。碇ゲンドウです。好きな食べ物は親子丼です。
 さて、夜ヨガの帰りに寄ったスーパーで、私は母娘連れの客を見た。横顔を見ると鼻の形がそっくりだが、目元が似ていない。娘の目のあたりは父親似なのだろうか、と思った。このおそらく20歳以上は年の離れた二人が私の直前にレジで支払いを済ませ、私の番になった時も、私はこの二人と同時期に快楽を分かち合うというファンタジーを思い描いていた。それがすなわち親子丼と言う語の意味するところだ。すると突然、チャリンチャリンと言う金属音が立て続けに起こった。支払いの段になっても不謹慎なファンタジーに夢中だった私はいつの間にか小銭入れを逆さにしてしまっていたのだった。私はもちろんあわてた。そしてレジ打ちの女性もあわてて「大丈夫ですか」と声を掛ける。これを大丈夫な状態とはとても言えないな、となんだか妙に冷静な思考が頭を巡り「いや、ちょっと大丈夫とは言えません」などと口走る私。そして、つい今しがたまで私の邪悪なファンタジーの生贄として私の脳内に存在していたことなど露とも知らぬ母娘の娘の方がいくつかの硬貨を拾って渡してくれる。久しぶりに恥ずかしかった。なんて日だ。←そうだ、その時にこの言葉を実際に口に出せば良かったじゃないか。みんな笑ってくれたかもしれないし僕もそんなに悪い気はしなかったはずだ。


_ ラテン語と格闘しててわかったこと。韻律を理解するためには、どの母音が長母音で短母音なのかを判定せねばならない。これには規則があるのでそれが頭に入れば判定は確実なものとなる。そしてその長と短の並び方に依って韻律のタイプが決まってくるのだ。変化形にもそれなりのルールがある。ラテン語のフレーズを訳すためにはそれらのルールに照らし合わせていくことが必要で、なんだか数式の変形や仮説の検定のような解析的なワークなのだ、ラテン語を訳すということは。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ うにゃ [ラテン語で「なんて日だ!」っていってほしかったですw]

_ けい [Utinam hodie quod terribilis. Google先生が翻訳してくれた。怪しいかも。]


2016-07-30 [長年日記]

_ 明日いよいよラテン語の試験。試験の出来には自信が無いが、ラテン語が実に良く考えて作られた言語であるということにちょっと感動めいたものを覚えている。なぜこんなに理詰めの言語なのか。もしかするともともと言語はロジカルに造られていて、時代を経るとともにどんどん縮約されたり逆に装飾的になったりしていったのだろうか?興味がわいてきたから受講して良かったと考えたい。とりあえず寝て午前中に最後の復習しようと思う。とりあえず通信課題と同じ問題が出た時には間違えないように準備はした。


_ 気づいたらダイニングキッチンの掛け時計が1時間ほど遅れていたので電池を交換。壁から外す時、陰にアシダカ軍曹が隠れてないことを祈りつつ…いなかった。お風呂の窓にはヤモリ隊長が白いお腹をこっちに向けて張り付いてた。なんか安心する。コウガイビル軍とカマキリ遊撃隊が最近あらわれないのがちょっと淋しいかも。


2016-07-31 [長年日記]

_ 試験終了。再試に向けて勉強します。。。辞書もノートも持ってったけど、調べてる時間なんて無い。日頃の勉強に充てる時間が足りなかったな。甘かった。雨上がって急速に暑くなった。

_ 気持ちを改めるべく弘明寺観音に詣でる。

IMG_4766

弘明寺と言えばここなのだけど、ここしばらく詣でることが無かった。久しぶりに訪ねて気づいたのだが、ここには聖天さまがいたのだった。大根を売ってるようには見えなかったが。


_ 今ちょこっと「受験のシンデレラ」見てるのだけど。「好物は最初に食え」。そうだな…得意な問題をもっと増やしておかないとな。イメトレも大事だって。ラテン語の単位とったらそのあとどうするかな。うーんイメージ湧かないかも。たぶん何か古典の名作を読むんだろうな。ヴェルギリウスとか、ルクレティウスとか。というわけで来期の放送授業は1科目だけにする。ラテン語の試験は1月25日午前中。おっと平日か。已む無しだな。


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