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2010-11-04 鯰と案山子。 [長年日記]
_ 今日の日記のタイトルは禅画か難解な映画の題目のようだ。全然違うけど。
「ゴセイジャー」がnamazuで検索されない問題(?)は、namazuそのものではなく辞書のkakasiの方の問題、というか仕様に関係しているかもしれなかった。とりあえずとある検索キーを入力すると昨日の日記が検索されたりはする。強制的に単語を登録する機能なんてあるのかな?
_ 終業後ものすごく久し振りに学習センターに行ってみたら隣にコンビニが立っててびっくらこいた。ここのところずっとまともに科目の履修をしてないものだからなあ…。今日何故行ったかと言うと、CiNiiという学術文献調査サイトを自宅でも利用しやすくするため。ところが、サイトライセンス個人IDというのを登録すべきなのに通常の個人で登録してしまい、使用料を引き落とされてしまった。なんということだ。みすみす学生の権益を放棄してしまうとは。。。あわててCiNiiにメールしてみたが、すでに一度検索してしまったのでどうしようもないかも。それに、サイトライセンス個人IDを取得するには再び弘明寺に行かなくてはならないのだー!本気で「トホホ…」と呟いている人はほとんど見たことが無いが、今日は本気で「トホホ…」と呟いてみたい。
_ namazu、とりあえずワイルドカードを使って「*ゴセイジャー*」のように入力すると多少ヒットするようだ。
_ 今日の昼休み、「神と因果律とヨブを糾弾するC.G.ユング」なる題名の絵画のことを考えていた。多分実在しない。私の空想だからだ。だが、古今の名画の題材と同様に神話的モチーフになりえるのではないかと感じた。昨今心の問題を考えることが多いせいだろう。心の病は本質的に客観的観測が難しい、ということから、ユングが自らの方法を「私の科学」と呼んでいたことを思い出したのだ。この呼び方はイロニーかもしれない。因果律がすべてではないという絶叫が聞こえるようだ。「物理的事実」と対立はしないかもしれないが並立するであろう概念として、「心理的事実」というものが恐らくは存在する。後者を支配する法則は因果律ではない。結果は原因に先立たないとしても、少なくとも原因より未来であるとは限らない。心理的事実の証拠となるものは様々な心的現象、恐慌や夢や種々の障害と告白と注意深い観測、信頼関係ののちにおこなわれるインタビューの結果、などである。このように所謂科学とは相容れない、下手をするとオカルトすれすれになるリスクを常に持つ現象であっても、それを支配する法則がやはり存在するということは多くの人に信じられている。そのような世界で観測の結果得られるデータというものは、物理的な観測で得られるデータとはまったく異なる誤差論に従って分布すると考えることはあながち間違いではないように思われる。
_ …私は神秘家にでもなるつもりなのだろうか?
_ 今週のNHK−BSではスティーブ・マックィーンの映画が連日放映されている。今晩は「ゲッタウェイ」。マックィーンがアリ・マックグロウをビシバシ殴っている。マックィーンは若い頃親の愛を知らない正真正銘の所謂「札付きのワル」であったらしい。にこやかな表情ときれいなブルーアイズの影にはそういった凄味があるのだろう。
CiNiiの問題は何とかクリアできそう。それよりも、卒業研究報告書がキャンパスネットワークで閲覧できるらしい。学生にあるまじき無知であった。